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『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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 要は、見えないもの、小さいもの、内なるものに戦争が宿る。それ程のひどい時代になってしもたということかもしれへんのや。或いは、もともと小さいものを描く行為に、もっとも大きい世界が捕えられる、という事かもしれへんのや。
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単行本p.2


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 こうなったらもう、報道より文学の方がよっぽど迅速だよ。ていうか僕の「飼い主」の命取るな。
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単行本p.26


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 弱くとも筆の力を持っている身なら、少しなりとも、これを学んで、「報道」をするよ? というか、見えないものを見せる事にこそ普通に、(私の)文学だ。
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単行本p.165


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第113回。

 さあ、今こそ文学で戦争を止めよう、この、売国内閣の下の植民地化を止めよう。荒神・若宮にに様の声が、難病かかえた金毘羅の声が、そして今は亡きドーラの声が、台所から響きわたる。今止まれ! 文学の前にこの戦前止まれ。神変理層夢経シリーズ第四弾。単行本(講談社)出版は2017年7月です。


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 人生最後のつもりで「神変理層夢経」というシリーズを書いていた。無論、今も書いている。だって、これが実はその第三部に当たるのだ。目的を外れても作品は続いている。しかし本来、最初それは、ドーラと私のために書かれたものだった。それで、死を精神的に克服しようと私はしたのだった。
 ふたりで、永遠に生きる場所を作る努力。……その時点のドーラは、私小説の私を形成する定点と呼べるものになっていた。というかドーラがいるところにしか私はいられなかった。ドーラの死の前の二年間、私はただひとつを望み、そのための努力しかしてなかった。
 その死後もドーラとともに生き、共に書くこと。作品の中に永遠の時間を!
 志したのは、ドゥルーズが「外」と呼んだ内在平面という概念、それを達成した小説を書く事。時間や現実を越える「外」にドーラを置き、ずっと失うまいとしたのだった。
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単行本p.127


 序章『猫トイレット荒神』、第一部『猫ダンジョン荒神』、第二部『猫キャンパス荒神』に続く神変理層夢経シリーズ最新刊「猫キッチン荒神』です。参考までにシリーズ既刊の紹介はこちら。


  2013年02月27日の日記
  『母の発達、永遠に/猫トイレット荒神』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-02-27

  2012年10月01日の日記
  『小説神変理層夢経 猫未来託宣本 猫ダンジョン荒神』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-10-01

  2014年12月27日の日記
  『小説神変理層夢経2 猫文学機械品 猫キャンパス荒神』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-12-27


 シリーズ各巻は独立しているので、本書から読み始めても問題ありません。作者いわく「読める人は初読が『ひょうすべの国』でも一気に判ります」(単行本p.283)とのこと。事前に『ひょうすべの国』と『猫道』を読んでおくといいことがあるかも知れません。紹介はこちら。


  2016年11月29日の日記
  『植民人喰い条約 ひょうすべの国』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-11-29

  2017年03月16日の日記
  『猫道 単身転々小説集』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-03-16


 ネオリベと経済搾取、性暴力と差別とヘイト、それらが絡み合って一体化して基層となっている日本の姿を書いた『ひょうすべの国』。自身の生きにくさ、猫との出会いと別れを書いた『猫道』。本書ではついにそれらが合流して、小さな「私」を離れることなく神視点で世界をとらえる「私小説」へと飛躍してゆきます。

 最初に語りをつとめるのは、荒神である若宮にに様。「雇い主」と猫の、命と生活を守るために、戦争と植民地化を止めようと奮闘しておられます。具体的には、託宣神なので煽ります。大手マスコミが書かないこと、みんなが見て見ぬふりしていること。


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 さあ止まれ、今止まれ! 文学の前にこの戦前止まれ。そしてついに文学は売国を報道する。だって新聞がろくに報道しないからね。
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単行本p.16


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 それは、臭いものに蓋、弱いものに重し、取り囲んで黙らせる、声上げれば針の筵。責任だけ女に来る基地は沖縄に押しつけるっ、と。とどめこの先はオリンピックと称し、東京が福島を喰ってしまう、うん、そして今回の植民地化もね、県では人間が干乾しになる。日本語? 無論滅亡。一握りの金持ちを残して全員が窮乏して滅ぶんだよ。弱いものを喰うために知らん顔をする、共喰いの国、それがついに今から……。
 その共喰い国家日本がさあ、今からまるごと喰われます。あなたも作者も皆殺し、しかもこの件で罪無き沖縄はまっさきにやられ、でも「騙された」本土もあっという間。そしてそれは社会性もなくって被害妄想だけきつい、大マスコミのジャーナリストの方の意図的怠慢です
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単行本p.17


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 だから言おうよ、言うだけでもさ、だって「群像」は、本来、文学で戦争を止めるためにあるんだから。ね、戦後戦犯になりかねなかった、ここの版元が、平和憲法下で再出発するために作った雑誌なんだ。そこへ体に拷問の跡がある左翼が純文学のために協力したんだよ、書いて貰うまでは大変でしたって初代の編集長は言っていたはずで。そしてあれから七十年、ついに戦前、だったらこれ止めるためにずーっとここにあったんじゃないの?
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単行本p.24


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 その上にね、これ、台所話なんだ、台所ではなんだって語れるのだ、なぜかこの国ではここに偉いやつは入って来ないしね、ここなら戦争を止められるさ。
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単行本p.25


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 まあ結局、普段も台所で、いつも生を死に裏返しているんですよ! つまり死んだ物を料理にして、食べ物を、生命に変える作業って事。でもだからって、荒神は台所って、決めつけないで。ていうか台所というものを馬鹿にしないの!
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単行本p.254


 荒神様なので、台所では絶好調。権力側や踏みつける側の人間が入ってこない場所、命と生活をつなぐ場所、そこから神の言葉を響かせます。


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ああそうだね、書くことは生きる事食べる事も生きる事――食べて書く書いて食べる、ならばこのふたつはセットかもしれないね? また食べる快楽以上に、彼女にとって食は苦難をなんとか生き延びる力、生活や絶望に勝つという呪術なので。
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単行本p.80


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 うん? 書く事と猫と飯、それが望みって一見、無欲そうだろ? でも実はその向こうに家庭の食卓を抜けてきた人間だけが持ちうる「世界征服」の強い意志があるね。しかもたったそれだけの事をかなえるのに、……まあ家族から市場経済まで彼女をていうか女を嫌いなんだもの。
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単行本p.82


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まあかい摘んで言えば、猫は老猫、人は難病、老猫難病。生きてきたよ!
 ただ、そんな厚みも体温もここにいる三次元本人しか判らないよね? この、小ささ故に、丸ごと潰される? 僕の長い歴史をついに受け入れてくれたふたつの命がね。しかしどちらにもそれなりの来歴と事情がある。そして生きている限りこの家からは、欲望と喜びが湧いてくるんだね。なのに巨大な天の刺客から見れば、それは、うん、蟻以下だよ。でも「特徴」はある。まあしかし天からならばきっとさぞかしつまんない特徴だよ? 要するにこれを、身辺雑記という、……ね。
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単行本p.30


 続いて、語りは金毘羅に。身辺雑記を武器に、極私の小さな語りを駆使して、上からやってくるでかくて鈍感なものに対抗します。


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 私は今「何もかも恵まれていた」けれど、気が付くとその私を不幸にしかねないもの、に苦しんでいた。それは頭のずーっと上から差してくるでっかい影、灰色でどーんと鈍い日常の不安、そうそう、……。
 あなたは気づいてない、人と自分の能力差とかばっかり気にしている、差別好きの、人の足ひっぱって暮らす妬み妖怪。でもあなたがそうやって他人を差別したり馬鹿にしたり冷笑したりしているうち、あなたの弱者叩きの結果、国は貧乏になり、戦争もやってくる。それが、あなたには見えない、戦前が見えない。
 私はそれを知っている、だから不幸だ。あなたはそれを知らない、だから「幸福」だ、だったらさあ、安心して私をさげすみ、泣いている私を見たがって追い回しなさいよ。平気だから、だって私がそうやって不幸である事は国民の義務だから。
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単行本p.99


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は? そういう、文学に何が出来るのかだって、お前ら、それ、原発とTPPの報道が「出来て」から言えよ、小説が「届かない」のはてめえらが隠蔽したからだろ。こっちは十年前から着々とやっていたよ。悔しかったらむしろ、お前らが文学に届いてみろ、小説を買いも覗きもしないで読む能力なくて、それで「文学に何が出来るんだ」じゃねえわい、ばーかばーかばーか。
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単行本p.102


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 気が付くと戒厳令下の夜とかそんな映画に出て来る怖い世界が、自分の国なのだ。なのにどこを見ても、一見は、というよりマスコミの世界は、何も変わらない。またそこで働いている報道側のほとんどは、とてもおとなしい、何を聞いてもただぶるぶるとした応答でひたすら当事者意識がすり抜けて行く。「こわい世の中になりました」と彼らは言うけれど、怖い世の中を作っている側なのだろう? そして「表現の自由」とは、ただ広告表現の自由にてんこもりにした、少女虐待や女性虐殺煽動、外国人差別、あるいは「国威発揚」にすぎなくって、そんな中「戦争の前に文学は」などと気が向いたときだけこっちを恫喝しに来て、無料でコメントを毟っていく実質サブカルの自称文芸誌は、裸縄飛び等の特集をやって見せている。或いは「貴族の戦前感」というへんたい様式美に従っているのかも。
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単行本p.167


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 ならば、……女性とは何か、それはこの国において殺したり潰したり売り飛ばしたりして見えなくしたいもの、三次元から二次元に落としたいものだ。その根拠となるのは、女性の存在自体が罪悪だというすりこみである。つまりそこから発して、女性に対してはどのような場合にでも侮辱でも略奪でもなんでもして搾取しようとする、例えば性差別闘争をやっている女にさえも「この問題もやれ」などと普段は興味もない癖に差別男は命令しに来て絡みついてくる、それは要するにせめて女のやる気だけでも搾取したいからだ。なんとか命令して支配下に押し込み、侮辱したいのだ。また「そんな男などごく一部だ」と反論する男性は電車の中で痴漢に見て見ぬふりをしたことはないのだろうか? というかさして罰せられないこの国の体制に、別に異を唱えもしていないではないか? そして結局、「ああ、それ知らない」だ。エリート程「へええ、そうなんだ!」で偉くなっていく。
 言葉に出せば、文句を言われるから黙っているだけ。その上で言葉にさせれば、最初からおかしな事や冗談のふりをした暴言しか言わない。
 豊かでも、貧しくても、身内でも、王女でも、女性を収奪する事が自分の得になる事だけは知っているのである。得だから止めない。女を何人殺しても足りない程に、得がしたいのだ。
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単行本p.180


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 この国においては、女を、少女のうちに消費し使い殺すのが「経済的」なのだ。そして結局、妊婦もそうでない女も成人していれば憎まれるのだ。生きているだけで「女性特権」と言われる理由、それは、女は死ね、全部死ねというデフォルトである。ただし、古来の女性差別や現状の差別それ自体とは異なる最悪の新要素が加わっている。それは新自由主義がついに、究極完成させてしまった共喰いの原理ではないのだろうか。人間の外で、投資だけが動いている。そんな中で、……。
 要するに差別と収奪は同行する。ナチスが財閥に寝返ったのも必然である。もともと差別とは権力を隠してしまい敵を見間違えさせるための悪い、経済装置なのだ。無論それは「だまされた者たち」に一定の「快楽」やおこぼれをまき散らしていく。
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単行本p.182


 祈りのこと、猫のこと、食事のこと、家族のこと、小説のこと、授業のこと、それらが次々と語られてゆきます。家族の来歴は更新され、これまで誤解されていた愛猫ドーラの真意が明らかにされ。常にアップデートを続ける笙野文学の凄みがここに。

 特に、ドーラのことは胸をうたれます。
「苦労かけたんだ」「一緒に繁栄して一緒に泣いたんだ」(単行本p.70)
 もうドーラの声を書き写してしまう。


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「ほら、ドーラいなかったらあなたいないでしょ、お礼は、ドーラにお礼は? ……噛むわ、体重かけて噛むわ、ばーか、ばーか」。いつも、思い出しているよ、ドーラ、ドーラ。
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単行本p.135


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「どんな会も断って、どんな式も出ては駄目、ほらあたし死にそうでしょあたし今血を吐いて死んでしまうから、あたし骨が折れて垂れ流しになるから、あなたの目に映る私そんな顔してるでしょ、あなたが急死したらあたしはここにいて飢え死にしてしまう、だからあたしを見てどこにも行かないで、ずっと一緒にいて、何もしないで、そしてお風呂とおトイレは、いつもこのドーラがお供するわ、見張ってないと、あなた、溺れ死ぬから」
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単行本p.151


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「お願い、何もしてはダメ、何か見ると、疲れるでしょ、話すと、疲れるでしょ、ドーラといて、ドーラの背中かいて、ね? 背中かいて?」すりすりすりすり、すりすりすりすり。
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単行本p.153


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「もう東京にも、どこにも、出ては、だめよ、あなた、ずっと寝ているのよ、お掃除もしてはダメ」。本当に何かすると、ドーラは怒ってくるようになった。
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単行本p.154


 そして、最後の生き残り猫となったギドウ。


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 その五年を通して彼は、ギドウは跡取りになったんだね、ドーラの跡を取る伴侶猫になれた。彼の看病をしながら、生まれて初めてのお勤めをしながら、そしてやっと、ていうかそろそろ、ギドウのところに帰る時期が来たと思ったんだって。「ギドウただいま、私はいろんな勉強が出来たよ」って。
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単行本p.48


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飼い主はなにせ難病なんでその作業中にいきなりへばって、その場でしゃがんで休んでしまったり。でもその掃除が終わると猫は喜んで。
 おかあさん、にゃっ、おかあさん、にゃーっ、僕、今からおトイレよ、ね、にゃっにゃっ。ああ、僕、足をあげるのもかったるいよっ、にゃっ、にゃっ、にゃっ、にゃーっ。
 で? 幸福だ、とても幸福だ、と飼い主は思ってまた掃除するのさ。
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単行本p.50


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この二代目宝猫は、トイレ傍でぱたりと止まって、その場で寒そうに固まったままの丸まり寝をしてしまっていたり、……。その丸まりがまた、痛いほうの膝だけ上に挙げて伸ばしているので(涙)。結局、ネットで調べ、……バスマットの上に寝かせておいて、くるむようにマットごと持ち上げて移動、すると。
「おかあさん、寒い、でも抱っこ嫌っ、でも、これなら怖くない、ね、もっと速く運べ、ていうか、もっと早く思い付け、ね、ね、ね」って目で訴えてくる。
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単行本p.172


 さらに、モイラが、ルゥルゥが、そして文学が。


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戦争があった時、原発を建てた時、自分が戦地に行かされる、自分が掃除をさせられる、そう思っている人間は小説に向いている。しかし全体を見渡すように語りながら、……自分以外の誰かが代わりに死ぬから戦争してもいい……と思っている人間は書けないのだ。そこに尽きる。
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単行本p.158


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 そして、……私の「異様な」、「凄まじい」、「ものすごい」本は死んでも残る。書くことしか出来なければ、この戦前を書く。どのような醜いものをも、全部をよけないで書く。よけないでいてこそ、私の本は売れない。そして死後も残る。戦犯と言われたいか? 言われたくない! どうか百年後も読者よ私を見つけて、そしてうっとりして、嬉々として「ああ、誰も読んでいないのよ私だけが読むのよ(といってるやつがあっちこっちにいる事はともかくとして)」と呟いててください。
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単行本p.198


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 どんなに歴史を修正しても、フィクションは永遠だ。なおかつ、もしこのまま戦争になり、日本がその戦争にずっと勝ちつづけるのならば、いや、負けても、もう文学はなくなる。害は世界に及ぶ。戦いどころか人類の語り物がすべて無に帰すのだ。
 故にどっちにしろやるしかない、「文学で戦争を止めてみせよう」、「それで戦争になったら? 無駄って笑われる」、いいとも、いいんだよそんな時は「だってお前らは止めようともしなかったんだぜ」って全集の後書きに書いて(しかし出るのか?)世を去るから。
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単行本p.198


 そして本文の最後、「付記」を読んで、涙が止まらなくなる。最後の一行は、喜ばしいというよりむしろ、祟り神を畏れる気持ちに。何もかも作者に背負わせて他人事みたいに読んでちゃ駄目だ。


タグ:笙野頼子
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