『瀬戸際レモン』(蒼井杏) [読書(小説・詩)]
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この世からいちばん小さくなる形選んで眠る猫とわたくし
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めすばとが歩いて逃げるおすばとがふくらんで追う ねむたいベンチ
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てのひらにはしり書きするはるじおんとひめじょおんとを見分けて生きる
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ティッシューを二枚ずつひく腕時計の中のクォーツ見てみたかったな
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キッチンの換気扇がまだまわってる気がする気がする気がする
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他人から見ればどうということもないささやかなドラマや決意を、ときに繰り返しのリズムに乗せて、あくまで生真面目に表明する、けなげな歌集。単行本(書肆侃侃房)出版は2016年6月、Kindle版配信は2016年7月です。
まずは、猫を詠んだ短歌が素敵だと、個人的にそう思うのです。
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百までをとなえつつわたし猫になる なーに、なーさん、なーし、なーご
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この世からいちばん小さくなる形選んで眠る猫とわたくし
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ようやくにおわってゆきますひちゃひちゃとひらたいみずをのんでいる猫
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「なーし、なーご」とか「この世からいちばん小さくなる形」とか「ひらたいみず」とか、猫みをおそう感覚が素晴らしいのです。そして、生活のなかでふと気づくどうでもいいような小さな小さなドラマを生真面目に詠むところも素敵。
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ティッシューを二枚ずつひく腕時計の中のクォーツ見てみたかったな
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ガスコンロの正しい青がうつくしいわたしはなんてはなうたでしょう
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めすばとが歩いて逃げるおすばとがふくらんで追う ねむたいベンチ
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寒気団のぶつかるところでお砂糖はおいくつですかとたずねています
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透明なふたの十字にストローをさしてこおりをしずめつづけて
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「腕時計の中のクォーツ見てみたかった」「わたしはなんてはなうた」「おすばとがふくらんで追う」といった、妙に実感と共感をいだかせる表現が好き。他にも、これまた他人からすればどうでもいい感じのささいな決意をあくまで生真面目に詠む作品も、そのけなげさが心に残ります。
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てのひらにはしり書きするはるじおんとひめじょおんとを見分けて生きる
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あるていどわりきらなくては。マヨネーズぬきでおねがいしますたこやき
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つかったあとも、この紙ケースにいれておく。そういう風にみずいろに生きる。
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事情はよく分からないながらも、わたし生き方を変えるの、とか謎の思い詰めがうかがえます。意外に技巧にこだわるところもあって、例えばコンタクトレンズの「形」に見立てた次の作品とか。
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コンタクトレンズ)をこする)あのひとが)きらい)だとかもう)言えない)のです。
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他には、言葉の繰り返しのリズムにすべてを賭けたような作品。
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それが夢だったのですねこでまりの白く白く白く白く白
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キッチンの換気扇がまだまわってる気がする気がする気がする
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むしのいい夢だったこと豆をむくひとつぶひとつぶひとつぶひとつぶ
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もりあがる指の血を吸うわたくしの鼓動がじゃまでじゃまでじゃまでじゃま
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こんな感じで、どの作品からもどこかけなげに懸命に詠んでいるような気配が感じられて、とてもキュートな印象を受ける歌集です。
タグ:その他(小説・詩)
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