『あさって歯医者さんに行こう』(高橋順子) [読書(小説・詩)]
「あの花があしたいっぱい枝についていたら/あさって歯医者さんに行こう/あした散ってしまったら/まだ行かない/(たぶんあした散る)」
日常生活のなにげない光景のなかに驚きを見つける落ちついた詩集。単行本(デコ)出版は、2009年06月です。
日常生活(一部、旅行記も収録されています)のささいな出来事や光景のなかから、小さな驚きや感慨をすくい出して見せる作品集。目のつけどころもさることながら、見せ方がうまいのです。
「うちの猫が子猫をなめあげる舌をやすめて言った/「猫をあなどってはいけないわ」/ひととおり済むと しっぽを立てて/あじさいの花の匂いを嗅ぎにいった/あのあじさいの白/わたしはいつも驚いてしまう/猫の顔かと思って」
(『雨ふるふる』より)
驚くポイントはそこですか。
といいつつも、単純に「あじさいの花は猫の顔に似ているのでいつも驚いてしまう」と書いただけなら、ふーん、で終ってしまうでしょう。直前に、「猫をあなどってはいけないわ」とふっておく手際が見事。
「薄化粧したさざんかの花びらが散っていた/見上げると花たちがさみしく笑っている/あの花があしたいっぱい枝についていたら/あさって歯医者さんに行こう/あした散ってしまったら/まだ行かない/(たぶんあした散る)」
(『山茶花』より)
「明日には花が散ってしまうのが残念」と、わざと言わずに、歯医者さんに行かずに済むから助かるわ、というあたりの機微がさすが、うまい、と思います。
「水平線は時々/疲れて たるみたくなることがある」
(『わたしの水平線』より)
「ケータイがなければよかったね/いやケータイがあってよかったのか/よく考えてみる必要がある」
(『二人』より)
「カラスは落としたものは拾わない主義か/あきらめが早いのか/消えたものは頭からも消えてしまうのか/どうもよく分からない/叔母さんの次の観察を待つ」
(『東京のカラス』より)
「彼はひょいともう一ぴきの猫を飛び越えた/何も起こらなかった」
(『猫年』より)
「東京駅のプラットフォームで電車を待っていた/線路の向こうを見ると 黒ずんだ群の中に/サーモンピンクの軽装の人が立っていた/一人ではない 一定間隔に同じ身なりの人が並んで/まるで春の灯ともし人」
(『春』より)
最後に引用したのは待機している新幹線の車内清掃人グループのことだと直後に分かるのですが、新幹線のプラットフォームに並ぶ「黒ずんだ群」のような人々という、ひどく散文的な光景の中から、「春の灯ともし人」を見つける、その驚きが活き活きと伝わってきて、感心させられます。
やたらと猫が出てくるのも、個人的には嬉しい。
「そこはすでに猫の所有に帰す土地となり/黄色い光がまるく当たっていた/猫はこんど生まれ変わっても猫になりたいと/考えているところだった」
(『猫の土地』より)
猫がそう考えているのは誰が見ても明らかなのですが、茶虎猫が寝ている様子を「黄色い光がまるく当たっていた」と描写することで、猫はいいなあ、という気分になります。生まれ変わっても、猫にだけは決してなりたくない。猫といたい。
日常生活のなにげない光景のなかに驚きを見つける落ちついた詩集。単行本(デコ)出版は、2009年06月です。
日常生活(一部、旅行記も収録されています)のささいな出来事や光景のなかから、小さな驚きや感慨をすくい出して見せる作品集。目のつけどころもさることながら、見せ方がうまいのです。
「うちの猫が子猫をなめあげる舌をやすめて言った/「猫をあなどってはいけないわ」/ひととおり済むと しっぽを立てて/あじさいの花の匂いを嗅ぎにいった/あのあじさいの白/わたしはいつも驚いてしまう/猫の顔かと思って」
(『雨ふるふる』より)
驚くポイントはそこですか。
といいつつも、単純に「あじさいの花は猫の顔に似ているのでいつも驚いてしまう」と書いただけなら、ふーん、で終ってしまうでしょう。直前に、「猫をあなどってはいけないわ」とふっておく手際が見事。
「薄化粧したさざんかの花びらが散っていた/見上げると花たちがさみしく笑っている/あの花があしたいっぱい枝についていたら/あさって歯医者さんに行こう/あした散ってしまったら/まだ行かない/(たぶんあした散る)」
(『山茶花』より)
「明日には花が散ってしまうのが残念」と、わざと言わずに、歯医者さんに行かずに済むから助かるわ、というあたりの機微がさすが、うまい、と思います。
「水平線は時々/疲れて たるみたくなることがある」
(『わたしの水平線』より)
「ケータイがなければよかったね/いやケータイがあってよかったのか/よく考えてみる必要がある」
(『二人』より)
「カラスは落としたものは拾わない主義か/あきらめが早いのか/消えたものは頭からも消えてしまうのか/どうもよく分からない/叔母さんの次の観察を待つ」
(『東京のカラス』より)
「彼はひょいともう一ぴきの猫を飛び越えた/何も起こらなかった」
(『猫年』より)
「東京駅のプラットフォームで電車を待っていた/線路の向こうを見ると 黒ずんだ群の中に/サーモンピンクの軽装の人が立っていた/一人ではない 一定間隔に同じ身なりの人が並んで/まるで春の灯ともし人」
(『春』より)
最後に引用したのは待機している新幹線の車内清掃人グループのことだと直後に分かるのですが、新幹線のプラットフォームに並ぶ「黒ずんだ群」のような人々という、ひどく散文的な光景の中から、「春の灯ともし人」を見つける、その驚きが活き活きと伝わってきて、感心させられます。
やたらと猫が出てくるのも、個人的には嬉しい。
「そこはすでに猫の所有に帰す土地となり/黄色い光がまるく当たっていた/猫はこんど生まれ変わっても猫になりたいと/考えているところだった」
(『猫の土地』より)
猫がそう考えているのは誰が見ても明らかなのですが、茶虎猫が寝ている様子を「黄色い光がまるく当たっていた」と描写することで、猫はいいなあ、という気分になります。生まれ変わっても、猫にだけは決してなりたくない。猫といたい。
タグ:その他(小説・詩)
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