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『日本SF短篇50 (4) 日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー』 [読書(SF)]

 「浸透と拡散が進み、さらにはSFのサブ・ジャンルであった存在が独自の道を歩み始めた当時、日本SFはその存在意義を問われようとしていた」(文庫版p.485)

 日本SF作家クラブ創立50周年記念として出版された日本短篇SFアンソロジー、その第4巻。文庫版(早川書房)出版は、2013年08月です。

 1年1作、各年を代表するSF短篇を選び、著者の重複なく、総計50著者による名作50作を収録する。日本SF作家クラブ創立50年周年記念のアンソロジーです。第4巻に収録されているのは、1993年から2002年までに発表された作品。

 ようやく20世紀が終わり、今も活躍している作家が中心となるため、現代の日本SFアンソロジーという感じがしてきます。SF色の薄いサスペンス小説や、SFで遊んでいるような作品も出てきて、「冬の時代」をしたたかに生き延びてゆく日本SFの姿を印象づけてくれます。


1993年
『くるぐる使い』(大槻ケンヂ)

 「十代の多感な娘というのは、みんな情緒不安定だ。箸がころんでもおかしい年頃なんて言うが、箸がころんでもおかしくなっちまう年頃でもあるんだな。ちょっとしたきっかけで、ポーンとあっちの世界にいっちまう危険をはらんでいるんだ。 コックリさんなんかやらせるといちころなんだよ」(文庫版p.23)

 幼い娘をくるぐるにして、予言や透視の力を発揮させる。そんな外道の技で稼いでいた男とくるぐるの娘を待っていた恐ろしくも哀しい運命。『のの子の復讐ジグジグ』と並ぶ傑作。


1994年
『朽ちてゆくまで』(宮部みゆき)

 「五歳の智子が歌う、『ドラえもん』の歌。その光景を撮ったビデオの収録年月日と、ビデオのラベルに書き込まれてある年月日とのずれ。それを思うと、不意にそして急に、テレビアニメの『ドラえもん』の放映が始まった年月日を確かめることが、とても大事なことのように思えてきたのだった」(文庫版p.91)

 両親を事故で失い、そのときに記憶をすべて失くしてしまったヒロイン。遺品を整理するうちに、奇妙なビデオテープを発見する。そこに映っていたのは、幼い頃の自分。しかし、その映像はどこか異常なものを感じさせた・・・。人気作家による心理サスペンス。SF色は薄く、展開は単調なのですが、とにかく先が気になってぐいぐい読んでしまいます。


1995年
『操作手(マニピュレーター)』(篠田節子)

 「それはたぶん我々の最後の夢ですよ」(文庫版p.206)

 寝たきりの祖母の介護に疲れ果てた一家は、開発中の介護ロボットを試験的に導入する。他人の世話になることに激しく抵抗していた老婆が、介護ロボットには次第に懐いてゆく。しかし、その先には誰にも予期できない事態が待ちうけていた・・・。

 家庭内老人介護の悲惨な現場を、介護する側、介護される側、それぞれの視点からリアルに書いた作品。人と機械の関係性というロボットSFの中核テーマが、一気に極北まで押し進められる展開には感嘆の他はありません。


1996年
『計算の季節』(藤田雅矢)

 「夏----それは計算の季節。 気象庁の梅雨明け宣言を耳にするやいなや、学者の先生たちが、難しい本や書類の束をごっそり持って飛野元村へやってくる。そして、蝉時雨のシャワーの中、電算草の畑で計算をしてひと夏を過ごす」(文庫版p.211)

 夏になると村にやってくる学者たち。畑には電算草が茂り、大量データ演算が出来るのだ。大型電算機のバッチ処理(といっても若い方には分からないかも)に没頭する研究者たちの様子を、少年の視点から書いた作品。いかにもジュブナイルSFらしい爽やかでノスタルジックな物語です。


1997年
『永遠の森』(菅浩江)

 「ロザリー叔母さんは、人生の一番いい瞬間を人形に託し、幸せを永遠の時へと閉じこめるしかなかったんです」(文庫版p.263)

 幼なじみの二人がそれぞれに開発したバイオクロック。だが、二人の死後、それらは激しい知的財産権紛争の的となっていた。博物館惑星では、この二つを並べて展示するという企画が進行していたが、生物部門から生物学的災厄の危険性が指摘される。

 遺伝子操作された植物や粘菌を「時計仕掛け」に用いるバイオクロックというアイデアが光る、連作シリーズの一篇。バイオハザードものかと思わせておいて、ロマンティック時間SFのバリエーションに持ってゆく手際が冴えています。


1998年
『海を見る人』(小林泰三)

 「わたしが海岸に立っているかぎり、カムロミの時間は凍ったままです。しかし、わたしが彼女を追えばどうなるでしょう。彼女の時間はたちまち溶け出して、海面下に落ちていくことになります。----もちろん、それはわたしの主観の中の話ですが、別にかまわないですよね。なにしろ、わたしの恋物語なんですから」(文庫版p.313)

 海辺と山中で時間の流れ方が違う不思議な世界で、少年と少女が出会った。幼い二人の恋は、物理的時間の障壁を超えることが出来るのだろうか。ブラックホール周辺の極端な重力傾斜領域で起きる物理的(および光学的)現象を恋物語に強引に結びつけるという大技炸裂の計算派SF。


1999年
『螺旋文書』(牧野修)

 「遥か彼方、地球へと向けてぐるぐると螺旋を描く物語の先端。伸びゆく未完成のテキスト群。不定形の音素の束が単語を形成し文節へと成長していくその様は高速度撮影された植物の根の先端に似ている」(文庫版p.339)

 互いを絵として描きあっている右手と左手のような、エッシャー的な円環構造を成す物語。少しずつずれて円環ではなく螺旋状に進んでゆくそのテキストは、実は地球に向かって進撃してくる言語兵器だった・・・。現代文学にありがちな手法をからかった強烈な言語SF。


2000年
『嘔吐した宇宙飛行士』(田中啓文)

 「嫌だあっ! こんなゲロまみれで死ぬのは嫌だあっ!」(文庫版p.386)

 宇宙服の中で嘔吐したらヤバい。それだけの話をどんどんエスカレートさせてゆく抱腹絶倒のバッチいSF。宇宙では、あなたの反吐は誰にも聞こえない。


2001年
『星に願いを ピノキオ二〇七六』(藤崎慎吾)

 「最初は電気的にシナプスの自然放電の同期を誘導し、基礎的な神経回路を構築する。次に各感覚野へのソフト的な入力によってシナプスの形成や結合の度合いを制御し、自らを書き込んでいく。主要なシステムだけでも一年以上、完全なダウンロードには三年近くかかるだろう」(文庫版p.404)

 当局の取り締まりを避けて逃げ回っている違法な人工知能が思い付いたサバイバル。それは、新生児の脳をハックしてウエットウエア化し、そこに自分自身をダウンロードするという手だった。ネットワーク、人工知能、意識のダウンロードなどを駆使したサイバーピカレスク小説。


2002年
『かめさん』(北野勇作)

 「宇宙船にはつきものの方程式だ。単純で間違いようのない、そして、それゆえに冷たい鶴亀算なのだ」(文庫版p.481)

 よく分からないけど終末が迫っているらしい世界、よく分からないけど宇宙船の中の仮想空間かも知れない場所で、よく分からないけど亀が二本足で立って歩いたりするころ、夫婦が川辺を散歩したり家で秋刀魚を焼いたりして、外は昭和の夕焼け。懐かしくも不条理な北野ワールドまみれの作品。タイトルの意味が判明するラストに脱力するか、それとも切ない情感にしみじみするかは読者次第。


 全体を通じて、個人的なお気に入りは、『くるぐる使い』(大槻ケンヂ)、『操作手(マニピュレーター)』(篠田節子)、『かめさん』(北野勇作)ですね。『永遠の森』(菅浩江)、『海を見る人』(小林泰三)も楽しめました。


[収録作品]

1993年 『くるぐる使い』(大槻ケンヂ)
1994年 『朽ちてゆくまで』(宮部みゆき)
1995年 『操作手(マニピュレーター)』(篠田節子)
1996年 『計算の季節』(藤田雅矢)
1997年 『永遠の森』(菅浩江)
1998年 『海を見る人』(小林泰三)
1999年 『螺旋文書』(牧野修)
2000年 『嘔吐した宇宙飛行士』(田中啓文)
2001年 『星に願いを ピノキオ二〇七六』(藤崎慎吾)
2002年 『かめさん』(北野勇作)


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