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『笙野頼子三冠小説集』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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 さて、私がいない事になってしまったら喜ぶであろう人々が固めた嫌な世界の陸から、電子というばくちの海に、この本を投げ入れる。浮いていてくれるのか、さらなまら、さらなまら、さらなまら、さらなまら、百年未来もこの固まった国の痛む言葉を、少しでも楽にしたい、最後まで書きたい。
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Kindle版No.3380

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第100回。

 タイトルの通り、新人作家の登竜門とされる主要な文学新人賞を受賞した三作品を収録した一冊。文庫版(河出書房新社)出版は2007年1月、Kindle版配信は2015年2月です。


 収録作品は次の通り。

『なにもしてない』(野間文芸新人賞受賞)
『二百回忌』(三島由紀夫賞受賞)
『タイムスリップ・コンビナート』(芥川賞受賞)


 このうち、『なにもしてない』と『タイムスリップ・コンビナート』については、電子書籍版を紹介していますので、そちらを参照して下さい。

『なにもしてない』
2013年11月01日の日記:
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-11-01

『タイムスリップ・コンビナート』
2013年04月02日の日記:
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-04-02


 ここでは、『二百回忌』を紹介します。


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 私の父方の家では二百回忌の時、死んだ身内もゆかりの人々も皆蘇ってきて、法事に出る。それがどうも他の家と違うところらしいが、よその家でも皆そうなのだと、子供の頃はずっと思い込んでいた。法事の間だけ時間が二百年分混じり合ってしまい、死者と生者の境がなくなるのだ。
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Kindle版No.903

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とりあえず死者が蘇るのを見られる上、法事の間中ありとあらゆる支離滅裂な事も起こるのだという。しきたりを重視する他の法事と異り、無礼講が身上の珍しい行事なのだ。掟破りの解放感を意識的に求めるので、本家の人々も命懸けで、出目な事をしなくてはならないらしい。といっても人殺しや放火をするわけではなく、全てをめでたくし、普段と違う状態にしなくてはならないのだった。
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Kindle版No.932

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当主は普段は最も重要な役割を演ずるのだが、二百回忌だけは出来るだけ無意味などうでもいい位置で、なるたけ馬鹿げた態度を取っていなくてはならないのだった。六百年程前の二百回忌の時の当主などは、庭で蛙の鳴き声ばかりやっていてそのまま冬眠してしまったとまで言い伝えられ、今でも褒め讃えられていた。
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Kindle版No.1148


 郷里でとりおこなわれる二百回忌の法事。そこでは時間をはじめとして日常的秩序が根底から崩され、死者も平然とヨミガエリして混じってくるという。そんな奇妙な祝祭空間に迷い込んでしまう沢野千本、37歳。


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私の家はどうも、こういう法事のためにだけ存続して来たようなものであるらしくて、家だとか存続だとか古臭い言葉でしか、説明出来ないようなものばかりがまさに続いていた。
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Kindle版No.917


 田舎の古いしきたりや家制度といったものを嫌悪して故郷を飛び出してきた沢野千本。親も、土地も、すべてを捨てたはずなのに、やっぱり逃れることは出来ません。


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 私にはもう親というイマジネーションがなくなっていた。今の私を土地だの血縁だのに結び付けているのは、結局二百回忌と死者の記憶だけだ。(中略)

変な名前の土地へ、好奇心と義務感に引きずられて、会いたくもない人々に会いに出掛けるのだ。いや、そういえば死者の中にならば会いたい人がひとりいたが、それも、母方の祖母なのである。
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Kindle版No.958、965

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行こうと思えば定期を解約してでもお供えを包まなくてはならないのだが、日が迫ると行こうと思う、は行くべき義務、に変換されてしまい、本当に定期を解約してしまった。恐ろしい事に、家に縛られる自分というマイナスのイメージがどこからも湧いて来なかったのだ。ただ死者を懐かしみ会いに行くのだと、事は個人の心の問題に摩り替わっていた。
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Kindle版No.927


 土地の呪縛おそるべし。こうして彼女は電車を乗り継いで、歪んでゆく時間のなか、郷里に向かうことになるのでした。

 価値観を破壊あるいは逆転させ(例えば「フェミニスト」が珍重されたりする)、無茶苦茶で支離滅裂な愚行も何だか「粋」とか「乙」みたいな雰囲気で称賛され、出席者も「爆笑しながらトンガラシ汁で涙を流し続けている内に、異常に気分が高揚して来る」(Kindle版No.1167)、そんな二百回忌のハレ模様がつぶさに語られ、読者も気分高揚。

 しかし、結局、亡くなった祖母との再会は期待外れに終わり、嫌な男からはからまれ、共同体の因習的抑圧的な底流に鬱憤たまった沢野千本、ついに怒り爆発。通常なら許されるはずのない女の乱暴狼藉も、二百回忌ゆえにかるーく流され、ややこれは珍しいフェミニストさんやフェミニストさんや、やれめでたや、ほれめでたや。

 というわけで、収録作のうち最も賑やかで、カラフルな作品です。沢野千本のシンボルカラーは赤、ということに決まってしまったのは、服装から唐辛子まで、本作に頻出する「赤」のイメージがあまりにも強烈だったためでしょう。


タグ:笙野頼子
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