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『SFマガジン2013年8月号 特集:日本ファンタジイの現在』 [読書(SF)]

 SFマガジン2013年8月号は、日本ファンタジイ作家特集ということで、短篇四作(分割掲載の前篇含む)を掲載するとともに、松永天馬さんの第二作を掲載してくれました。

『春告鳥』(乾石智子)

 「人々は魔力をもって生まれてくるが、魔法を使うにはダカンと訓練が必要だった。身につけてさえいれば魔力がダカンに蓄積されていく。自分のダカンを手に入れることは、ほとんどの人の目標のようなものだ」(SFマガジン2013年08月号p.10)

 隠遁生活を送っている魔法使いのもとに、かつて彼を追放同然に追い出した故郷の町から使者がやってくる。迫り来る危機から町を救ってほしいと。人々を救うため、そして過去の因縁に決着をつけるため、彼は故郷へと向かったが・・・。

 大きな悔いを残して故郷を後にした若者が、長い歳月の後に帰還し、同じ試練に立ち向かうことになる。背景世界、プロット、いずれも典型的な西洋風ファンタジー。主人公が歳くった今でも割と「お人好し」のまま、というくすぐりが印象的。

『チョコレートとあぶらあげ Helsingin Repot』(勝山海百合)

 「あんまりくっつかれると、混ざってしまうのだ。ここは、北極の狐の領分だからな」(SFマガジン2013年08月号p.40)

 北欧フィンランドに住んでいる主人公は、夜行列車で深い森の中を走っているとき、何かの「魔」に憑かれてしまう。そのまま自宅に戻ったとき、床に落ちていたお稲荷さんのお札から美少女が現れて・・・。

 北欧の妖精譚と日本の妖怪譚をミックスしたような作品。前半のフィンランドの雰囲気が素晴らしい。そこに東日本大震災への鎮魂が静かに重ね合わされてゆきます。

『廃園の昼餐』(西崎憲)

 「意識という大事なものがどこからきたか分からないのに全知だというのは妙な話ではあったが自分は全知ということについては確信があり、確信があるからにはたしかにおれは全知だった」(SFマガジン2013年08月号p.47)

 母親の胎内にいるとき全知だった赤ん坊。何しろ全知なので、両親のことも、近所の人のことも、何もかもすべてが分かっている。旅に出ることだって出来る。しかし、この世に生まれ出るためには・・・。

 ちょっとした奇想を元に、様々な人々の人生が断片的に語られます。何しろ語り手が「全知」ということで、時系列を無視してきまぐれにあちこち跳び回るような語り口がお見事。最後はしんみり。傑作だと思います。

『フェアリー・キャッチ[前篇]』(中村弦)

 「「おじさんのは、ふつうの手品じゃないんだ」と旅芸人はいっていた。ゆうべは森のなかで目から光線を出したり、網でふしぎなものを捕えて消し去ったりした。たしかに旅芸人はふつうの手品師とはちがう」(SFマガジン2013年08月号p.73)

 田舎に不思議な旅芸人がやってきた。その手品は素晴らしく、彼は一躍人気者となる。何とかして手品を教えてもらおうと決意した少年が、旅芸人の留守中にこっそり備品を持ち出すが、それがとんでもないトラブルを引き起こしてしまう。

 いかにも「ブラッドベリ風」の設定と展開。これからどうなるのか、後篇が楽しみです。 

『モデル』(松永天馬)

 「はじめに言葉があった。神様は「光あれ」と言われた。すると光と闇ができた。光は発電所から町へと供給され、神様の言葉は電力会社の広告に使われた。(中略)語られた言葉たちは、全て有料なのだ。「光あれ」に勝るコピーライティングを、誰も知らない」(SFマガジン2013年08月号p.257)

 神様は夜な夜なわたしの指を操り、写真を撮り、わたしの言葉とみせかけてブログをアップロードする。まことちゃんはモデル。神様や資本主義社会のロールモデル。

 SFマガジン2013年6月号に掲載された処女作『死んでれら、灰をかぶれ』に続いて早くも掲載された、トラウマテクノポップバンド「アーバンギャルド」のリーダーによる非処女作。神様と資本主義社会と少女の話。そのぶれない姿勢に感心させられます。

[掲載作品]

『春告鳥』(乾石智子)
『チョコレートとあぶらあげ Helsingin Repot』(勝山海百合)
『廃園の昼餐』(西崎憲)
『フェアリー・キャッチ[前篇]』(中村弦)
『モデル』(松永天馬)

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