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『宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論』(青木薫) [読書(サイエンス)]

 「そのころのわたしにとって人間原理は、無内容で非生産的な、宗教的な願望にまみれたトートロジーのように思われたのである。----人間が現に存在しているこの宇宙が、人間が存在できるような宇宙だからといって、だからどうだというのだろう?」(新書版p.5)

 宇宙は観測者たる人間の存在を許容するものでなければならない。「強い人間原理」と呼ばれる主張は、果たして無意味なトートロジーなのか、それとも万物理論の存在を揺るがす新しい宇宙観なのか。ポピュラー・サイエンス本の翻訳で名高い著者が、人間原理が持つ意義を平易に解説。新書版(講談社)出版は、2013年07月です。

 提唱直後、激しく拒絶された「強い人間原理」。しかし、私たちの宇宙観が大きく変わりつつある現在、それを受け入れる科学者が増えているといいます。なぜなのでしょうか。

 本書は、コペルニクスに始まる宇宙観の変遷を辿りながら、人間原理がどのようにして登場したのか、それがどのような意義を持っているのかを、予備知識のない読者にも分かるように易しく解説したものです。

 何しろ、カール・セーガンやサイモン・シンなど翻訳し、「この人が選んで訳したポピュラー・サイエンス本なら、とりあえず読む」という読者も多い青木薫さんが執筆した一冊なので、その面白さは保証つき。

 まず、天動説からコペルニクスの地動説へ、という天文学のおなじみの歴史がおさらいされ、それが人類の宇宙観にどのような影響を与えたのかが解説されます。

 「コペルニクスの仕事に対するこうした評価にもとづいて、「宇宙における人間の居場所は、なんら特権的なものではない」という考えや、そこから引き出された、「宇宙には特権的な場所はない」という考えのことを、「コペルニクスの原理」と呼ぶことがある」(新書版p.47)

 続いて、ニュートンの宇宙論、アインシュタインの宇宙論、定常宇宙論、ビッグバン宇宙論、という流れを概説。いよいよ後半になって、「この宇宙を規定している物理定数は、なぜこのような(人間の存在を許容する)値になっているのか」という問いかけに対する考察から、ブランドン・カーターによる「「コペルニクスの原理」に対する「行きすぎた屈従」に対抗する」(新書版p.130)論文に到達します。

 「カーターが「弱い人間原理」で説明しようとしたコインシデンスは、さきほど見たように、観測選択効果で説明できるようになった。 しかし彼が「強い人間原理」で説明しようとしたコインシデンスは、それではすまない」(新書版p.156)

 「カーターの提案は多くの物理学者の神経を逆なでするものだったが、それと同時に、黙殺してすませられないだけの問題を提起してもいたのである」(新書版p.130)

 しばしば「強い人間原理」のことを、「この宇宙は人間が存在するように作られている」という目的論(それも宗教的な匂いのする)であるかのように紹介している解説書がありますが、実はカーターはそんなことは言っておらず、むしろマルチバースを認めれば、「強い人間原理」も「観測選択効果」で説明できる、と主張していたということは、本書で初めて知りました。

 「われわれは、無数にある宇宙の中で、たまたまわれわれの存在を許すような宇宙に存在している、というだけのことであって、目的論のレッテルを貼って拒絶しなくてもよかろう、というのが、カーターの「コグニザブル・ゾーン」の議論の中身なのである」(新書版p.161)

 「しかし、強い人間原理が観測選択効果であるためには、無数の宇宙がリアルに存在している必要がある。さもなければ、強い人間原理はあくまでも観測選択効果のようなものでしかなく、観測選択効果そのものではありえない」(新書版p.161)

 つまるところ、「強い人間原理」は、意味のある、少なくとも原理的には真偽の判定が可能な予想をしているわけです。私たちの宇宙だけではなく、無数の(そして物理定数の組み合わせが様々に異なる)宇宙がリアルに存在している、という予想です。

 そして風向きが変わったのは、当初は夢想に過ぎなかったマルチバースが、複数の異なる分野で認められるようになってきたからだといいます。

 「いったいなぜ、真空のエネルギーはそんな微妙な値なのだろうか? なぜきれいさっぱりゼロにならないのだろう? ワインバーグの論法によれば、その理由は、「われわれの存在と矛盾しないために」だった。つまり、人間原理のアプローチが、観測結果に支持された格好になったのである。それはひとつの事件であり、これをきっかけに、人間原理も悪くないかもしれないと考える物理学者が増えはじめた」(新書版p.220)

 「はっきりしているのは、この新しい多宇宙ヴィジョンは単なる思いつきや空想の産物ではないということだ。「宇宙論の標準モデル」は、「エキゾチックな」理論ではない。それは「コンベンショナルな」理論にもとづき、観測と実験によって支持されているモデルなのである。(中略)こうしてインフレーション・モデルから多宇宙ヴィジョンが自然に出てきたということが、人間原理にとっては大きな転換点となった」(新書版p.187)

 「ひも理論から出てくる青写真が、たった百万種類程度しかないうちは、「たくさんある中に、たまたまぴったりの宇宙があったのだ」という論法をとるには、まだ足りない----その論法は、まだ安直だ----と彼は考えた。(中略)しかし青写真の種類が「10の500乗」通りもあるとなって、それだけあれば十分だ、とサスキンドは腹をくくった。(中略)青写真がほとんど無数にあるということは、強い人間原理が、怪しげな目的論から、単なる観測選択効果になるということを意味するのである」

 「インフレーション・モデルとひも理論という、ウロボロスの頭と尻尾の両端から、それぞれに多宇宙ヴィジョンが出てきたことは、人間原理の意味を考えるうえで非常に示唆的だった。(中略)今日、宇宙の理論に関する限り、多宇宙ヴィジョンはほとんどデフォルトなのである」(新書版p.230)

 「わたし自身について言えば、COBEの結果が発表されたときに覚えた、「これ(宇宙誕生)が一度きりの出来事であるはずがない」という感覚は、その後一度も薄れたことがない。むしろ、「なぜ、この宇宙だけだと思い込んでいたのだろう?」と不思議な気がするほどだ」(新書版p.244)

 こうして、ユニバースからマルチバースへ、メガバースへと宇宙観が変遷するにつれて、強い人間原理は科学者に受け入れられた、というより観測選択効果というありふれたものに落ちついた、というわけです。しかし、それにより「万物理論」の夢に終止符が打たれてしまう、という皮肉な結果も生じました。

 「もちろん、今も少なからぬ物理学者は、たまたまと言わずにこの宇宙のいっさいを説明するという希望を捨てていない。しかし、その希望の根拠が疑われはじめているのも確かなのである。 もしも百年後の人びとが振り返ってみたとすれば、われわれの生きるこの時代を、宇宙像に大きなパラダイムの転換が起こった時期と位置づけるにちがいない」(新書版p.252)

 人間原理をめぐる本筋だけでもエキサイティングですが、宇宙論の歴史を扱ったポピュラーサイエンス本における「通説」が次々と覆されてゆくところも素晴らしい。

 「コペルニクスの著書『天球の回転について』が出版されたのは、1543年のことだった。それから百年ほどのあいだは、コペルニクスの仕事について、今日言われているような「宇宙の中心から追い出した」という見方はとくに出ていないようである。(中略)ともかくも、「コペルニクスは宇宙の中心から人間を追い出し、人間中心主義を打ち砕いた」という、コペルニクスの仕事に対する評価は、17世紀のフォントネル、ないしはその周辺の知識人が打ち出した新機軸だったようなのである」(新書版p.51、53)

 「アインシュタインがラムダを導入したのは、空間を閉じさせるためであって、変動する宇宙を静止させるためなのではなかったのである。(中略)この話がこれほどまでに広く流布し、ポピュラーサイエンスの書き手たちが----その中には第一級の物理学者も多く含まれている----繰り返し再生産していることを「スキャンダル」と呼んだとしても、それほど大袈裟ではないかもしれない」(新書版p.212、214)

 「物理定数が、「人間」(または「意識を持つ存在」「知性を持つ存在」「生命」など)が出現できるようにファイン・チューニングされている、という議論を詳しく調べてみると、暗黙のうちに根拠不十分な仮定が置かれていたり、論理に飛躍があったりして、じつは微調整どころか、ゆるゆると言ってよい幅が許されていることがわかってきたのである」(新書版p.166)

 ええ、わたくし、信じておりました。

「コペルニクスが打ち出した新しい宇宙観は、今日コペルニクスの原理と呼ばれている」

「静的宇宙解のために重力方程式に宇宙項ラムダを入れたことを、アインシュタインは自分の人生最大の失敗だったと語った」

「この宇宙の物理定数は極めて厳格に調整されており、もし少しでも値が違っていれば、私たちのように意識を持った観測者は存在できなかっただろう」

 これらポピュラーサイエンス本(およびテレビの科学解説番組)の定番ネタの数々が、実は都市伝説の類だったとは。衝撃です。

 というわけで、人間原理やマルチバース(多宇宙)論について興味がある方はもちろんのこと、宇宙論を扱ったポピュラーサイエンス本は飽きるほど読んだよ、という方にもあえてお勧めしたい、新鮮で魅力的な一冊です。


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