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『楽しい夜』(岸本佐知子:翻訳) [読書(小説・詩)]


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本当に小説とは奇妙なものだと思う。紙に書かれたただの言葉にすぎないし、読む側は物理的には1ミリも動かないのに、どうしてこんなに心をかき乱されたり、遠いところまで連れていかれたり、五感を刺激されたり、目眩や動悸を感じたりするのだろう。そんな基本的なことに、私はいつまで経っても慣れることができない。何度でも馬鹿みたいに驚いてしまう。
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単行本p.234


 岸本佐知子さんが「なんか今、ものすごく面白いものを読んでしまったぞ!」と感じた作品を選んで翻訳した11篇を収録した短篇アンソロジー。単行本(講談社)出版は、2016年2月です。


 お土産がわりにボブ・デュランを連れて里帰り。全身の骨にドリルで穴をあけて蟻の巣を移植。天をつく巨人たちの三角関係。老婦人たちの元気はつらつ死出の旅。突拍子もない、有り得ない設定や状況、それなのに深く心に響いてくる、そんな作品を集めた短篇アンソロジーです。『変愛小説集Ⅰ、Ⅱ』、『居心地の悪い部屋』、『コドモノセカイ』、といった岸本佐知子さんの編集・翻訳による短篇アンソロジーは、テーマの有無に関わらず、とにかくどれも面白い。翻訳小説好きの方には、全部読んでほしいと思います。


[収録作品]

『ノース・オブ』(マリー=ヘレン・ベルティーノ)
『火事』(ルシア・ベルリン)
『ロイ・スパイヴィ』(ミランダ・ジュライ)
『赤いリボン』(ジョージ・ソーンダーズ)
『アリの巣』(アリッサ・ナッティング)
『亡骸スモーカー』(アリッサ・ナッティング)
『家族』(ブレット・ロット)
『楽しい夜』(ジェームズ・ソルター)
『テオ』(デイヴ・エガーズ)
『三角形』(エレン・クレイジャズ)
『安全航海』(ラモーナ・オースベル)



『ノース・オブ』(マリー=ヘレン・ベルティーノ)
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 カリフォルニアに脱出した叔母さんが一人いるものの、彼女はもう絵ハガキの中だけの存在なので、感謝祭に集うのは全部で四人だ。母、ボブ・デュラン、兄そしてわたし。わたしたちは核となるテーブルを囲み、気の抜けた薄味の会話をしながら、コーンやマッシュポテトの皿を回しあう。
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単行本p.31

 たった一人の兄が軍に志願してイラクに派兵されることになったという電話を受けた女性。何とかこじれた兄との関係を修復したいと思った彼女は、ボブ・デュランを連れて里帰りする。そうすれば兄が喜んでくれると思ったのだ……。家族のすれ違いを見事な手際で表現した作品。無言で所在なさそうにしているボブ・デュランが妙に可愛い。


『火事』(ルシア・ベルリン)
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 あたしがいなくなったら、お姉ちゃんどうするの。
 どうするかって? 吐き気に似たうめきが体の奥からせりあがって、泣き声になって口から出る。サリー、あんたはいつもわたしの真似ばかりする。あんたもいっしょに泣きだす。二つのか細い泣き声はどこか遠くて深い場所からやってきた。わたしたちが最初にお互いを知った場所から。
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単行本p.51

 メキシコにいる妹が癌で死にかけていると知った姉が、何もかも投げ捨てて駆けつける。無駄のない緊迫した文章で読者の心を最初から最後までゆさぶり続ける、速射ライフルのような強烈な一篇。


『ロイ・スパイヴィ』(ミランダ・ジュライ)
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この人の命を救うためなら両親を殺せるだろうかと、私は自分に訊いてみた。十五歳のときから何度となくしてきた質問だ。そのたびに答えはイエスだった。でも、その男の子たちはみんなどこかにいってしまって、両親はまだ生きている。もう最近では、誰のためだろうと二人を殺すなんて考えられなくなっていた。病気されるのだって嫌なくらいだ。でも今度ばかりは答えはイエスだった。ええ、殺せるわ。
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単行本p.65

 飛行機で彼女の隣の座ったのは、何とハリウッドの有名イケメン俳優。しかも二人の間には激しい恋愛感情が芽生えて……。どう考えても妄想めいた無茶な話にどんどん切実なリアリティが込められて、最後は切なさが残るという、仰天するような傑作。


『赤いリボン』(ジョージ・ソーンダーズ)
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 その夜、女房があの事故いらい初めて寝室から出てきたので、おれたちはその間に起こったことを残らず話した。
 おれはじっと女房の顔を見た。女房が何を考えているのか知りたかった、自分がどう考えればいいのか知りたかった、女房はいつだってどうすればいいかおれに教えてくれたから。
 一匹のこらず殺して、犬も、猫も。女房は静かにそう言った。ネズミも、鳥も。魚も。もし誰かが反対したら、その人たちも殺して。
 そしてまた寝室に戻っていった。
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単行本p.90

 犬にかみ殺された幼い娘。現場に残された赤いリボン。人々は誓う。こんな悲劇は二度と起こさせない。暴力は決して許さない。犬は全て処分する。猫も。あらゆる動物を処分する。反対する村人も処分する。『短くて恐ろしいフィルの時代』の作者が、暴走する正義の恐ろしさをえがいた作品。


『アリの巣』(アリッサ・ナッティング)
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 地球上のスペースが手狭になったので、人類は全員、他の生物を体表もしくは体内に寄生させなければならないことになった。大半の人は体の中まで入ってこない、フジツボやカツラネズミのようなものを選んだ。女性のなかには豊胸手術をして、詰め物の中に小型の水棲生物を住まわせる人もいた。けれどもわたしは胸の形は最初から完璧だったので(それに、はっきり言って人一倍見た目にこだわる性質だったから)、骨にドリルで穴をあけて、中にアリの巣を作ってくれる医者を探すことにした。
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単行本p.97

 骨のなかに蟻の巣を移植した女性。だが、次第に蟻は彼女の全身を食い荒らし、彼女は蟻と同化してゆく。一歩間違えればギャグになりかねない突飛な発想を貫く幻想小説。


『亡骸スモーカー』(アリッサ・ナッティング)
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 葬儀場で働いている友人のギズモは、ときどき防腐処理の済んだ遺体の髪をタバコのように吸う。匂いは気にならないらしい。ひどい匂いには慣れっこなのだ。彼に言わせると、そうやってしばらく吸っていると、遺体の生前の記憶が映画みたいに頭の中に映しだされるのだそうだ。ただし子供の髪は吸わない。「いっぺんやってみたんだけどさ」と彼は言う。「それからまる二日間、同じ犬が頭の中で何度も何度も死ぬんだよ」
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単行本p.113

 死者の髪の毛を巻き煙草にして吸う癖のある男に、何とかして自分の髪を吸ってもらおうと奮闘する女性。『アリの巣』もそうですが、この作者、変愛小説界の新たなエースではないでしょうか。


『家族』(ブレット・ロット)
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 夫婦は並んで立っていた。たった今、ここで何かが起こったことを二人とも知っていた。とてつもなく大きな何かが。そして言葉を交わすまでもなく二人は理解していた――その何かはすでに終わってしまったのだと、来て、そして去っていったのだと。
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単行本p.141

 夫婦喧嘩の最中に、幼い子供たちが指先ほどのサイズに縮んでしまった。それはまあいいとして、困ったことに生意気なティーンに成長していて親をばかにするのだ。家族というつながりの嘘っぽさを暴きまくる短篇。


『楽しい夜』(ジェームズ・ソルター)
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シルクのワンピースや、黒くて脚をやわらかく包む裾の広がったパンツや、そんなのをジェーンもヴェニスで着たかった。大学で、彼女は一度も恋愛をしなかった――一度もしなかったのは知るかぎり彼女ひとりだった。今はそれが悔やまれた。一度くらい恋愛しておけばよかった。そして窓とベッドしかない部屋に行きたかった。
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単行本p.161

 夜を楽しむ三人の女友達、うきうきガールズトーク。いかにもTVドラマ風のしゃれた楽しい話だと思わせておいて、読者の予想を鮮やかに裏切ってくる感傷的な短篇。


『テオ』(デイヴ・エガーズ)
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テオはソレンに済まないような気になった。男が二人に女が一人、数字は残酷だ。三人目はどうすればいい? ソレンのつらい立場を思うと、テオは胸が痛んだ。
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単行本p.172

 あるとき、山が立ちあがった。続いて近くの山も。今まで巨人が眠っていたのだ。ついに目を覚ました三人の巨人。そして始まる三角関係。壮大なスケール、やっていることはありふれた三角関係と失恋のうじうじ、ギャップが目眩をさそう短篇。


『三角形』(エレン・クレイジャズ)
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もう一つの薄いピンク色の三角形形には、べつの説明書きがついていた。〈ナチス、同性愛者のワッペン 1935年頃 $75〉。
 マイケルは、そのピンク色の小さなフェルト片をまじまじと見つめた。かつて自分のような男が身にまとったであろう印。
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単行本p.189

 ゲイである主人公は、恋人と喧嘩して浮気したことを後ろめたく思い、仲直りのプレゼントを探そうと骨董品店に入る。そこで見つけたのは、ナチスが使用した「同性愛者の印」だった。同性愛者に対する迫害の歴史をもとにした、トワイライトゾーン風の恐ろしい物語。


『安全航海』(ラモーナ・オースベル)
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 祖母たちが気づくと、そこは海の上だ。なぜそんなところにいるのか、何十人もの彼女らにはわからない。(中略)
 沈みゆく陽に、船は赤く染まる。デッキの上には女たちの小さな輪がいくつもでき、それが星座のように一面に散らばって、さながら高校のカフェテリアだ。最初のうちは忘れていた心配ごとを思い出して、彼女らはあれこれ心配を始める。滑りやすいデッキは、転んで股関節を傷めるのを恐れる者たちの気を大いにもませる。冷蔵庫の中に何もないのに家に置いてきてしまった夫のことも心配だ。きっと今ごろ猫がカウチの頑丈な脚に爪をたてているにちがいない。祖母たちなしではカウチは生き延びられないだろう。もうカウチはおしまいだ。そんなことを彼女らは話す。肩を寄せあって風をしのぐ。
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単行本p.207、211

 病院や家で死にかけていた老婦人たちが、気がつくと船の上にいる。どうやら死出の旅というやつらしいのだが、とにかくみんなでおしゃべりをしたり、積み荷を確認したり、魚を釣ったり、最後のときをエネルギッシュに過ごす。設定は暗いのに、明るさと力強さに満ちた素晴らしい物語。



タグ:岸本佐知子
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