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『ワイルドフラワーの見えない一年』(松田青子) [読書(小説・詩)]


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 世の中のいろんなこと、いろんな物語は、ヴィクトリアの好きな状態ではなかった。世界にはもっといろんな色があるはずなのに、どれもがわかりやすいかたちに整えられているか、汚い色、つまらない色をしていた。だけど、素敵な物語や素敵な色が見つかることもあって、そんなときはとりわけ幸せな気持ちになった。
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単行本p.41


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 脈が止まると人間は死ぬが、脈が止まっても文章は死なない。文脈が死んでも、文脈の死んだ文章は生きている。むしろ、文脈が死んだことが、大きな魅力となることがある。
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単行本p.190


 型にはまった物語。女ばかにしてる話。手前の都合ばっかし。ふざけんな、こっちゃ好きなように生きたり、ちゃんと仕事したりしたいだけなんだよ! 先入観を切り刻む自由闊達で音楽的な50篇を収録した、『スタッキング可能』『英子の森』に続く作品集。単行本(河出書房新社)出版は2016年8月、Kindle版配信は2016年9月です。


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「いくら何でも、皆簡単にボンドと関係を持ち過ぎではないかと思うんです。愛情からならまだしも、油断させる目的で関係を持つ時もあって、でももうそういうやり方は古いんじゃないかと。愛情にしても、毎回毎回ボンドも軽くないですか。そろそろわたしたちの美しさを、もっと別の方法で打ち出していくべきときじゃないかと思うんです」
 言っているうちに、どんどん気持ちが熱くなる。そうだ、わたしは今までとは違うわたしたちをつくり上げたいのだ。もちろん、先輩たちのことは尊敬している。だけど、時代は変わるのだ。
「わかんないけど、一回やっとけって」
 後ろからぽんぽんと肩を叩かれ、そう言われたわたしは、思わず「えー」と素っ頓狂な声を上げる。小さな輪から笑い声が弾ける。
「いいから、いいから、やっとけって」
「そのほうがハクがつくでしょ?」
「減るもんじゃないし、やっとけって」
 皆一斉にわたしの肩を嬉しそうに叩いてくる。盛り上がり過ぎだ。
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単行本p.18


 「なんだこんなもんかって思った」「ボンドってわりと早いわよね」「正直Qのほうがタイプなんだけど」。007シリーズは映画としては好きなんだけど、女性の扱いがちょっと……、眉をひそめていた人々の先入観をもぶっ飛ばす、自由闊達なボンドガールズトーク炸裂。

 こんな風に痛快なリズムを刻んでくる作品を、200ページに満たない分量に50篇も詰め込んだお得な一冊です。長くても数ページ、短いものだとタイトルだけで本文なし。例えば『水蒸気よ永遠なれ』なんて、本文は真っ白い紙面だけ。

 出オチ風のタイトルは他にもいくつかあって、『TOSHIBAメロウ20形18ワット』、『ミソジニー解体ショー』、『男性ならではの感性』、などなど。

 少年は世界を救い、少女はけなげに少年を助け、女は男の都合で死ぬ。型にはまった物語、特に女性を見下すそれに対する痛烈な皮肉が散見されるのも印象的。例えば。


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少年には出生の秘密もなかったし、先祖代々伝わる何かを託されてもいなかった。何かが引き金になって、急に眠っていた力が呼び覚まされることもなかったし、もちろん選ばれし者ではさらさらなかった。体のどこにも、思わせぶりなかたちをしたキズやアザはなかった。何事にも才能を発揮せず、こんな運命ぼくが選んだわけじゃないとドラマティックに騒ぎ立てもしなかった。老夫婦に心を開かず、孤独な胸の内を明かさなかった。ぼくの父さんと母さんはあなたたちだと老夫婦の胸に飛び込んだりもしなかった。少年はただ、適度にそこにいた。
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単行本p.24


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 あなたの好きな少女が嫌いだ。あなたの好きな少女は、繊細で、感性が豊かで、誰よりも敏感に世界を感じとることができる。あなたの好きな少女は世界の残酷さに涙を流す。しかし、力を持たない少女には何もできない。それでも、あなたの好きな少女は自らを犠牲にし、血を流し、あなたのことを守ってくれる。(中略)わたしは頭の中であなたの好きな少女にワンポイントを足し続ける。あなたがあなたの好きな少女にがっかりすればいいと思いながら。幻滅すればいいと願いながら。そうすれば、少女はあなたの好きな少女じゃなくなる。あなたの目に映らなくなる。あなたから消去された世界で、たくさんの少女たちが自由に太ったり、痩せたり、好きに動いて、好きに笑う。あなたの目に映らない楽園で。
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単行本p.31


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 女が死ぬ。プロットを転換させるために死ぬ。話を展開させるために死ぬ。カタルシスを生むために死ぬ。それしか思いつかなかったから死ぬ。ほかにアイデアがなかったから死ぬ。というか、思いつきうる最高のアイデアとして、女が死ぬ。(中略)彼が悲しむために死ぬ。彼が苦しむために死ぬ。彼が宿命を負うために死ぬ。彼がダークサイドに落ちるために死ぬ。彼が慟哭するために死ぬ。元気に打ちひしがれる彼の横で、彼女はもの言わず横たわる。彼のために、彼女が死ぬ。
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単行本p.70


 横柄なマジョリティ意識やミソジニーに対して、イラっとした気持ちをぶつける作品は多く、直截的というか、もうストレートに怒っています。


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どうしてこっちがカミングアウトする側なんだろう。彼らだって、カミングアウトするべきことがあるんじゃないのかな。実は差別主義者ですとか、一度も募金をしたことがありませんとか、毎日ネットで悪口を書いていますとか。どうして彼らはカミングアウトされるのをのうのうと待っているんだろう。まるで自分たちにはカミングアウトすることなんて一つもないみたいに。カミングアウトは勇気ある行動だっていうなら、彼らもカミングアウトすればいいのに。そしたら心を込めて拍手してあげる。どうしてカミングアウトしないと、存在が認められなかったり、秘密を隠していることになるんだろう。
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単行本p.46


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働いていると、「女」「女の子」「女」「女の子」扱いされた記憶だけが日々蓄積されていき、ほかのことは全部こぼれ落ちていくような気分になる時がある。目の前の書類ではなく、「女」「女の子」「女」「女の子」らしく振る舞うことが、そういう扱いをされることが、わたしの「仕事」だったんだろうか。だとしたら、「仕事」ってなんて面白くないんだろう。
一身上の都合により、退社。
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単行本p.155


 最後に、猫に対する痛切な愛と祈りをレールガンで撃ち込むような一篇『神は馬鹿だ』をイチオシしておきたいと思います。


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 猫を不死身にしなかった神は馬鹿だ。どう考えても設計ミスだ。猫が不死身じゃない時点で、無神論者になるのは至極当然のことである。人間が病気にかかっても、猫は病気にかかるべきではない。人間が死んでも、猫は死ぬべきではない。猫は無敵であるべきだった。猫は全面的にすべての災厄から守られているべきだった。(中略)猫は死なない。何があっても猫は死なない。その事実だけで、人間は幸せに生き、幸せに死んでいくことができたはずだ。これでは人類は不幸せのまま生きるしかない。神は本当に馬鹿だ。
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単行本p.58、59



タグ:松田青子
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