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『日日漠弾トンコトン子(新潮2013年5月号掲載)』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「「ほーら」、「これが」、「トン子の」、「お見送りよ」、「どおう?」、「素敵でしょ」、「びっくりでしょ」、関係ない坂の関係ない庭からぽーんと出て来て、とんこぴょんこ、ぴょんこぽーん。あぶないよ車の前」(新潮2013年5月号p.156)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第70回。

 最新単行本『母の発達、永遠に/猫トイレット荒神』のあとがきに登場した「飼うしかないと悩んでいた外猫未満の「完璧なトン子ちゃん」」のことを書いた短篇が「新潮2013年5月号」に掲載されました。

 「あっトン子ちゃんだ、あれトン子ちゃんになった、あっごめんね、ごめんねドラ」(新潮2013年5月号p.152、153)

 「了解!「完璧なトン子ちゃんだ」、ここまでトン子な猫は見た事がないで。これはまさにトン子オリジナルだトン子本人だ」(新潮2013年5月号p.153)

 「固有名詞ではなく私が勝手に猫のある状態を表したもの」(新潮2013年5月号p.152)であるトン子。そのトン子そのままの猫、完璧なトン子ちゃん、トンコトン子との出逢いを書いた作品です。何度か遭遇するうちに飼う決意を固めたのですが、実は他人様の飼い猫だった、と。

 トン子の魅力がいっぱい詰まった明るく楽しく心踊るような作品です。次々と語りを変えながら、変幻自在に飛び跳ねるような文章。このところ悲しい作品、恐ろしい作品が続いていたので、読者としてはほっとします。

 「「ほーら」、「これが」、「トン子の」、「お見送りよ」、「どおう?」、「素敵でしょ」、「びっくりでしょ」、関係ない坂の関係ない庭からぽーんと出て来て、とんこぴょんこ、ぴょんこぽーん。あぶないよ車の前」(新潮2013年5月号p.156)

 「門の上に「トン子」はいた「あたし、来てよ(引用蒲松齢、柴田天馬訳)」納得した。(中略)ううう腹黒いなお前」(新潮2013年5月号p.156)

 「別れた友猫伴侶猫の全てにどこか少しずつ似ていて、しかも越えても見えた、トンコトン子よ」(新潮2013年5月号p.148)

 その明るさに救われる思いでページをめくると。

  ついに持病が見つかった
  痛くて不安だった
  入院でないと駄目って言われた
  十万人に三人以下の病

などという不吉な言葉が並び、一人称も不具合っぽく「わたい」になったりして、これは、いかん。

 「すっごく悪い時、うちの神棚は黙ってしまう」(新潮2013年5月号p.157)

 「「いつかまで大丈夫」って家の荒神様はぽつんと、言った」(新潮2013年5月号p.157)

 「昔夢の中で「メイニチムイカ」って声聞いて焦ったことあるけど」(新潮2013年5月号p.158)

 メイニチムイカの件は、『一、二、三、死、今日を生きよう!』という短篇に書かれていますが(単行本『一、二、三、死、今日を生きよう! 成田参拝』収録)、ここでその言葉が蘇ってくるのはあまりに怖い。ところで掲載誌の発売日が、通例より早まって、4月6日になったというのは偶然ですか。

 うろたえていると、「今から電子書籍十冊以上出る」(新潮2013年5月号p.158)という嬉しいはずの知らせにさえ、何だか「急いでいる」ような感じがして、不吉な気配を感じてしまうのです。


タグ:笙野頼子
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