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『dress after dress クローゼットから始まる冒険』(中村和恵) [読書(随筆)]

 「いまさらなにをといわれるかもしれないが、身につけるもののことを書くということは、身にまとう人の身体について考えることでもあり、それは自ずと書く人自身の身体感覚を反映する」(単行本p.93)

 文学のなかで衣服はどう描写されてきたか。階級社会のほころびは衣服から。最後の衣服としての身体。食、読に続き、今度は衣を通して世界を眺めるポストコロニアル視点のドレスエッセイ集。単行本(平凡社)出版は、2014年3月です。

 「本を読むこと書くこと、それが家でいちばん大事な仕事で、その後にくる衣食住のうち、衣のことはいちばん最後、間に合って考えずにいられるならそれが最良という、いとこのひとりにいわせれば「図書館に台所がついた家」に育ったわたしにとって、身につけるもののことは長い間悩みの種だった。衣服の色やかたち、質感や機能にどうしてかつよい関心があったので、ことは厄介だった」(単行本p.13)

 読衣食住のなかでも、しばしば最も軽んじられるのが衣服ではないでしょうか。しかし、衣服は身体の延長であり、社会とコンタクトする高度に政治的な選択でもあり、あとほら、ぱさぱさ振ってみると、例によって無意識レベルに染みついた西洋中心的価値観がぽろぽろ落ちてきたりして、甘く考えていると私たちは衣服に乗っ取られかねません。

 『地上の飯 皿めぐり航海記』では食を、『日本語に生まれて 世界の本屋さんで考えたこと』では読を通して、世界を眺め、文化的多様性について書いてきた中村和恵さんが、今度は衣を通してあれこれ語りかけてくれます。

 「はじめに」からスタートして、個人、文化、社会、政治、という具合に身近な問題から大きな問題へと考えてゆき、最後の「ターン」で身体をくるりと旋回させ、改めて政治問題から個人の問題へと戻ってゆき、最後に「おわりに(リヴァーシブル)」に到着する、というしゃれた構成になっています。

 書物にとっての衣服でもあるカバーには、衣服を様々に着用中のイラストがごっちゃり描かれていて、実に楽しい雰囲気。なお、カバーを“脱がす”と、もう一つイラストが出てきますので、ぜひお試しあれ。他に、本文中に著者直筆による味わい深い絵も多数収録されています。

 さて、内容は多岐にわたっています。

 「なんだかわからないけれど不愉快なストレスだらけの日常から脱出したかった。着るもののことは、その不愉快のかなりの割合を占めていたと、いまになっておもう。(中略)自分で稼げるようになったら、あたしもアンナのようにする。着たいものを、着たいからというだけで、誰にもおかまいなしに着る」(単行本p.16、17)

 「マダムのところには世界中から、いろんなタイプの女性がブラジャーを誂えにやってくる。国によって要求は違うという。彼女の経験はそのまま、ブラジャーに求められる理想の体型の国際比較である」(単行本p.36)

 はじめて自分のお金で買った服のこと、オーダーメイドのブラジャーを注文したときのこと。衣服にまつわる個人的な思い出から始まりますが、軽い導入だと思っていると、いつの間にか衣服というものが持っている政治的機能(束縛/自由)の話になっていたりして、油断なりません。

 「経済基盤を理不尽なかたちで奪われるまでは見事に持続可能な循環型の生活様式をつづけてきた先住諸民族の考え方に学ぶ必要を、どん詰まり感がここ二十年ほどの間にぐんぐん高まってきたいわゆる先進国の人たちが、ようやくじわじわと骨身にしみて感じ出している。暮らしの思想のわかりやすい入り口として、工芸品や伝統デザインは重要な役割を担う」(単行本p.55)

 アイヌなど伝統文化における衣服の話、衣装デザインと資本主義の相剋、西洋中心的世界観で語られる動物愛護や自然保護のうさん臭さ、といった話題を通じて、世界経済のあり方へと視界を拡げてゆきます。

 「なにが自然で、なにが正統で伝統的で、だれが善意で、どいつがごうつくばりなのか、といった話に、単純明快な図式的解答は見出されないのが現実だ。理論をこねまわすより、事実に即してそのときどきで、判断していくしかないようにおもう」(単行本P.70)

 「毛皮はすべて悪だ、合成皮革やダウンジャケットを着ればいいんだという人たちに、わたしは賛成しかねるところがあるのだ。いかに大切に野生動物を扱うか。それは単純に一切殺さない、ということとは違うのではないか」(単行本P.72)

 「コンパクトで無駄がなく、地元環境に適合した先住民族の方々の日用品は、実際きわめて魅力的だ。トナカイの毛皮が家になり衣類になり虫よけになる、トナカイさえいればなんとかなるという生活スタイルに、ため息が出る。トナカイ飼いたい」(単行本p.65)

 最後の「トナカイ飼いたい」が素敵。「おかわりしてもいいかな」もそうでしたが、 こういう一言のおかげで、大学の教室でかたい授業を受けてるというより、親しい知人から色々と教えてもらっている、という感覚が出てきて、それが読んでいて楽しいのです。

 「三島は幼時、祖母の下で女の子のように育てられたというが、長じてのちの様子からみてトランスヴェスタイト(異性装者)と呼ぶのは不適切だろう。しかし女性の服装に対する関心はおそらくなみなみならぬものであった。そうでなければ『禁色』のようなドレス描写はできない。衣装小説として読むこともできる、服装に力点のおかれた物語である」(単行本p.95)

 文学作品に登場する衣装の話へと展開したかと思うと、さらに、伝統的衣装文化の衰退と世界の文化的多様性、といった中心的な話題へと流れるように移行してゆきます。

 「全般的にこの日本の近代化=西洋化の「ソフト・ランディング」の上手さは世界的に傑出しており驚異的であって、その分ランディングのショックで生じた長く深い亀裂について考えることをわたしたちは随分早々とやめてしまった気がする」(単行本p.113)

 「世界を「おさえ」ることはできない、とわたしはおもう。偶然出会ったものとつきあい、ときに聞こえてくる音を頼りに、薄暗闇で目を細めてほのかに浮かび上がっている全体の影を一瞬とらえることしか、生者にはできない」(単行本p.123)

 単純にトピックとして面白い話を流暢に語りながら、ときに、はっとするような鋭い指摘、今まで意識してなかった自分のなかの偏りに気付かせてくれる言葉が飛び出してくるところが、実にスリリング。このあたりの呼吸はこれまでのエッセイ集とも共通しており、読むたびにドキドキします。

 さて、折り返し地点が近くなってくると、ドレスコードと個人の選択の自由、知的財産権は誰のためのものか、といった政治問題にスポットライトが当てられます。

 「ドレスコードを通じて、衣服は社会的権力や従属性の象徴となり、一種の記号システムとして機能するものになる。しかしその反対に、ファッションには個人の表現や憧憬、欲望が表現され、既存のコードを破っていこうとする意志も発揮されうる」(単行本p.169)

 「しかも服は、脱ぐことができる。偽装としてこれを利用することはいともたやすい。社会の約束事の中に人をはめ込むためにも、はみ出させるためにも利用できる。階級社会において、これは危険なもの、統制しなくてはならないものだ」(単行本p.169)

 「世界というのは端っこのほうから眺めたほうがよく見える。強国が派手に掲げる崇高な建前の後ろで、実際、なにを考えているのかは、あまり目立たないちいさな国や弱い立場にあるグループにどんな態度で接しているのかを見ればわかる」(単行本p.136)

 さて折り返し地点。ここでは最後の衣服、すなわち身体に関するトピックが扱われます。月経、肥満嫌悪、身体イメージをめぐる諸問題など。

 「月経や女性器をめぐる社会全般の態度について、おそらくそこそこ怖かった十代の頃から、その後複数回の手術や現在の更年期障害等むかつく状況を繰り返す中で、折にふれいろいろいいたいことがあったわたしとしましてはですね、生理用品を被服文化の側面から考察することは、必要かつ重要と信じて疑わないわけであります」(単行本p.190)

 「はびこっている美しさは陳腐な商業戦略が提供する模型の複製で、どこかくたびれた表情の女の子たちを自由にするかわりに拘束している。(中略)彼女にとって美しい身体とは見られる身体で、その視線の出どころ、つまり美の基準は「世間」にあり、当の身体の持ち主にはない。はっきりしない「世間」にはしかし、はっきりした主体/主人(マスター)が、じつは隠されていることが、歴史を振り返ればわかる」(単行本p.212)

 このパートは、分かりやすいフェミニズム入門にもなっています。よく知らないのに何か誤解してネガティブなイメージを持っている人(男女ともに)、読んでおいた方がいいですよ。なお、個人的に大好きな「コンテンポラリーダンス」に関する言及がいくつかあり、そこがすごく嬉しかった。

 「コンテンポラリー・ダンサーたちが生み出す身体の美は、こうした隠された主体/主人が揺るぎない基準として信仰している美を、いま・ここにある自分の内側からつき破っていこうとする。だからそれはときにグロテスクだ」(単行本p.213)

 そして、ターン。これが正しくそうでないものは間違っているという一面的な決めつけ、西洋中心主義的な視点から世界を見る習慣、そういったものをくるりと脱ぎ捨てて、あるいは裏返して着用し、それから本書で語られてきた様々なトピックに戻ってゆけば、個人の自由と世界の多様性について、今まで見えなかったこと、考えなかった、考えないよう仕向けられていたことが、明らかになってゆくはず。

 というわけで、衣服を裏返すように、世界観のプチ転回をもたらしてくれる好著です。今の世の中には、息苦しさ、閉塞感、どん詰まり感がハンパなく充満しているというのに、その根本的な原因がどうもよく分からない、と思って思い悩んでいるすべての方々に一読をお勧めします。たぶん、衣服が合ってないんですよ。

 最後に、おそらく若い読者に向けた著者の言葉を引用しておきます。ピナ・バウシュも、似たようなことを言っていたかも知れません。

 「回るのよ。回って。考えすぎると動くことはできない。どっさりある矛盾の重さを、動きを妨げる重力ではなく、床をとらえるしっかりした軸の錘にして、回ることができれば。ターン。違う視点が得られれば。かわいいもきれいも美しいも、たくさんの種類があったほうが、誰にとってもいい。それは練習で獲得できる視点だ」(単行本p.214)


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