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『異類婚姻譚』(本谷有希子) [読書(小説・詩)]


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 ソファに寝そべるその姿を見るたび、私はまるで自分が、楽をしないと死んでしまう新種の生きものと暮らしているような気分になる。(中略)どうしてここまで後ろめたさを感じないでいられるのか。聞いてみたいが、その質問に答えることさえ、この生きものはめんどくさいと言うに違いない。いつの間に、私は人間以外のものと結婚してしまったのだろう。
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単行本p.44


 異質な存在との生活によって変質し同化されてゆく不安を生々しくえがく四編を収録した短篇集。単行本(講談社)出版は2016年1月、Kindle版配信は2016年1月です。


『異類婚姻譚』
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蛇ボールの話をハコネちゃんから聞かされて、私はこれまでずっともやもやしていたことが、ようやく腑に落ちたと感じた。恐らく私は男たちに自分を食わせ続けてきたのだ。今の私は何匹もの蛇に食われ続けてきた蛇の亡霊のようなもので、旦那に呑み込まれる前から、本来の自分の体などとっくに失っていたのだ。
(中略)
 旦那はむしろ、一刻も早く、私と蛇ボールになりたがっているように見える。バラエティ番組を観る時も、一人で観るより楽しいからと、しつこいぐらい私を付き合わせるのは、自分に注がれる私の冷やかな視線を消してしまいたいからに違いない。私と旦那が同化すれば、もう他人はいなくなるとでも思っているのだろう。
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単行本p.53、55

 あるとき自分の顔が夫とそっくりになってゆくことに気付いた妻。面倒なことはすべて妻に押しつけ、そのことを意識さえしていない夫。家でやることといえばゲームとTVのバラエティ番組。他には、何もしない、何も聞かない、何も考えない。子供じみた甘えとスネだけで生きるうちに顔がだんだん溶けて人としての体裁も保てなくなる。妻は、そんな夫にずぶずぶと同化されてゆくのだった。ドメスティック生物都市。

 「ガキ夫あるある」を介して、夫婦という関係の不可解さ不気味さが吹き出してくる中篇。個人的に、隣人の猫捨てエピソードがつらくてつらくて。


『〈犬たち〉』
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「昔、サンタクロースにお願いしたことがあるの。朝起きたら自分以外、誰もいない世界。」
 大きく〈犬〉と赤いスプレーで殴り書きされている道路を横切り、車に乗り込んだ。白い犬たちは一度も離れず、車の後を走ってついてきた。
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単行本p.133

 知人から借りた山小屋に引きこもり、誰にも合わない生活を満喫する人嫌いの女性。生活を共にしているのは、餌をやる必要もなく、排便排尿もしない、純白の不思議な犬たち。いつしか外部との通信は途絶え、麓の町は無人になっている。だが彼女にとってそれは望むところだった。

 静かな終末感ただよう短篇。語り手は得体の知れない異質な存在に同化してゆきますが、相手が「夫」でなく「犬」であるというだけで、どこかほのぼのとした雰囲気に。


『トモ子のバウムクーヘン』
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どうすればいいか分からず、トモ子はリビングのあらゆる変化を見逃すまいと息を殺した。しばらくすると、しっかりと閉め切っていたはずのサッシ窓が足音を忍ばせる泥棒のように動いて、数センチの隙間を作ったのが分かった。もう十年は洗っていないレースのカーテンが風で膨らみ、ソファを優しく撫で始めている。我が家のリビングが、まるでカタログの表紙になりそうなほど心地よさげに見えて、トモ子はうろたえた。リビングが自分を誘惑し、恐ろしい罠に嵌めようとしてょく気がしてならなかった。
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単行本p.140

 人もうらやむ幸福な家庭生活、幸せな主婦。しかしどこか変。騙されているのではないか。いったん気になり始めるとすべてのものが嘘くさく思えてくる。夫、子供たち、飼い猫まで、全員がグルになっている。パラノイア。寒々しく、とげとげしく、心を侵食してゆく家庭という罠に、トモ子は必死で気がつかないふりをする。しかし心の中では「どこまでも続く荒野で、大地の裂け目の前に強制的に並ばされている」のだった。


『藁の夫』
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 気づくと、太陽の下に干したタオルのように愛おしかった彼の匂いが、家畜に出される飼料の臭いに変わっていた。トモ子は立ち上がり、背を向けて横たわったままの中身のない夫を見下ろした。
 もう一人の自分が、どうしてこんなものと結婚したんだろうと頭の中で呟いた。どうして藁なんかと結婚して幸せだと喜んでいたんだろう。(中略)この体を何かで強く打ってみたら、本当に中身がからっぽなのか、確かめられるだろうか。その時、夫を見下ろしているトモ子の頭の中に、真っ赤に燃え上がる火のイメージが生々しく浮かび上がった。
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単行本p.165

 『トモ子のバウムクーヘン』では、家庭というものがバウムクーヘンのように中空であることに気づいたトモ子。だが、こちらのトモ子は中身が空っぽであることを承知の上で藁人形と結婚する。最初は満足できる生活だったが、やがて夫はささいなことでガキのようにスネて、モラハラに走る。これ、火をつけたら勢いよく燃え上がるかしら、だって藁なんだもの。他の夫は粗大ゴミ扱いするしかないのに、燃えるゴミとして処理できるところが藁の夫のいいところ。



タグ:本谷有希子
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