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『ベスト・ストーリーズⅡ 蛇の靴』(若島正:編、岸本佐知子、他:翻訳) [読書(小説・詩)]

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ウィリアム・ショーンの編集長在任期間中には、短篇小説だけでなく長篇やノンフィクションにも大きなスペースが与えられ、歴史に残るような作品が一挙掲載されることもしばしばだった。(中略)また、この時期にはJ・D・サリンジャーをはじめとして、《ニューヨーカー》誌を主な活躍の場とする作家たちが輩出した。《ニューヨーカー》に常勤ライターとして勤務していたこともあるジョン・アップダイクの他にも、ジョン・チーヴァー、ドナルド・バーセルミ、アン・ビーティが挙げられる。
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単行本p.384


 ここ90年間に《ニューヨーカー》誌に掲載された作品から選ばれた傑作を収録する短篇アンソロジーシリーズ。そのうち1960年代から1980年代までをカバーする第2巻です。単行本(早川書房)出版は2016年4月。

 ちなみに、1920年代から1950年代までをカバーする第1巻の紹介はこちら。


  2016年04月11日の日記
  『ベスト・ストーリーズⅠ ぴょんぴょんウサギ球』(若島正:編、岸本佐知子、中村和恵、他:翻訳)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-04-11


 さて第2巻になると、アン・ビーティやドナルド・バーセルミなどなじみ深い作家が登場するようになります。さらにはアーシュラ・K・ル・グィン、ジーン・ウルフというSF・ファンタジー読者にとって大切な名前も。さらには岸本佐知子さんが訳したニコルソン・ベイカーの初期作品という、ファンには見逃せない一篇も収録されています。


[収録作品]

『幸先良い出だし』(シルヴィア・タウンゼンド・ウォーナー)
『声はどこから』(ユードラ・ウェルティ)
『俺たちに明日はない』(ポーリーン・ケール)
『手紙を書く人』(アイザック・バシェヴィス・シンガー)
『ホフステッドとジーン?および、他者たち』(ハロルド・ブロドキー)
『お静かに願いません、只今方向転換中!』(S・J・ペレルマン)
『蛇の靴』(アン・ビーティ)
『大尉の御曹司』(ピーター・テイラー)
『野球の織り糸』(ロジャー・エンジェル)
『脅威』(ドナルド・バーセルミ)
『シュノーケリング』(ニコルソン・ベイカー)
『教授のおうち』(アーシュラ・K・ル・グィン)
『列車に乗って』(ジーン・ウルフ)
『マル・ヌエバ』(マーク・ヘルプリン)



『手紙を書く人』(アイザック・バシェヴィス・シンガー)
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めったに感じたことのない喜びがハーマンを包んだ。彼はまだ、死の淵から生還したことを神に感謝していなかった。逆に憤慨さえ覚えていた。しかし、ネズミを生かしておいてくれたことについては、“天上の力”を讃えずにはいられなかった。(中略)ハーマンは涙を流すような男ではなかった。カローミンの破壊で家族が死んだという知らせを受け取ったときも、目は乾いたままだった。しかし今、彼の顔は濡れ、ほてっていた。彼はネズミ殺しの罪を背負う運命ではなかった。
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単行本p.113

 ナチスに家族全員を殺され、米国に逃げて孤独に生きるユダヤ人の老人。勤め先は倒産し、粗末な部屋にただ一人とり残され、今や肺炎で死にかけている。悲惨そのものの境遇なのに、彼の心を占めているのは、部屋に「同居」している一匹のネズミのことだった。自分が餌をやらなければネズミは死んでしまうだろう。それなのに彼は死にかけており、もう動けないのだ。

 すべてを奪われすべてに絶望した孤独な老人に訪れるささやかな奇跡。どこか深いところで心をうつ作品。


『お静かに願いません、只今方向転換中!』(S・J・ペレルマン)
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カメオ出演を承諾させた何人かの大スターのために、至急に台詞と場面設定を決めてほしいのだと、彼は告白した。扶養家族のために至急に食物がほしいのだと、同じように素直に私は告白した。彼はどんよりした、催眠術師のような目で私を見つめ、私の運勢を占い始めた。〈北極星号〉のような大きさのヨットや、競走馬の廓や、ジェイン・ラッセルをしのぐ乳白色の肌の美女が群れをなす後宮が見えるということだった。私は彼の予知能力に打たれはしたが、冷静さを失うことなく、すぐに現金がほしいのだと言った。彼は私を罵り、着衣をかきむしり、嘆きの声を張り上げたが、やがて出来高払いという原則に同意した。それから数週間、夜毎に私どもはベヴァリー・ヒルズ・ホテルの駐車場で逢った。私は翌日の撮影に必要なシナリオの原稿を握りしめ、彼はそれに見合う現金を手にしていた。阿吽の呼吸で私どもは用意して来たものを手早く交換し、それぞれの車に飛び乗って走り去るのだった。
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単行本p.179

 1956年に公開された映画『八十日間世界一周』の脚本を書いたペレルマンが、その裏話を綴ったエッセイシリーズの一篇。映画の製作プロセスやプロデューサーの俗悪ぶりを思う存分からかい倒す辛辣なユーモア短篇。


『蛇の靴』(アン・ビーティ)
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「問題は、これからどこへ行くか、だ」リチャードがいった。
「シーフード・レストランはどう? モーテルのオーナーに聞いたんだけど、ベビーシッターを呼んでくれるそうよ」
 リチャードは首を振った。
「駄目?」アリスはがっかりした。
「いや、それはいいんだ」リチャードはいった。「さっきの質問は、実存的な問いかけのつもりだったんだが」
「ジツゾンテキって何?」小さな女の子が尋ねた。
「きみのお父さんがでっちあげた言葉だよ」サムがいった。
「この子をからかわないで」アリスがいった。
「あの男の人に借りた双眼鏡、また覗きたいな」小さな女の子はいった。
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単行本p.198

 離婚した夫婦、元夫の兄、元妻の娘、再婚後に生まれた赤ん坊。何でかよく分からないうちに、彼らは同じモーテルに泊まることになる。「蛇には足があるんだが、夏になると脱ぎ捨てるんだよ。森の中にちっちゃな靴があったら、それは蛇の靴だ」(単行本p.184)といったしびれるセリフが飛び交い、無意味にみえて意味深なようにも思える絵空事めいているのに限りなくリアルに感じられるようなドラマが展開するような展開しないような、その見事なバランスと会話のセンスに脱帽する他はない傑作短篇。


『脅威』(ドナルド・バーセルミ)
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 たとえばナカミチ・モデル500は、通常の長さの書物であれば7秒で脱構築し、歪率0.5パーセント、SN比124db、ダンピング・ファクターは60、と米国製書評のとうてい及ばないレベルのテクノロジーに達していた。アメリカの短評は往々にして手書きで作成され、多くの場合ジョン・ケネス・ガルブレイスかジョイス・キャロル・オーツによって書かれていたが、対して日本の書評はコンピュータに管理された白衣の専門家チームにより、社歌(「進め、ナカミチ、永遠に」)を歌う合間に生産された。またこれらの輸入品には、無骨ででっぷりしたアメリカの書評には望むべくもない新機軸がいくつも見られた。サンヨー・モデル350は「ハイ」すなわち過度の絶賛書評を特殊マイクロプロセッサー・ユニットによって抑制するようになっており、またこちらはユニット自体に社歌(「偉大さは、サンヨーよ、可能なのだ」)を歌う機能が付いていた。
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単行本p.287

 米国の書評産業は日本からの輸入品によって深刻な打撃を受けている。旧態依然とした書評家では、最新テクノロジーと護送船団方式によって容赦ない貿易戦争を仕掛けてくる日本に対して勝ち目はないだろう。素直に「作品けなされた、書評家死ね」と言えば済むところを、米国の出版事情から日本のカイシャ(毎朝、従業員が社歌を詠唱したり)まで手当たり次第に皮肉まみれにしてうっぷんを晴らす爆笑ユーモア短篇。ちなみに1980年代には、米国の産業界において「日本の脅威」は深刻な話題だったんです。


『シュノーケリング』(ニコルソン・ベイカー)
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創作意欲の爆発のおもむくままに、ロイヤルは十以上もの作品に一度に着手した。海岸を埋めつくしてのたうつオットセイの群れの中に一人たたずむ尼僧の姿を空撮でとらえたシーンで幕を開ける映画の脚本(そこから先はまだできていない)。ジョイス・キャロル・オーツ全作品を網羅する用語索引(相対使用頻度つき)。「太陽をオムレツで包むことができたら/どんなオムレツができるだろう!」で始まる叙事詩(そこから先はまだできていない)。政治家ダニエル・パトリック・モイニハンの生涯を題材にしたフレスコ画の連作と、同じく韻文劇。国務省にもコンタクトを取った――国家の防衛最高機密を、自分の作曲したピアノソナタの旋律を基に暗号化することはできないか? 頭が固いと見られることを恐れてか、国務省は可能性はあると回答してきた。だがそのころにはロイヤルの興味はもう別の分野に移っていた。
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単行本p.304

 睡眠代行業社と契約した作家が、24時間眠らずに済むハイパーアクティブ状態でばりばり仕事をする。だがもちろん、彼に不足しているのは時間ではなく、才能だった。暴走する彼を待っていた運命とは。軽妙なユーモア短篇ながら、そこはやはりニコルソン・ベイカー。


『教授のおうち』(アーシュラ・K・ル・グィン)
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十一月の暮れかたに闇に呑まれていくその部屋を覗き込むと、窓越しのはかないひかりのなかに屋根や露台の鋭角的な輪郭が映った。どちらも、変わらず乾いていた。ここは雨でなく埃が降る。不公平だな、と彼は思った。教授は家の正面をひらいて、暖炉のスイッチを入れた。絨毯に蹲るちいさな猫を、炎が赤々と照らしだす。ぬくもりという幻影、避難所という幻想。台所の戸口には、“キティ”と書かれた青いボウルに、半分までの乾いたミルクが満ちていた。そして子どもは、もういない。
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単行本p.324

 もともと幼い娘のために買ってきたドールハウスに、教授は夢中になった。極小サイズの家具をそろえ、丁寧に掃除や修理を行い、まるでそこに住んでいるような具合。俗事にかまけているときも、心はドールハウスの中に、陶器の猫と共に、あるのだった。何しろル・グィンが書いた「ぬくもりという幻影、避難所という幻想」ですから、現実からの飛躍が何一つなくてもそれはファンタジー。


『列車に乗って』(ジーン・ウルフ)
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 ぼくは列車の全長についていくつか仮説を立ててみた。とても長いか、とても短いかのどちらかで、というのも、カーヴを曲がるときに(めったにないが)、機関車が見えないからだ。ひょっとすると無限なのか――ただ、それは開いた無限なのかもしれないし、閉じた無限なのかもしれない。もし線路が西に伸びていて、大きな円弧を描き、線路のどこにも車両があるとしたら、回転する大地が際限なく車両を通り過ぎてゆくことにはならないか? 窓から見える景色はまさしくそうだ。一方、もし線路全体がまっすぐだとすれば(その大半はたしかにそう見える)、それは星空のどこまでも伸びていくことになる。ぼくにはそれも見える。たぶん、機関車が見えないのは、ぼくたちのうしろにあるからだろう。
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単行本p.328

 いつから乗っているのか、いつまで乗っているのか、分からない列車に乗って僕は旅をしている。人生の暗喩かと思わせておいて宇宙論。凄腕のSF短篇。


『マル・ヌエバ』(マーク・ヘルプリン)
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私はよく想像した。波の中のどこか、すぐ近くに、かぎりなく優しく包容力に満ちたもうひとつの世界があり、そこではあらゆる疑念が払いのけられ、あらゆる矛盾が解決され、あらゆる恐怖が消え去るのだと。
 マル・ヌエバで過ごした最後の夏の日々のひとつひとつを、私は心から慈しむようにして覚えている。すべてが海と結びついていた。
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単行本p.337

 中南米の独裁国家マル・ヌエバ。語り手は、そこで過ごした最後の夏のことを思い出す。ごくささやかな、幼い少年の小さな冒険から始まった出来事。永遠に忘れることが出来ないあの日と同じ海。不思議なことに、目を閉じて浮かぶものは現実より鮮やかなのだ。美しい風景描写と権力の不気味さを巧みに混ぜ合わせ、深い感動を呼ぶ傑作。



タグ:岸本佐知子
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