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『台湾海峡一九四九』(龍應台) [読書(教養)]

 「あれほど悲痛な別れ、あれほどの理不尽と不正義、あれほど深い傷、あれほど長い忘却、そしてあれほど静かな苦しみ・・・・・・。(中略)私は、自分の感情を押し殺し、情緒を消し去り、心に“空間”を作った。そこに文章を落とし込み、文章自身が持つ圧を高めていく。私が覚めていなければ、文章は熱くならない」(単行本p.393)

 国共内戦、国民党による台湾接収、台湾海峡危機。あの時代を生きた人々は、どのような体験をしたのか。丹念な取材により黙して語られなかった歴史に光を当てた、衝撃と感動の歴史ノンフィクション『大江大海一九四九』の日本語翻訳版。単行本(白水社)出版は、2012年06月です。

 「台北という都市の道路地図に描かれている中華民国は、1949年に時間を止めた歴史地図なのである。(中略)台北の地図を大きく広げてみる。ここにあるすべては歴史の意外な符号であった。1949年、国民党政権が崩壊し、この島へ撤退してきた。この島を大陸反攻の基地とするためである。「国土の奪還」はこれより以降、何よりも崇高な教義となった」(単行本p.142、146)

 多くの日本人にとって戦争は1945年に終結したのであり、その後の歴史はすべて「戦後」、「焼け跡からの復興」的なものになってゆきます。もちろん教科書を開けば、日中戦争後の国共内戦、国民党の台湾撤退、台湾海峡危機、といった言葉は並んでいますが、どうも「戦後のごたごた」くらいにしか感じられず、他人事という感触がぬぐえません。

 「1949年ほど一般の日本人にとってなじみがない年はなく、いわば東アジア史の空白とすらいえる」(「訳者あとがき」より)

 本書はその激動の時代に焦点を当てた歴史ノンフィクションです。

 「現在の台湾社会を構築するすべての要素が出揃った1949年を中心に、戦争、内戦という苛烈な社会情勢のなか、著者の家族や当時の若者がいかに決断し生き延びてきたかを描き、彼らが60年間、誰にも言えないまま抱えてきた痛みを語っている」(「訳者あとがき」より)。

 「1949年に台湾へ逃れてきた国民党政権(と軍)を、戦後台湾を権力と暴力で支配した強者としてではなく、故郷を失ったひとりひとりの弱者として描いた」(「訳者あとがき」より)。

 生存者を捜し当て、証言を丹念にすくい上げ、膨大な資料の山を彷徨いながら、戦時を生き延びた人々の体験を再構築してゆく。ここに描かれている出来事、そしてそれが残した「痛み」のすさまじさ、底無しの深さときたら。

 「道は山をぐねぐね巡っては次の山につながっていく。歩いているのはみな難民であった。そして路傍に倒れた死体が、何キロも連なっていた」(単行本p.57)

 母親である著者が、兵役を前にした息子に向けて、自分の両親の体験を伝えるところからスタートします。台湾外省人である自分のルーツ。「些細な、まるで大事とは思えない一瞬の決定が、いちいち一生の運命を決める分水嶺となった」(単行本p.48)激流の中で、難民となった人々を待ち受けていた苛烈な運命が語られてゆきます。

 「弟の体をぐっと引き寄せて言った。ここで別れよう。二人とも南へ向かったら、同じ運命をたどるだけだ。万が一 二人ともダメだったら両親は「希望を失う」。だからここで運命を分けて両方に賭けよう」(単行本p.94)

 戦火のなかを逃げまどい、ある者は砲撃で吹き飛ばされ、ある者は強制徴兵され、またある者は収容所送りとなる。運命に引き裂かれてゆく人々と家族の姿。

 「それはなんとありふれた風景だったろう。足を失った兵士が脇に松葉杖を挟み、汚れた身なりでぽつんと初めての町に立ちつくす。どこへ行っていいのかもわからない。そしてその多くは、少年であった」(単行本p.122)

 ページが進むにつれて、目を背けたくなるような情景が、様々な人々によって語られてゆくことになります。

 国共内戦の凄惨な戦場。回収どころか「なかったこと」にするため埋められた数千、数万、数十万ものむごたらしい遺体。数十万人の餓死者を出した長春包囲戦の吐き気をもよおす惨状。強制徴兵され弾よけにされた年端も行かない子供たち。生き延びた人々が吐き出す酸鼻をきわめる出来事の記憶が、静かに発熱するような筆致で読者の前に差し出されます。

 ここまでが前半。かなり体力気力を消耗しますので、覚悟して読んで下さい。そして、特に日本の読者にとっては、後半さらに読むのがつらくなってゆきます。

 「ドイツおよびイタリアの捕虜収容所における連合国軍兵士死亡率の実に7倍である。恐ろしくなるほどの差だが、日本軍の捕虜収容所における中国人の死亡率は白人とくらべてもなお飛び抜けて高かった」(単行本p.307)

 「捕虜たちの口に上る「日本兵」には、実は少なくない台湾出身の監視員が混じっていた」(単行本p.304)

 「彼らは、よく日本人の上官に殴られたり、ビンタされていましたから。正直言って、彼らフォルモサの監視員への日本人の態度は、監視員のわれわれに対する態度と同じくらい悪劣でした」(単行本p.327)

 「国民党軍兵が連行されて人体実験させられていたころ、日本軍自体、人食いを始めていた。(中略)当時命令があって、アメリカ兵の肉は食っていいが、自分たち日本兵の肉は絶対に食うな、と言われていた。しかし効果はなかった。食べるものがなかったから、同胞の日本人の肉も食べた」(単行本p.360)

 「戦後、日本に対する裁判で、173名の台湾人兵が起訴され、うち26人が死刑の判決を受けた」(単行本p.307)

 ちなみに、「同胞の日本人」と語っているのは、高砂義勇軍(台湾先住民志願兵)の生き残りです。日本兵、台湾兵、連合軍捕虜、それぞれの立場にそれぞれの悲劇があり、視点を変えるたびに悲劇はさらに増え、重なり合い、さらに深まってゆく。そこに終わりというものはないようです。

 最初から最後まで心胆を寒からしめるような出来事が書かれているにも関わらず、慣れるということがありません。数十万人の遺体で大地が血に染まる光景も、泣き叫ぶ母を残して子供を乗せた列車が走り去ってゆく情景も、昨日までの戦友が銃口を向けあう無意味な戦いも、すべてが同じように心につき刺さり、魂に響く。

 誰が悪い、誰の責任だ、糾弾すべきだ、謝罪すべきだ、といったことは一切主張せず、ただ一人一人が体験したことを記録に残そうとする筆致。どの国であろうと、どの軍であろうと、そこに飲み込まれていった個人個人を分け隔てなく思いやる心。兵役を前にした息子に、歴史を語りつごうとする著者の姿に知らず知らずのうちに嗚咽が込み上げてきます。

 読みながら何度も涙を流し、ときに吐き気をもよおし、衝撃とも感動ともつかないものに心を鷲掴みにされ振り回される思いを味わいました。歴史ノンフィクションですが、戦争文学としても一流の作品です。原文が持っているであろう詩情を、見事に日本語に訳してのけた翻訳者の苦労にも頭が下がる思いです。読むべき一冊です。

 「もしもあなたが本当に考え抜いた結果なら、兵隊になるのもよし、拒否してカンボジアでボランティアをするのもよし。愛する息子だもの、私はどちらも支持する。 一人ひとりの決定は、実はその同世代人に影響を与える。その世代の決定は、その次の世代にまた影響を与える。愛情はいまだかつて、責任から逃れたことはない」(単行本p.366)


タグ:台湾
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