SSブログ

『フィラメント』(小川三郎) [読書(小説・詩)]

--------
蝶が一匹
ぼんやりとした私の周りを
ふわふわと舞っている。

そういうふうに
みんな時間を
つぶしているのか。

人生は短いくせに
つぶさねばならない時間は
こんなにも多い。

ここには山ほど
飲める水があるというのに
蝶は今日もこの待合室に
雨をふらせている。

ざあざあと。

これが物語であるなどと
誰が信じるだろうか。
--------
『音』より


 世界はすでに滅んでいるのに、それでも続いてゆく日常、それは終わりなき終末。日常と終末との関係をていねいに再定義する詩集。単行本(港の人)出版は2015年9月です。


--------
世界が滅亡することについて
みんなもっとよく考えるべきだ。
それは避けられないことなのだから。

私がこんな顔をしていたから
こんな声をしていたから
あなたは言いたい放題だったが
世界は滅亡した。
人間はいなくなった。
それは紛れもない事実であって
既に忘却の彼方にあるのだ。
--------
『武蔵野』より


 どうもこの「日常」というやつが信用できない、馴染めない。実はとっくに終わっているのではないか。そんな感覚を研ぎ澄ませたような作品が並びます。


--------
日常はなにか
漠然としている。
誰かの言った言葉に似ている。

私はついに馴染めなかった。
だから身体をくねらせて
泳ぐように
生きたのだけど
細くなって
やがてちぎれて。

そうなってみるまで
わからないなんて
かわいそうだ。
--------
『日常』より


--------
買った覚えはない。
誰かにもらった覚えもない。
この部屋に来た時から
それはすでにあったのだろうか。

レモンは黄色く輝くように新鮮で
テーブルのあたりを明るくしている。

まるでレモンのほうが
部屋の主であるかのようで
暗澹とした気持ちになる。
--------
『レモン』より


--------
夏はどこも暗くて嫌だ。
行っても帰ってこれない場所が
とてもとても多すぎるのだ。
私はただ
少しだけ光のあたる場所で
じっとしていたかったのに。

袋の中身に目を凝らすと
あなたが微妙に揺らすもので
それはなんでもいいことになる。
欲しいものなど何もないと
何度言っても
あなたは笑う。

いやだいやだ。
夏の最後に顔を突っ込み
悲鳴をあげているのはいやだ。
--------
『酷暑』より


 日常の断片を拾い集めてみたら、そこにあったのは、終わりなくつづく終末という、何だか変なもの。もしかして、これが「日常」の正体なのでしょうか。


--------
今日は晴れの日。
終わりの来ない
終末の日。
命の続く限り
私はここにいて
誰でもない自分を演じている。

私が大声で話し始めると
みなそれぞれに話すのをやめ
私の話に耳を傾ける仕草をした。
誰もが屈託のない笑顔で
私の顔を眺め
しかし誰も
私の話を聞こうとしなかった。
--------
『晴れの日』より


--------
テンやキツネは愛おしかったが
言葉が通じないのが難点だった。
彼らは私を死体と思わず
生きたまんまに食らうつもりで
そのぶんなんだか
他人行儀で
分かり合うのは難しかった
--------
『冬ごもり』より


--------
なんとなく見た夢の中で
私の最後は美しかった。
それが青空だと想うだけで
それはすでに青空だった。
どんなちいさな光でも
私よりかは大きかった。
--------
『冬ごもり』より


 というわけで、終末がいつまで続くのかわからない不安な世界に生きる読者に、違和感とともに共感を与える、不思議な詩集です。


--------
誰も見てはいませんでしたが
私とあなたは神さまでした。
山の上から煙が昇って
長い月日が流れました。

誰かがふたりを呼びに来るまで
少し眠ることにしました。
私とあなたは神さまのまま
山の麓に身を横たえて
花が枯れるのを眺めながら
互いを忘れていきました。
--------
『帰れないふたり』より


タグ:小川三郎
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0