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『病原体はどう生きているか』(益田昭吾) [読書(サイエンス)]

 「いまから十年ほど前になるが、ジフテリア菌についての講義を終えた後で、ひとりの学生が、どうしてベータ・ファージが毒素遺伝子をもっていなければならないのか、と質問したことがある。それまで、私はそのようなことを考えたことはなかった」(Kindle版No.2098)

 「コレラという病気がコレラ菌によって引き起こされることは誰でも知っているが、コレラがコレラ菌にとってどういう意味があるのかを考えることは普通はしないだろう」(Kindle版No.845)

 「今でも病原体を、私たちに対して悪意を抱いている存在であるとする見方は、広く受け入れられるものであろう。(中略)彼らも私たちと同じ生物であるということがどれくらい実感できるかを考えてみたい」(Kindle版No.839)

 病原体を「私たちを病気にするために存在する悪意の存在」と見なすのではなく、生存するために様々に工夫している「私たちと同じ生物」と見なす観点から考えてみる。病原体の「理解」を通じて新たな治療方針を探る本を、Kindle Paperwhiteで読みました。新書版(筑摩書房)出版は1996年7月、Kindle版配信は2014年8月です。

 「抹殺療法的発想によって古典的伝染病が研究されてきたことは、病原体の与える害を被害者としての人間の側から見ることに熱心なあまり、病原体の真の意図を見逃してしまう結果にもなったのではないか(中略)。簡単に言えば、病原体が与える害というものは、それが一個の生物として存続するために必要な戦略であり、戦術の結果である場合がほとんどである」(Kindle版No.1792、1795)

 病原体は別に人間を病気にすること自体を目的として活動しているわけではない、あるいは「医学的な重要さと、ウイルス自身にとっての生物学的意義とが食い違っている場合も多い」(Kindle版No.508)ということ。そこに焦点を当てて、様々な疾病について解説してゆきます。

 「ペスト菌は、ネズミに寄生しているノミの身体の中でよく増殖するが、そのことによってノミは死なない。そうなると、ペスト菌にとっての本来の宿主はノミではないか(中略)ペスト菌の感染環の保持には、ヒトという宿主は必要とされていない。ペスト菌にとって、ヒトという動物種の生死は関心事ではないということになる」(Kindle版No.549、554)

 「日本脳炎ウイルスも、ヒトにおいては致死性が高いものであるが、本来の宿主であるブタに対しては、はるかに致死性が低い。ただ日本脳炎ウイルスの場合は、媒介する蚊の身体の中で大規模に増殖することが知られているが、このような蚊には特別の障害が見られない」(Kindle版No.528)

 「さらに蚊では、卵を介してウイルスが子供に伝えられるから、実はブタも蚊に血液を提供するための存在で、本来の宿主ではないという見方もできるかもしれない。とすれば、蚊のほうが本来の宿主ということになる」(Kindle版No.531)

 本来の宿主には害を与えず平和的に共生しつつ増殖する微生物。それが、たまたまヒトの身体に入り込むとエラーを起こして激烈な症状を引き起こす。現在、世界的な問題になっているエボラについても同じことが言えるでしょう。エボラは人類を「攻撃」しているわけではないのです。

 「コレラに特徴的な下痢はコレラ菌が作ったコレラ毒素によって起こされる。したがって下痢が起きることがコレラ菌にとって全く意味がないと考えるほうが、私には不自然に思われる。むしろ毒素によって起こされた下痢が、コレラ菌の生存や増殖に役立っていると考えてみたい」(Kindle版No.860)

 「患者あるいは患獣を殺した破傷風菌は、屍体から得られる栄養を使って爆発的に増殖できる。(中略)破傷風菌の場合、患者は、通常の感染症とは違って存続を託す環境ではなく、土壌という自分にとっての本来の環境の栄養条件を、良くするための栄養源である」(Kindle版No.1112、1114)

 「感染免疫という現象も、結核が、発病しなかった人々に免疫を与えるという結核菌にとって一見不利な結果をもたらすと見るべきではない。むしろ開放性結核の患者の生命を永らえさせるというほうが、結核菌にとっては意味のあることだと考えられるのではないだろうか」(Kindle版No.1305)

 なぜコレラにかかると下痢をするのか。なぜ破傷風菌はあれほど致命的な毒素を作り出すのに、結核菌は患者をすぐには殺さないのか。病原体の側に立ってその利益を考えることで、色々なことが、ふに落ちるということがよく分かります。

 ジフテリア菌の話題は本書のハイライトというべき話題。症状が引き起こされることで「誰が利益を得るのか」を考えることで、実行犯と黒幕の関係が明らかになってゆきます。

 「もともとジフテリア菌は毒素を作らなくても、すなわちジフテリアという病気を起こさなくても常在菌として存続できると考えられる。(中略)ほんとうの主役はジフテリア菌ではなくて、バクテリオファージである」(Kindle版No.934)

 「ベータ・ファージは、宿主菌の環境である咽頭粘膜から、摂取する栄養を増加させなければならない。それには粘膜を破壊して、無理やり生体の栄養を奪いとる以外にない。これがベータ・ファージが毒素遺伝子を使って、ジフテリア菌にジフテリア毒素を作ってもらう理由であると考えられる」(Kindle版No.1028)

 「ファージの本体がファージ粒子ではなくてプロファージではないかと考えたきっかけは、ジフテリア菌を宿主とするベータ・ファージというテンペレート・ファージが、自分の遺伝子のほかにジフテリア毒素の遺伝子をもっているという事実だった。(中略)プロファージがファージの根元的存在様式と認識されにくいのは、それが宿主菌の染色体の一部として存在する、ひとつながりのDNAに過ぎないからではないだろうか」(Kindle版No.2147、2152)

 宿主を殺すことには大きな不利益があるのに、なぜジフテリア菌はジフテリア毒素を作るのか。実はその真犯人は、毒素を作らせる遺伝子を持ち込んでジフテリア菌を「背後から操っている」ファージであった。

 しかもその真犯人と思われたファージ粒子さえ、いわば道具に過ぎず、本当の主犯、利益享受者は、ジフテリア菌の遺伝情報に書き加えられたプロファージなのだ……。まるでミステリ小説のような謎解きには興奮させられます。

 こういう具合に次々と「誰が主体となって」「どのような目的で」症状を引き起こすのか、という観点から病気を再考してゆきます。

 こうした思考には、それが非常に面白いという他に、潜在的に大きなメリットがあります。病原体を抹殺するのではなく、害をなさないように「共存」するという発想で行われる「理解療法」の前提になるからです。

 「常在菌による感染症は、概して抹殺療法的発想による治療が難しい」(Kindle版No.1814)

 「古典的伝染病と日和見感染症を含めて、宿主と病原体あるいは寄生体の関係として理解することが、的確な対策を立てるための前提となることであろう。そして抹殺療法の指導理念が「隔離あるいは根絶」とすれば、理解療法のそれは「共存」ということになるのではないか」(Kindle版No.1851)

 というわけで、人間を病気にしようと狙っている恐ろしい病魔という古いイメージを離れ、私たちの身体を生存の場として相互作用しながら進化してきた微生物という見方で病原体を見ることがどれほど面白く、また役に立つかということを教えてくれる興味深い本です。


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