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『八番筋カウンシル』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

 「あの人たちは何でも言う。ちょっとしたことでも、自分たちの有利になることなら何でも言う。自分らの言ってることを信じてなかっても」(単行本p.80)

 大人になってから地元の商店街に戻ってきた幼なじみの三人。小さな商店街の人間関係を背景に、彼らがそれぞれに仕事を見つけ、人生の転機をむかえる姿を描く長編。単行本(朝日新聞出版)出版は、2009年2月です。

 タケヤス、ホカリ、ヨシズミ。ともに母子家庭に育った幼なじみの三人も、今や三十歳前後。仕事に行き詰まりを感じ、転機を求めています。いずれも家族と折り合いが悪い彼らは、緩やかに助け合いながらも、それぞれに一人で生きてゆくしかありません。

 「タケヤスの父は事業に失敗し、ホカリの父は家庭内暴力をふるい働かず、ヨシズミの父は死別と、それぞれに母子家庭で祖父母の家に身を寄せているという共通点がある。姓は、三人とも母親のものを名乗っている。三人が大人になろうと、家は女子供と老人の所帯と見做されたままで、カウンシルの連中には暗黙のうちに物の数から弾かれ、憐れまれている」(単行本p.9)

 三人を何かと侮ってくる「敵」である、カウンシルの連中。要は商店街の店主をやっているオヤジたちの集まりです。

 「青年会というのは昔の名で、彼らは現在はカウンシルと名乗っている。短くて通りの狭い、空から見たらY字型をしている商店街だが、末広がりの縁起を担いで『八番筋』と名付けられた商店街の評議会だから、八番筋カウンシル」(単行本p.7)

 その八番筋カウンシルですが、これがもう、お話にならない駄目で暇なオヤジどもでいっぱい。とにかく実質的に何の仕事もしていない。

 「会社にいた時だってそれはいろいろあった。いろいろな人間がいた。いい人もいれば、どうしようもない屑もいたし、その両面を持ち合わせているやつもいた。しかし、全員が全員、会社に雇われて家の外で歯を食いしばって働いてるという前提があり、死ぬほど腹が立った時も、そのことを思い出して堪えたものだった。しかし、さっきのあの男はどうだろう。少なくとも、会社員をやっていた時にはお目にかかったことのない人種だった」(単行本p.26)

 女子の採寸データを他人に教えて卑猥な雑談のネタにする服屋。恫喝まがいの物言いで補助金を出させてはピンハネする少年野球チームの指導者。親の金で食っているくせに他人のやることに難癖つけては説教して回るオヤジ。子供が出来ない妻を「出来損ない」と罵って暴力をふるい、「出てゆきます」と言い返されると「おまえがいなければ生きていけない」と甘え、浮気しては相手の女に逃げられ、結局は妻に人生すべて後始末させるやつ。

 「男はひどいですね。女がおらんと生きていけんくせに、最低限の敬意も払えん」(単行本p.165)

 「大人のくせに、子供まで作っておいて、情けない。どういう言い訳を自分にしながら、貯金を使い込み、家族を殴ってきたのだろう」(単行本p.178)

 「平日の明け方に、母親と祖父を呼びつけて、女を買って入った部屋の代金を立て替えさせた。二人とも働いていた。朝から仕事があった」(単行本p.189)

 「暇でしゃあないんや、体というより、気持ちがな。せやから余計なことばっかり考えよる。もっと商売に精を出せばいいのにな」(単行本p.72)

 暇だから中身が腐ってゆくというより、腐りすぎてて仕事もできんから、暇を持てあまし、無責任で小汚いまねをする。そんな商店街の連中や、自分たちの家族のことを、三人は嫌っています。

 ですが、本当に許せないのは、中学生の頃に起きたある事件の顛末。何の根拠もなしに、彼らと仲の良かったカジオに責任をなすりつけ、その母親に対してひどい嫌がらせを繰り返したのです。

 「商店街のカウンシルであると名乗る連中は、ほんまはおまえの息子が何かやったんとちがうんか、とカジオの母親を責めたてるのだという。それも、店の営業時間中にやってきて、他の場所から来るお客の前でもおかまいなしに、むしろそういった人びとに見せ付けるように、カジオの母親に絡むのだという」(単行本p.79)

 「彼らは、自分たち自身も信じていないような噂の薪を組んでそこに火をつけ、邪魔だったカジオの母親を一家ごと町から追い出した」(単行本p.118)

 後にカジオの無実が明らかになったとき、カウンシルの連中はどうしたか。

 「ばつが悪そうに顔を見合わせることさえせず、カジオたちがその近辺で暮らしていたこと自体が葬り去られた。タケヤスはその過程を、可能な限り見聞きして記憶に刻み付けるよう努めた」(単行本p.82)

 「おまえは世間知らずやな、と自分を罵ったカケイのしたり顔を胸に刻みながら、これがその世間という場所のやり口なのだと、タケヤスは認めた。それを覚えていることが、いつか誰かに襲い掛かるのだと、そう自分に言い聞かせるしかなかった」(単行本p.82)

 そのカジオが、大手会社のマーケティング担当者となって八番筋商店街に戻ってきます。しかも、商店街そばの大型ショッピングモール建築計画を持って。そうなったら商店街はどうなるのか。カウンシルの連中も大騒ぎに。

 こうして、中学生の頃の「事件」や、家族との軋轢でたまってゆく鬱屈を描く過去パートと、ショッピングモール建築をめぐるカウンシルの内紛に巻き込まれる現在パートが、交互に書かれてゆくという構成になっています。

 これまで働く人々の矜持を書いてきた作者ゆえ、仕事をしない人に対する視線は非常に厳しい。それと対比させるように、主役の三人は、もがき苦しみながらも自分にとっての「仕事」を見つけ、自力で人生を切り拓いてゆきます。

 というわけで、真面目に誠実に働くということが出来ない人々を書くことで、仕事の意味を問うような作品。重苦しく、息苦しい雰囲気が続きますが、最後には春がやってきます。


タグ:津村記久子
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