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『みかづき』(森絵都) [読書(小説・詩)]


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「私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです。太陽の光を十分に吸収できない子どもたちを、暗がりの中で静かに照らす月。今はまだ儚げな三日月にすぎないけれど、かならず、満ちていきますわ」
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単行本p.25


 昭和三十年代。小学校の用務員だった吾郎は、学校から独立した教育施設である「塾」の必要性を熱く訴える女性、千明に出会う。彼女の情熱に引き込まれるようにして乗り出した塾の運営は、しかしきれいごとでは片づかない艱難辛苦の道だった。黎明期から現在に至るまでの塾の歴史を背景に描かれる、三代に渡る家族小説。単行本(集英社)出版は2016年9月、Kindle版配信は2016年12月です。


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「君はけっして丸くなどならない、鋭利な切っ先みたいな人だ」
「切っ先?」
「こうと狙いをつけたらどこまでも飛んでいくナイフのようでもあるし、けっして満ちることのない月のようでもある」
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単行本p.310


 学校を「太陽」だとすれば、その光を受けられない子どもたちを照らす「月」。常に何かが欠けており、満ちよう満ちようと真っ暗な空をひたむきに進む三日月。

 学校に対する塾の立場、ヒロインである千明の人柄、そして世代を越えて受け継がれてゆく教育改革への情熱。様々なものを月や月齢にたとえつつ、塾の経営に携わったある一家の三代に渡る家族史が描かれます。

 背景となるのは、塾というものが乗り越えてゆかなければならなかった様々な試練。文部省との確執、世間からの非難や中傷、過当競争と淘汰。


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「正義や美徳は時代の波にさらわれ、ほかの何ものかに置きかえられたとしても、知力は誰にも奪えない。そうじゃありませんか。十分な知識さえ授けておけば、いつかまた物騒な時代が訪れたときにも、何が義であり何が不義なのか、子どもたちは自分の頭で判断することができる。そうじゃありませんか」
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単行本p.17


 夫婦として塾の経営に乗り出した二人。だが税金対策やら同業者対策やらに駆けずり回っている千明と、高らかに教育理念を唱えつつ面倒事はすべて妻に任せている吾郎の間には、いつしか修復できない溝が生まれてゆきます。補習塾から進学塾への転進をめぐる激しい対立は、子供たちも巻き込んで、ついには一家離散状態に。

 それでも信念と情熱を捨てない千明。時代の荒波に押し流されまいとしてたった一人で闘い続ける彼女のもとに、また月が満ちてゆくように、少しずつ再集結してゆく家族。そして時代は昭和から平成へと流れてゆき……。

 最終章「新月」にいたって物語は現代(東日本大震災の前)に到達。千明の孫が、やむにやまれぬ情熱に突き動かされるようにして新たな塾の在り方を模索する姿が描かれます。


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 教育は、子どもをコントロールするためにあるんじゃない。
 不条理に抗う力、たやすくコントロールされないための力を授けるためにあるんだ――。
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単行本p.457


 貧困ゆえに学校に通うことも困難な子どもたち。たやすくコントロールできる国民を育てることしか念頭にないような国の施策。そんな時代に本当に必要な教育とは何か。孫の決意を聞いた吾郎はひと言だけつぶやく。「そうか、新しい月が昇るのか……」(単行本p.398)と。

 塾という教育界の鬼っ子が辿ってきた紆余曲折の歴史と三代に渡る家族の物語が巧みにより合わされ、深い感動を生む長篇小説。登場人物がそれぞれ印象的で、家族小説が好きな方はもとより、教育問題に感心のある方にもお勧めします。


タグ:森絵都
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