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『地球の中心までトンネルを掘る』(ケヴィン・ウィルソン、芹澤恵:翻訳) [読書(小説・詩)]

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「大丈夫だよ、アレックス。きっとうまくいくからね。何もかも順調だからね、きっとうまくいくって」そのことばを打ち消す筋書きはいくらでも思いつく。そうはならない可能性がいくらでもあることは、ぼく自身がいちばんよく知っている。それでも、今この子に言ったことは本当のことだ。ぼくはそう信じることにする。
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Kindle版No.4748

 レンタル祖母、スクラブルの「Q」の駒だけを集める担当、洗練されたゴミ屋敷の管理人、プロの悲観主義者、そして拳銃で自分の頭を撃ち抜くだけの簡単なお仕事。ありそうでなさそうな職に就き、他人と分かり合えない深い孤独を抱えて生きる人々。現代人の哀しみ、諦念、そしてささやかな希望を描き、心を震わせる11篇。単行本(東京創元社)出版は2015年8月、Kindle版配信は2015年8月です。


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 本作『地球の中心までトンネルを掘る』は、サスペンス、ホラー、ダークファンタジー等の要素を持つ優れた作品に贈られるシャーリイ・ジャクスン賞と共に、ヤングアダルト読者に読ませたい一般向けの作品を対象とする全米図書館協会アレックス賞を受賞した短編集だ。どの作品も、コミカルで現代的な空気を軽やかにすくいとりながら、ビターで複雑な味わいと普遍的な真理を穿つだけの強度を併せ持つ。
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Kindle版No.4778


 他人に理解されない孤独や空しさとどのように向き合ってゆくか。現代を生きる私たちが抱えているどうしようもない哀しみを描いた傑作揃い。個人的に、今年のベスト短篇集に決まりです。熱烈推薦。


[収録作品]

『替え玉』
『発火点』
『今は亡き姉ハンドブック:繊細な少年のための手引き』
『ツルの舞う家』
『モータルコンバット』
『地球の中心までトンネルを掘る』
『弾丸マクシミリアン』
『女子合唱部の指揮者を愛人にした男の物語(もしくは歯の生えた赤ん坊の)』
『ゴー・ファイト・ウィン』
『あれやこれや博物館』
『ワースト・ケース・シナリオ株式会社』


『替え玉』
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今の人生に満足している人でも、まるで別の人生にもそうした人生なりの良さがあることは理解できるものだ。だからこそ、実に自然なことに思えたのだ。新聞の求人欄にこんな広告を見つけたときには――祖母募集します:経験不問。
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Kindle版No.51

 亡くなった祖母の代役を提供するレンタル祖母派遣業。多くの家庭で活躍しているベテラン「祖母」である主人公は、まだ生きている(老人ホームに入った)祖母の代役という仕事に取り組んでいるうちに、それまでのように、家族とは何なのかという問題から目を背けていられなくなる。


『発火点』
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工場に着くと、建物のまえに並ぶ人の列に加わり、まえの人に続いて仕分け室に入り、それから八時間、アルファベットの雨が降り注ぐなかで過ごす。
 ぼくは《スクラブル》の工場でコマを文字ごとに選り分ける仕事をしてる。
(中略)
二十歳のときからこの仕事をしているから、Qのコマを集めだして、そろそろ三年になる。それなりにコツはつかんだけど、コマの山に手を突っ込んだとき、指先に触れる文字がEやNやAだったりすると、その文字の担当だったらいいのに、と思わずにいられない。
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Kindle版No.660、677

 人体自然発火現象で両親を同時に失った主人公は、文字並べゲーム「スクラブル」の工場に勤め、生産ラインから降り注いでくる大量の駒から「Q」だけを集めるという仕事をしている。あまりにも報われない生活、自分も自然発火して無意味に死ぬのではないかという不安。工場まで往復する歩数をひたすら数えることで毎日をやり過ごす。そんなとき、転機となる事件が起きたのだった。


『今は亡き姉ハンドブック:繊細な少年のための手引き』
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シナモン・トーストは真っ黒焦げだ。キッチンの戸口のところからそれを眺めていると、姉が気づいて、にっと笑い、トーストをひとかじりして、半ば無理やり嚥みくだす。姉はそこでまた、にっと笑う。口元からのぞく歯に、パンとパンの焦げたところの黒いかすが付着している。結局はこれが姉に関するほぼ最後の記憶となる。
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Kindle版No.1064

 自傷的な姉とシスコンの弟。その姉を突然の事故で失ったとき、弟である繊細な少年はどのように感じ、どのようにふるまえばいいのか。この大問題をかつてない規模で実用的かつ学術的に探求した権威あるハンドブック。その第五巻から一部の項目を抜粋。


『ツルの舞う家』
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折りヅルが着地するまでのほんの一瞬、父さんや叔父さんたちが互いを押しのけ、手を伸ばすまでのほんの一瞬、ぼくは祖母ちゃんのノブヨ・コリアーのことを考え、祖母ちゃんがどこか遠いところに、折りヅルたちさえたどり着けないほど遠いところにいることを願う。そして、その場所で幸せになれたことを願う。
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Kindle版No.1623

 いがみ合ってばかりの息子たちに和解の機会を与えようと、日系人である祖母が残した遺言。それは全員で分担して千羽鶴を折るというものだった。だが、ろくでなし揃いの兄弟はいさかいを止めようとしない。その見苦しい様を見せつけられることになった孫は、天に舞い上がる折り紙のツルを見ながら、幸薄い祖母の冥福を祈ることしか出来なかった。


『モータルコンバット』
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スコッティに握られ、あいつの手のなかで噴射したことを思い出す。それからスコッティを殴ったことを思い出す。そして深く恥じ入る。どちらのことについても。できるものなら、以前の状態に戻りたいと思う。ふたりとも幸せではなく、人気者でもなく、そこから脱却することも変わることもできずにいたあの状態に、戻れるものなら戻りたいと思う。
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Kindle版No.1924

 他に友達がおらず、昼休みは図書室の視聴覚室に閉じ籠もってひたすらトリビアクイズの応酬をしていた二人のナード少年。それなりに安定していた二人の関係が、しかし突然に性的なものに変容してしまう。

 そもそも自分たちはゲイなのか、それとも一時的に気が変になっただけなのか。このまま関係を続けるか、それとも互いに唯一の友達を失うか。深刻に悩み混乱する二人。いかにもナードらしく、対戦型格闘ゲーム『モータルコンバット』で決着をつけるというなりゆきに。


『地球の中心までトンネルを掘る』
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そう、三人とも気づいていなかったのだ。大学生活というのは、その先の人生に乗り出していくための準備期間だということに。卒業した暁には、実社会できちんと定職に就き、自分の身は自分で養い、一般家庭向きの実用的な車を買ったり雑誌の定期購読を申し込んだりというようなその他もろもろの事柄を、なんなくこなせるようになっているべきなのだ、ということに。そんなふうに世間から期待されている行動との距離感のようなものが、ぼくたち三人にシャベルを持ち出させたんじゃないだろうか。ぼくには、それ以外に、理由らしきものは思いつかない。
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Kindle版No.2092

 大学を卒業した後も何となくぶらぶらしていた三人が、自分たちにもよく分からないままに地面を掘り始める。ひたすら掘り続け、トンネルはどんどん伸びてゆき、やがて三人は地上に戻らなくなる。地下深くで、これ以上に満足すべき幸福な生活はないとさえ感じる三人。だが、もちろん、いつまでもモラトリアムが続くはずはないのであった。


『弾丸マクシミリアン』
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最近ではショウを見ること以外はほとんど何もしてない。バスに揺られてるあいだは、窓のそとをぼんやりと眺めながら、スービーのことを考えてる。あの大きくて、澄んでいて、吸い込まれそうなブルーの眼のことを考え、嬉しいときにはどんな眼をして、哀しいときにはどんな眼をしてたかを思い出してみる。そして、スービーのとこに帰りたくなる。
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Kindle版No.2662

 下世話な出し物を売りにしている見せ物一座の看板演目は、拳銃で自分の頭を撃ち抜く驚異の男マクシミリアンだった。その噂を聞いてからというもの、見たくて仕方ない主人公は、何とか恋人のスービーを説き伏せて一緒に見に行くことにしたが……。


『女子合唱部の指揮者を愛人にした男の物語(もしくは歯の生えた赤ん坊の)』
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 確かに赤ん坊は登場するし、それから、そう、歯のことにも触れる。だけど、そのふたつはあくまでも添え物だ。そっちにばかり気を取られないでほしい。特別なことでもなんでもない。その赤ん坊には歯が生えているというだけのことだ。
(中略)
 いずれにしても、この話はその赤ん坊のことではなく、その赤ん坊の父親のことだ。赤ん坊の父親は、とある私立学校で生物の教師をしていて、その学校の女子合唱部の指揮者と情事を重ねている。というわけで、罪悪感あり、不埒な欲望あり、裏切りと欺瞞あり、この手の話にはつきもののあれやこれやがあって、要するにわれわれの日常生活が赤裸々に語られることになるわけなんだが、そうか、それでもやっぱり、赤ん坊のことが気になるわけだな。
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Kindle版No.2680

 ある男の不倫、その発覚、お決まりの修羅場、という物語を通じて人の執着について語る作品。であるはずなのに、聞き手であるあなたは、生まれたときから歯が生え揃っている赤ん坊のことで頭がいっぱいだ。何とかしてあなたの注意を人の執着心についての物語に引き戻そうとするが、どうしてもあなたは歯が生え揃っている赤ん坊のことが気になってしまう。


『ゴー・ファイト・ウィン』
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やりはじめると不安になる。途中で急に、あれ、あたし、もしかしてショーツを穿いてないんじゃない? という実に筋の通らない、根拠もへったくれもない恐怖に襲われるのだ。チアリーダーとして体育館の硬材張りのフロアに飛び出していく瞬間から、演技を終えて更衣室に引きあげるまで、ペニーは息をころし、自分の存在が誰の注目も集めないことを祈るような気持ちでいる。それでも、観客席に眼を向けたととき、そこにクラスメートがぎっしり坐っていることに気づくと、あの子たちと一緒にあそこに坐っていなくていいのはありがたいことだとも思う。ごくわずかとは言え、とりあえずそんなふうにほかのみんなから距離を置けるのは、ほっとできることだった。
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Kindle版No.2957

 母親の強引な勧めでチアリーダーチームに参加した主人公は、その優れた運動能力と顔だちの良さで、仲間からも一目置かれる。だが、本当はギークな彼女が心からやりたいことは、自室に閉じ籠もってプラモデルを作ること。

 どうしてもチーム仲間に馴染めず、他人との会話が苦手な彼女だったが、あるとき、同時に二つの事態が進展する。一つは、自分と同じような変わり者タイプの年下ギーク男子に出合って衝動的にキスしてしまう。もう一つは、ふとした事件がきっかけとなってチームの人気者となり、みんなからパーティに誘われたり、イケメンのスポーツマンに口説かれたりする。

 二つの人生の間で悩めるヒロイン。というのは嘘で、彼女は少しも悩まない。本書収録作品中で個人的に最も気に入ったラブストーリー。


『あれやこれや博物館』
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当博物館では、コレクションに対する思い入れという面にもかなりの重きを置いている。蒐集されてきたものが、それを集めていた人物の日々の暮らしのなかでどのような位置を占めていたのか、集めたコレクションが当人にとってどのぐらい心の支えとなっていたのか、そうしたことがコレクションを評価する際の加点ポイントとなる。そんなわけで、文字を切り抜いて蒐集していた少年が、自分のコレクションの一部を使って遺書をしたため――この世界にぼくの居場所はない――その後自殺を遂げた時点で、当博物館は新たな展示品を手に入れたとも言える。
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Kindle版No.3997

 他人から見るとただのゴミにしか見えないものに執着し、ひたすら集める人々。彼らの収集品を集めて展示する、いわば洗練されたゴミ屋敷ともいうべき博物館。そこを独りで管理している主人公は、徹底したミニマリスト。ものを持たない、ものに縛られない生活をしている彼女には、ものに執着する人々のことが理解できない。

 友達も恋人も持たないシンプルな人生にそれなりに満足していた主人公だが、博物館に定期的にやってくる客に淡い恋心を抱くようになる。彼は自分の母親よりも年上の高齢者だが、執着心さえあれば歳の差なんて。でも、問題は、彼女には他人に対する執着心が欠けていることだった。


『ワースト・ケース・シナリオ株式会社』
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ぼくはそうやって客先の企業に、起こりうる最悪の筋書きを残らず提示し、それに対して客先の企業はけっこうな額を支払う。ぼくを送り出すときには、先方はおしなべて不安を募らせ、いわゆる深い憂慮の表情というやつを浮かべていることが多い。けれども、それに対して力になれることは何もない。ぼくが提示できるのは、起こりうる事態であって、それをどうやって防ぐかではない。
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Kindle版No.4419

 顧客に対して、起こりうる最悪の事態を、裏付けとなる統計データやシミュレーション画像と共に提供するワースト・ケース・シナリオ株式会社に勤めるコンサルタント。悪い事態を想定することに関して徹底した訓練と経験を積んだ、いわばプロの悲観主義者だ。

 何もかもが悪くなるという確信と共に生きている彼は、そのせいで顧客からは殴られ、恋人にはふられ、おまけに若年性の脱毛が進行してゆく。そして今や、仕事のトラブルで解雇されようとしている。人生は予想通りだ。

 しかし、そんな彼も、生まれたばかりの赤ん坊の運命を悲嘆する母親を前にして、ついに苦い楽観主義に屈する。きっとうまくゆく、大丈夫だ、もちろん嘘だけど、そう信じることにする。


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