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『砂文』(日和聡子) [読書(小説・詩)]

――――
夜更け
脱衣所の隅を 這うもの
動かなくなり
女が湯から上がるのを
待たずに消える
――――
『音のない声』より


 ごくありふれた言葉のならびから聞こえてくる響きが、恐いよこわいおそろしい。のどかなようで鬼気迫る、この世のものとも思えない情景描写にすくみ上がる怪談詩集。単行本(思潮社)出版は2015年10月です。

 日和聡子さんといえば以前に小説を読んだことがあり、そのとき文章の迫力に腰を抜かしたものです。ちなみに単行本読了時の紹介はこちら。

  2014年05月23日の日記
  『御命授天纏佐左目谷行』(日和聡子)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-05-23

 その日和聡子さんの詩集を読んでみました。さりげない情景描写から立ち上がってくる何かが、すげいこわい。


――――
寝しずまった 廊下
いつかの 破れた蜘蛛の巣がぶら下がる
女は 髪の滴と汗を垂らしながら
しのび足で 奥の間へ渡る

点滅しない 青いランプ
緑と 黄と 黒い葉の 繁る がじまる
怪物が その根本で 大きな口をあけている
片目をとじ もう一方を見ひらき 宙空を見つめて
空には 影か 月
どちらも出ていない
――――
『音のない声』より


 夜の情景だから恐いのか。いや、朝も夕も、とにかく何だか。


――――
明け方
空になった二階の右を
次に貸し出す計を階下の寝床で密めく夫婦
互いの股に
いつかあけび模様の網籠を掲げて
ともにさまよった朝霧の渓谷から
今朝
沢蟹がひとり上ってくるのを
左の窓から
見おろしている
――――
『御札』より


――――
高原へ向かう列車で
名前のわからぬ
渓流をさかのぼってゆく

誰も歩いていない乾いた砂埃の道
やがて 夕もやのかかった一帯へ続き
水に湿る草陰からは
濡れた女の白い腕が浮かび上がる

白昼夢の襞のような
幅の広いトンネルに入る
抜け出すと
早苗の植えられた光る田んぼが
日没に滲んで目を涼ませる
列車は渓流に沿って遡行を続ける
名前はまだわからない
それがあると思い込んで
――――
『三才』より


 怪談だと思うのですが、いわゆる「実話系」と呼ばれる怪談とは違います。具体的に恐いことが起きる、あるいは起きそうで起きない、そういう物語的意味を期待しているとあっさり裏切られて、そこに置いてきぼり。


――――
畳に 床に  流れる髪が横たわる
その川をまたいで  部屋へ
「降ってきました。」
レースのカーテン越しに 実況する。
鞄そのものが 重たい鞄。 机の脇に 下ろす
「ああッ!」
机に突っ伏して
足元はおろそか  白いソックスに 蛍光タスキが蟠る
人参にしゃべりかけていた 昔も
今は 鏡台のうしろの障子に 映らない影が 溜まる
――――
『土星の午後』より


――――
黒い
御札をもらい
「消災呪。」
額に貼られる
腕の付け根と
叉に

黄色い空の縁に
黒塀をはりめぐらせた
Y山のふもとの屋敷
門を見出せず
バスで通い詰めた町と集落
こいはしないと決めた少女の 靴下と爪  埋まる
仏壇の厨子の陰に
穀象虫が 餅菓子とともに
干て
――――
『御札』より


――――
深く吸っても すぐに足りなくなる息を
幾度も水面に顔を出して継ぐうちに
浜の景色は変わっていった
波打際に残してきたサンダルは もう見えなくなった

どこまでいけるか いっていいのか
あと少し もう少し と漂い流されていく背中に
監視台から 繰り返し警告が発せられる
「ブイを越えている方
 早く 一刻も早くこちらへ戻ってきてください――」

半音下がるみたいにして
爪先に触れる水が急にひんやりする
遠ざかった海の家から駆け出して
大きく手まねきしてくれる人の声を 風がさえぎる
――――
『遊泳』より


 というわけで、何がどうこわいのか釈然としないまま、いつまでも残り続けて、よく考えたらその昔、体験したのにそのまま忘れていたあれがそのまま描かれていたんじゃなかったか、ついそんな風に感じてしまう詩集です。



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