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『花と死王』(中本道代) [読書(小説・詩)]

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鳥たちが燃えて飛び立っていくね
その炎に包まれた小さな脳髄がこの世を記憶する

わたしたちも眠ることができるだろう
眠りの中で
再び絡み合った森の中でもがくだろう
そしてまた見つけるのだ
わたしたちすべてを
その変形した一つ一つの姿を

死王よ
雪が約束されている
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『交錯』より

 誰の目にもふれることのない光景。足もとにぽっかり開いた無窮と永遠。想像力を刺激する静かな怖さが読者を魅了する詩集。単行本(思潮社)出版は2008年7月です。

 死王よ 雪が約束されている。
 一度目にしたら、もう忘れることが出来ない素晴らしい一節。想像力が刺激され、遠くに連れてゆかれます。


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ヒマラヤの湖に
夜が来て朝が来ても
ただ明暗が変わるだけ
そこでの一日とは何だろう

風が訪い続けて
そこでの一年とは何だろう

ヒマラヤの湖に
だれかが貌を映すだろうか

ヒマラヤの湖に
小さな虫が棲んで
何も考えることなく
くるりくるりと回っているだろうか
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『高地の想像』(全文引用)


 ヒマラヤの湖に だれかが貌を映すだろうか。
 誰もいない、誰も見ない、けっして知覚されることがない、そんな風景のなか、水中でくるりくるりとただ回り続ける永遠。想像すると、すこんと足元が抜けるような畏怖を感じます。これがね、怖いけど、癖になるんですよ。


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都市の汚れた小さな川に
鯉が太り
夕暮れを映してひとすじに
曲がってさらに都市の中心へと
流れていく

小さな川も空を映せば
底なしになり
鯉はおびただしく
川を泳いでいるのか空を泳いでいるのか
わからない眼を見開いている

汚れた川と
汚れた家々

空が
幾十億度めかの夕暮れを
初めてのように染め上げると

深く巨きな虚無の闇が
どうしても また
宇宙の胎から拡がってくる
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『鯉』(全文引用)


 幾十億度めかの夕暮れ。
 ヒマラヤ山中まで想像力を飛ばなくても、ごくありふれた身近な光景のなかに、無窮と永遠がぽっかり口を開いている、この感じ。これ、子供の頃の原体験ですよ。


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海と家の境界はあいまいで
海が家へと逆流することも
人が海へと引き込まれることも
ありそうな暗いバルコニーだった

どんな人が棲むのだろう
家の奥深く隠れて 揺れている人々を
うらやましいとわたしは思った
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『夢の家』より


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風がガラス戸を揺らして
冬が来た

なすすべもなく寝ころがる病気の子の
瞳の中でガラス戸が鳴り
曇りガラスの向こうで
しきりに何かが訪う気配

それが人ではないことを
病気の子は知っているけれど

助けて と
誰に言っても無駄なことも知っているけれど

懐かしさと怖さで
ガラス戸に向かって瞳を見開いている

これから冬が来て
咳で胸がつまり
その時には
苦しいとさえも思うことができなくなり

あの
陽が当ったり翳ったりするガラス戸だけが
誰もいない野の果てなさを
子供に伝え続ける
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『到来』より(全文引用)


 家の奥深く隠れて 揺れている人々。
 誰もいない野の果てなさ。
 自らの空想に逃げ場なく追いつめられていた子供の頃の想い出が、その感触が、ひりひりと蘇ってきます。

 こういう怖懐かしい作品が大半ですが、ときに犬愛がほとばしっている作品もあって、それも好き。というか、まあ、どれもみんな好き、です。


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わたしは犬といっしょにインドに行きたい。そしてフランスに。犬は、小さな男の子になっているだろう。きちんとした服を着て、お行儀よく半ズボンから突き出している膝を揃えてわたしのそばに座っているだろう。時々、興奮して立ち上がるだろう。そうすると小舟は揺れる。わたしは彼を押さえるだろう。彼は船べりに手をつき、水面に顔を突き出し、水を飲むかもしれない。そのとき、男の子の中から犬が、あらわれ出るだろう。血統正しい、そしてあまりにも犬らしい、普遍的な犬である犬。
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『犬』より


タグ:中本道代
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