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『カステラ』(パク・ミンギュ、ヒョン・ジェフン:翻訳、斎藤真理子:翻訳) [読書(小説・詩)]

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 どんなに隠しても
 いずれ人間は、この世はめちゃくちゃだということに気づく。

 どんなに隠しても
 結局はタヌキがいるということに気づくように。
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単行本p.56

 地球は平たいマンボウで、三億個の卵のうち生きられるのは一つだけだとしても、それでも僕らは、小学校からいくつも塾に通い、仲間を蹴落とすための競争に明け暮れて、倍率140倍の公務員試験に毎回落ち、バイトをいくつも掛け持ちしながら、借金を返すだけで年老いてゆく。なんでそんなことになっちゃったんだ?

 街を襲う巨大ダイオウイカ、背中をあかすりしてくれるタヌキ、駅のベンチに座っているキリン、地球外知的生命体とコンタクトするヤクルトおばさん、ヘッドロックかましてくるハルク・ホーガン、そしてグローバル化された世界を渡ってゆくスワンボートの群れ。超現実的なリアルで僕たちの社会を描き、韓国の文学賞を総なめにした著者の短篇集。


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90年代以降の韓国文学は、時代性や社会性の束縛から脱し、個人の内面や隠された欲望などにその視線を向けている作品が多い。特に最近では、作品を支配する民族的・地域的自意識がほとんど見られなくなっている。それは作品の空間的背景がそれほど意味を持たなくなったことに他ならない。(中略)作品の背景がどこであろうが、読者は同時代を生きる一人の人間として、登場人物に強く共感できるのが、21世紀の小説ではなかろうか。
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単行本p.330


 韓国文壇に彗星のごとく現れて、主な文学賞を総なめにした、現代文学を代表する一人、パク・ミンギュの第一短篇集です。グローバル時代のリアルな生活実感と、巨大怪獣や空飛ぶ円盤の襲撃が、ごく当たり前に共存する素敵な作風。とにかく面白い。泣けるし、笑えるし、興奮する。

 とにかく読んでほしい。熱烈推薦。
 さすがタヌキだね、そうですか、キリンです。


『カステラ』
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 冷蔵の世界から見たら、
 この世はなんて腐りきっていることか。
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単行本p.17

 世紀の変わり目。腐らせてはいけない大切なものと、隔離しておくべき腐ったものを、どんどん冷蔵庫にしまう語り手。両親とか、学校とか、生活保護受給者とか、外国人労働者とか。そしてもちろん、アメリカと中国、まるごと。冷蔵庫の中でグローバル化が進行し、やがて静かになる。ドアを開けた語り手がそこに見たものは……、まあ、タイトル通りなんですけど。


『ありがとう、さすがタヌキだね』
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 じゃあ、これからは別々の道を歩むわけだね。
 寂しいかい?
 寂しいよ。
 でも、この世にはタヌキがいるってことだけは忘れるなよ。
 うん、ありがとう。
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単行本p.51

 正社員になれるのはこの中で一人だけ。競争、競争、タヌキになりたくなかったら仲間を蹴落とせ、セクハラを受け入れ、誰よりも長くサービス残業しろ。「もうこうなっちゃった世の中を、今さらどうするわけにもいかない」(単行本p.35)けど、でも、タヌキはいるよ。空飛ぶ円盤から降りてきたり、サウナで背中をあかすりしてくれたりするよ。タヌキだからね。


『そうですか? キリンです』
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明け方の電車にくたびれた身をあずけると、闇の中の誰かに体を押されているような気がした。押すなよ、もう押すなって。なぜ世の中は、プッシュするばかりなんだろう。なぜ世の中には「プッシュマン」ばかりで「プルマン」はいないんだろう。
そしてなぜ、この電車は、

 人生は、この世は、いつも揺れているんだろう。
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単行本p.87

 父親の借金を返すために駅の押し屋(プッシュマン)のバイトを始めた若者。人間から尊厳も何もかも剥ぎ取ってひたすら電車に詰め込む過酷な肉体労働に明け暮れるうち、あるとき自分が押し込んでいるのが父親だということに気づく。そのまま失踪してしまう父、過労で倒れる母、寝たきりの祖母。だから今日も必死になって他人をプッシュする。プッシュする。プッシュする。そんなとき、駅のベンチに腰かけているキリンを見た若者は直感する。あれは父親だと。そうですか? キリンです。


『どうしよう、マンボウじゃん』
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 マンボウは一度に三億個ぐらいの卵を産みます。その中で成魚になれるのはたった一、二匹なんですよ。人類も同じではないでしょうか?
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単行本p.112

 この世界はあまりにも、しょうもない、と気づいてしまった若者が、長距離バスに乗って地球を離れる決意をする。外から見た地球は平べったい円盤。あれがいわゆる、フラット化された世界? いやいや、どうしよう、マンボウじゃん。


『あーんしてみて、ペリカンさん』
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 助けようもなく、どこの誰なのか知りようもないが、この世の果てでボートに乗る人たちがいる。深夜電力が流れるように、ボッチャン、ボッチャン、ボッチャン、ボ。

 それがボートピープルなのだ。
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単行本p.128

 遊園地だと称するため池(と壊れたモグラ叩き)のそばでスワンボートの貸し出し管理人のバイトをする若者。人生に疲れた人々が、平日にやってきては、スワンボートに乗って、ボッチャン、ボッチャン。わびしく、希望のない日々。そんなとき、中国に出稼ぎにゆく途中の空飛ぶスワンボートピープルの群れがため池に舞い降りる。季節労働者たちの「渡り」の途中なのだ。気づいたら社長はスワンボートに家族を詰め込んで米国に出稼ぎに飛んで行ってしまった。さて、どうしよう。


『ヤクルトおばさん』
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 ボイジャー2号が宇宙の知的生命体に遭遇したのは、天王星の付近を通過するころだった。当然、宇宙の知的生命体は人類のメッセージと、ヤクルトおばさんに出会うことができた。彼らは聞いた。あなた方が乗り越えたい、また乗り越えて目指したい世界とはどのようなものですか? 落ち着いてヤクルトを配りながら、ヤクルトおばさんが言った。それはすなわち、ヤクルトが夢見る世界です。
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単行本p.165

 高度資本主義経済のどんづまりで押しつぶされるドードー鳥の僕たち。36ヶ月分割払いで排泄したクソを自分で食べながら絶滅してゆく。市場がすべてを解決する。市場は運命である。しかし、そこに、ヤクルトおばさんが登場したのだった。


『コリアン・スタンダーズ』
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後ずさりするような動きで、円盤たちは徐々に退き始めた。だめだ、と再び僕は叫んだ。円盤たちが移動したのは他ならぬトウモロコシ畑で、ほぼ同時に僕らはトウモロコシ畑に向かって駆け出した。人間が最善を尽くす理由は、無力だからである。この事実に、僕は走りながら気づいた。
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単行本p.202

 未来は農村にある。かつて学生運動の闘士として公安に逮捕された先輩が、農村に築いたコミューンを訪れる語り手。有機農法こそが世界を変えるんだ。熱い言葉とは裏腹に、相次ぐ不作、膨れ上がる借金、次々と逃げ出す同士たち。今や先輩一人になってしまった荒れ果てた農村に、追い打ちをかけるように空飛ぶ円盤が襲撃してくる。円盤から放たれた怪光線で牛が盗まれ、不思議な力でトウモロコシ畑に現れる韓国産業規格KS適合マーク。やりたい放題むしってくるFTA、じゃなくてTPP、じゃなくて、そう、宇宙人。あいつらは何もかも知っててやってるんだ。


『ダイオウイカの逆襲』
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 読んでいた『少年中央』を、僕は閉じた。『少年中央』なんか読んでる場合じゃない。それは、人類にとっても、人間にとっても、一人の少年にとっても常識に等しいことと思った。世界のどこかにダイオウイカがいる。ということは、人類は、人間は、少年は決してうかうかしていられないということではないか。
(中略)
150メートルってことだと……たとえば「ゴジラ」シリーズを全部ひっくるめても、それほどの怪獣はキングギドラとモスラ、マンダぐらいしかいないんだ。そんなのが実在するなんて、驚きだな。
(中略)
僕は何らかの理由によって陸に上がってきた体長150メートルのダイオウイカのことを想像してみた。グゥウーン。何となく、イカはそんな鳴き声を出すような気がする。数万トンの体重を支える足のいぼは、手当たり次第に何もかもを破壊するだろう。
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単行本p.209、210

 少年科学雑誌に載っていた体長150メートルのダイオウイカ。深海に潜み、人類への逆襲を狙っている大怪獣。そんなものが実在したなんて。月の裏側の念写や地球空洞説について熱く語ってくれる理科の先生に報告すると、ケタが間違っているんじゃないかな、と言われる。翌月には科学雑誌に、ダイオウイカの体長は150メートルじゃなくて15センチでした、という訂正記事が載る。大人なんて、みんなこうだ。

 しかし、体長150メートルの巨大ダイオウイカは実在した。その群れに襲われるソウルの街。崩れ落ちるビル、破壊される高架道路。今や空軍のパイロットとなった語り手は空軍基地から緊急発進してソウルへ向かう。なんでそうなるんだよ、だから大人は信用できないんだ。


『ヘッドロック』
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ヘッドロック講座、ヘッドロックセミナー、ヘッドロック伝導集会、ヘッドロックワークショップ、ヘッドロッククリニックに至るまで----とにかくヘッドロックはもはや韓国の普遍的な生活文化となっていたが、僕は苦笑いするしかなかった。本場ものを知っている僕から見れば、それこそ鼻で笑ってしまうレベルだったから。
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単行本p.257

 米国留学中、散歩の途中でハルク・ホーガンにヘッドロックをかまされて失神した語り手。一念発起して身体を鍛え上げ、手当たり次第に他人にヘッドロックをかけて失神させまくる生活へ。やがて韓国でもヘッドロックが大ブームを巻き起こし、意識高い系の人々はこれからはヘッドロックで勝ち組だと、フィーバー、フィーバー。だが語り手は、そんな「にわか」に背を向け、ひたすら真のヘッドロッカーを目指す。ハルク・ホーガンにヘッドロックをかけて失神させるその日を目指して。


『甲乙考試院滞在記』
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僕は確かにかつて、ネズミの体から生えた人間の耳の中の蝸牛菅の中のかたつむりのようにして、その考試院のいちばん奥の部屋で暮らしていたことがある。かなり前のことではあるが、確かな事実だ。もしもあなたがそんなところに住んだことがないなら、くれぐれも「蝸牛菅の中にかたつむりはいない」などと難癖つけることは慎んでほしい。言っておくが、この世では何が起きるか誰にもわからない。
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単行本p.267

 多額の保証金を用意できないと部屋も借りられない韓国の賃貸住宅事情。保証金なしで借りられるような極端な安アパート、ベニヤ板で区切っただけの三畳の密室。足を伸ばして寝ることも出来ず、隣から苦情がこないよう呼吸を殺して静かに静かに潜伏していた二年半。あれは何だったんだろう。「もしかしたら、僕は相変わらずあの密室に住んでいるのかもしれないと思ったりする」(単行本p.297)。


『朝の門』
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お互い、門を出たところの出会いがしらで、

 ここから出ていこうとする者と
 そこから出てこようとする者とが

 そんなふうに対面したのだった。
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単行本p.325

 ネットで知り合った名前も知らない人々との集団自殺。他の人は首尾よく目的を達したのに、僕だけは生き延びてしまう。なんだそれ。仕方なく首をくくろうとしたところで、僕は窓から見てしまった。隣のビルの屋上で、若い女が泣きながら、ただ一人で出産しているのを。そのとき、僕は知った。「人間は生まれるのではなく、こぼれ出てくるのだという事実を」(単行本p.325)


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