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『カメリアジャポニカ』(高塚謙太郎) [読書(小説・詩)]

 「ここまで書けばあやまちをおかしたということになるという。どどいつどどいつどどいつつ。玄関でどつかれている小僧の首うらに、ねえさんのどどいつ。お茶は熱いがいいか、あついってよばれてからお茶のお味をのべる舌はどどいつつるつるの湯気がたっている。ぼんやりとした不安」
  (『本朝義理覗機関』より)

 擬古文体、官能描写、鰐文学、SF語感。あらゆる技法を駆使して言葉の不必要な可能性を追求した超絶技巧現代詩集です。単行本(思潮社)出版は、2012年11月。

 驚きとたくらみに満ちた言葉の集合体です。まず最初の『抒情小曲集』からしてかなり変。というのも、ここにはごく短い現代詩が集められているのですが、その下部に、いちいち「注釈」らしきものが付けられていて、これが。

 「<カモ目>であって「カモメ」ではない、つまり<目>の彩りが次々とひらき、ついばまれ、かさなり、からげている。そのあたりを時間軸で処理したものを<リーザ>と名づけている。よって詩篇No.2は時間軸では読み得ない。すると面白いことに、<秋>は季節のことではなくなる」
  (『抒情小曲集No.2』注釈より)

 「ことを指摘しておく」、「この意味において重要ではない」、「参照のこと」、「注目したい」、「やや弱いか」、「そこここにある」、「結果といえよう」、「見て取れよう」、「再度指摘しておくと」、「成果と認めたい」、「とみておく」、といった不思議な文芸評論的慣用句が乱舞するこの注釈、実のところ注釈というか、むしろソーカル事件。

 それでも最初のうち字面だけは大真面目だったのが、次第にドリフト走行してゆきます。

 「はたして詩篇No.6から連続しているのか。その不安が読点である。ゆえに<カレンダー・ガール>という商標登録を済ませてある」
  (『抒情小曲集No.7』注釈より)

 「以上を持ちまして、すぐにもすすぐつもりでいるのです。憂い、初声が、千々に、縮こまり、困る、女文字の見返り美人」
  (『抒情小曲集No.31』注釈より)

 この「注釈ワザ」のためだけ(おそらく)に現代詩をたくさん書き、注釈を配置する物理的スペースを確保すべくわざわざ縦長のペーパーバックで出版するという、この凝りよう。まぎれもない物数奇。

 「先夜、仕事帰りに女の子の中学入学祝いに万年筆を匿名で送りつけた。今朝、万年筆は筆立てに刺さっているが、使われることはない。時代がそうさせた」
  (『高野』より)

 「初め花嫁が犬だと思っていたが、花婿が犬だった。花嫁は年々容貌衰えいつしか衣装も脱ぎ捨て、犬は凄惨に肥え太ってゆき、張子の虎のようにしか歩かなくなり、河川敷には花嫁しか来なくなり、花嫁と犬はハレのビーチでその姿を撮影されたのが揃いの最後になった。その絵葉書が届いたので、神話となった」
  (『河内』より)

 「掘削するたびに命のほどよさを唄いさ夜ふけて、キリシタン額美し、血染めの朝霧、一葉の、器官としての兎。流れえて、いま静か。命の、命。からかさ。季節の嫌いなやつほど、陰暦に演算する、ポマードポマード」
  (『スコヴィルの陽のもとで』より)

 「我が輩は鰐である。名前はまだない。(中略)我が輩は鰐、鰐として我が輩、井戸の底からこんにちは」
  (『日本鰐文学大全拾遺』より)

 「煮る似る煮汁、もう一度、煮る似る煮汁、ところどころの分家でそこかしこの餅のかたちは整う、fusyut!!焼けたようだ集まれとばかりに歯の矯正や剃刀負けした頭に、砂糖や、醤油や、味海苔や、きな粉や、餡や、えい、といらへたりければわらふことかぎりなし」
  (『本朝義理覗機関』より)

 「伊勢内宮社地、三輪山、を経て、室生へ向かう大日の落とす滴りを千の手でもてあそぶと、白布のたれるそれはそれは優美なその対岸の竜ヶ壺の口の辺りをまさぐってみる。ほら震えるような、もうすぐ大風が逆巻いて伸び縮みのはてのはてまで遠く見晴るかす、女人高野の宝瓶が大日に照り映え、ありがたやありがたや。ああいいね」
  (『赤目』より)

 「時代がそうさせた」、「神話となった」、「ポマードポマード」、「こんにちは」、「煮る似る煮汁」、「ああいいね」、といった決めゼリフ(たぶん)が気持ちよくてたまりません。格調高い擬古文体で紀行文なのか官能小説なのか分からない描写が続いたりして、もう裏筋なぜられる快感。

 かと思うと、あ、今度はSFですよ。

 「ハバネロのスコヴィル値(100,000 - 350,000)は、まわりの全てのカプサイシン物質との関係で決定される。他にカプサイシン物質のないスコヴィル値受容体の神経空間の中では、ハバネロのスコヴィル値には、何の意味もない」
  (『スコヴィルの陽のもとで』より)

 「デトリタス食者の産卵が更なるデトリタスを発生させ、デトリタスサイクルの後輪を<メダカ>が拍車をかけている格好になることを嫌い、<卵>を付着面から剥がし、浮遊させ、のみ込む。軌道上のある一定のサークルにおいてそれらは摂理となる。遊撃のほしいままに、ダンス、するアグネス、かつてマザーの恩恵からもっとも遠いところにいた頃の、「思い出」を書記できるとかかずらっていた、聖=少女アグネス、複数のフィルム板を重ねていき、<メダカ>とシンクロするたびに、マーメイド伝説、に悲劇性を持たせていた時分の、幸福な圏内での、戦闘」
  (『アグネス・ブルー』より)

 どこがSFだ語感だけじゃないかとおっしゃる方もいらっしゃることでしょうが、それじゃききますが山田正紀さんや神林長平さんの作品が語感だけじゃないと言い切れるその根拠とやらは、などと言い出すと長くなるので止めておきますが、とりあえずの了解事項として表題がSFだと思います。

 というわけで、文芸評論から鰐文学、官能描写からSF語感まで、様々な手練手管を重ねた大盛りつゆだく言葉のカンブリア爆発。文字を並べるだけで死角からの一撃が可能になると知ったらあっと驚くためごろう。言葉の機能に伝達でも共感でもなくひたすら驚異を求めてやまない方に。


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