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『カーネーション NELKEN』(ピナ・バウシュ振付、ヴッパタール舞踊団) [ダンス]

 2017年3月19日は、夫婦で彩の国さいたま芸術劇場に行ってピナ・バウシュの代表作の一つ『カーネーション』を鑑賞しました。 ヴッパタール舞踊団のメンバー21名(+スタントマン4名、ドーベルマン犬と担当者数組)が出演する作品です。上演時間は110分。

 舞台上にびっしりと植えられたカーネーション。その淡いピンクの絨毯を拡げた、夢のように美しい場所で、優しげな顔をして、観客も巻き込みながら、陰惨な悪夢が次々と暴かれてゆく恐ろしい恐ろしい。

 東ドイツで秘密警察による苛烈な弾圧が行われていた時代に初演された作品で、社会的弱者に対する容赦ない迫害、互いに対する密告や暴力の強制、全体主義的な同調圧力など、目を背けたくなるようなシーンが続出します。

 すごいと思うのは、それを他人事として観ることを許さない仕掛け。

 様々な演出(美しいカーネーション畑、愛の歌、手話、優雅な身のこなし、優しい微笑み、片言の日本語、等)により、最初は暴力的なあるいは抑圧的なシーンも「滑稽」に見えて、観客は笑うわけです。子供時代の虐待や社会的しつけ(たとえ殴られていても幸福そうにふるまえと強要される等)も、最初はユーモラスに見えるわけです。出演者が片言の日本語を懸命に話す様も、おかしさをかもしだします。

 しかし、何度か繰り返される「パスポート拝見」のシーンを経て、これが移民や少数民族など社会的弱者に向けられた暴力と差別と人権侵害を表しているということが分かってきます。そうなると、さきほどまでの「滑稽」なシーンが自分の過去の体験につながることもあって、観客の笑い声は少なくなってゆきます。でもなくならない。

 「さっき、あなた、笑いましたよね。弱みのある人々、子供、片言でしか話せない外国人、そういった人々が踏みにじられ、互いに踏みつけあうことを強制されている光景を見て、あるいはかつて自分が受けたつらい仕打ちを見て、あなたは笑った」と糾弾されているような、後ろめたい気持ちに。

 しかしピナは容赦してくれません。優雅なラインダンスを踊りながら微笑んでいるダンサーの一人が悲鳴を上げて逃げようとする。そこを暴力的に押しとどめられ、殴られ、元のラインに引き戻される。すると何事もなかったようにまた微笑んで優雅なダンスを続ける。優しい音楽に合わせて。

 「あなたはこれが観たかったんでしょう! やれますよ、どうですか、何でもやれますよ! どうですか」と泣き叫びながら古典バレエの技を懸命に繰り返す(でも散々侮辱された末に無慈悲にパスポートを取り上げられる)シーンなど、不法移民(我が国では「外国人留学生」)に対する労働搾取といったひどい現実を思い起こして、背筋が凍ります。

 表面的には優雅なまま、陰惨さはどんどんエスカレートして、公開処刑、自殺、拷問、侮辱など様々な悪夢的光景が織り込まれます。それでもそれらを見ていちいち観客席から笑い声が起きるという恐ろしさ。おそらくそこまで含めてピナの計算だと思うのですが、この「最後まで笑う観客」の存在が実にこわい。この国の今の世相を連想させるところがこわい。

 ラスト近くになるとそうしたものに抗うもの、個人のそれぞれの人生と多様性、その尊厳を見せてくれるわけですが、どうだろう、それまでの暴力と痛みの表現が圧倒的なためか、どうにも心もとなく感じられました。


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