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『カラマーゾフの妹』(高野史緒) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

 父殺しの事件から13年後、特別捜査官となったイワン・カラマーゾフは、真相を明らかにすべく現場を再訪する。彼を待っていたのは、あの事件と同じ凶器を用いた新たな殺人、そして「悪魔」の再出現。一方、コーリャと再会したアリョーシャは、モスクワの地下で驚くべきものを見せられる。それは19世紀のロシア、いや地球上には、決して存在するはずのないものであった。

 真実はいつもひとつ!
 はたして名探偵イワンは「真犯人」を見つけられるのか。そしてアリョーシャは皇帝暗殺に成功するのだろうか。古典の書かれざる「第二部」に挑み、第58回江戸川乱歩賞を受賞した長編ミステリ。単行本(講談社)出版は、2012年08月です。

 古典として名高い『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)には、13年後の出来事を書いた「第二部」の構想があり、しかも完成時には第二部の方がメインとなる、ということは著者自身が明記しています。しかし、その死により結局「第二部」は書かれないままに終わりました。

 それが今年になって、幻の「第二部」に挑戦した作品が二冊も出版され、大きな話題になったのです。一つは『屍者の帝国』(伊藤計劃×円城塔)(2012年08月28日の日記参照)、そしてもう一冊が本書というわけです。

 どちらの「第二部」にも、アリョーシャとコーリャによる皇帝暗殺の試み、というプロットが含まれています。これは、元々のドストエフスキーの構想に対して敬意を払ったものでしょう。もう一つ、両作に共通しているのは、文学とSFにまたがって活躍している作家の手による、ミステリとスチームパンクSFの融合を狙って書かれたと思しき話である、という点。

 というわけで、高野史緒さんによる「第二部」です。

 極めてストレートな続編として幕を開けます。今やロシア内務省の特別捜査官となったイワン・カラマーゾフが、13年前の父殺しの現場に戻ってきます。科学捜査やプロファイリングなど最新の犯罪捜査法に習熟し、さらに英国のさる名探偵から学んだ今のイワンなら、あの事件の真相を明らかに出来るかも知れないのです。

 「年齢は二十代後半から三十代半ばくらいの男性で、右利き、背はラキーチンと同じくらいか、いくらか高い。家族、特に異性を含んだ家族と同居していて、部屋は散らかってはいないだろう。かなりの程度の教育を受けていて、まともな社会的立場があるはずだ。(中略)おそらくスラヴ人の男性だ」(単行本p.117)

 さすが誰かさんに学んだだけのことはあります。しかし、その優れた推理力をもってしても、13年前の事件の再捜査は難航。その上、かつてイワンを苦しめ翻弄した「悪魔」までが再出現して、彼を追い詰めてゆきます。どうやら事件の背後に隠された秘密は、イワンとアリョーシャの幼少期にあるらしい。そこには、少年スメルジャコフの姿、そしてカラマーゾフ家の末娘の存在が・・・。

「俺はあの事件以来、自分に対する嫌悪感がなくならないんだ。スメルジャコフを犯行に向かわせた俺を、良くないことが起こると知りつつモスクワに逃げた俺を、事件の前の晩、親父の様子を立ち聞きした俺を、どうしても許すことができない。俺は自分が取ってきた行動の根源を知りたいし、俺に対する俺自身のコントロールを取り戻したいんだ」(単行本p.138)

 こうして物語は、イワン・カラマーゾフが「第一部」で示した混乱した言動の謎に迫ってゆき、その奥底に隠されたトラウマを暴いてゆくことに。いわば『カラマーゾフの兄弟』という小説に対して、フロイト流の精神分析を試みるのです。

 「第一部」の精神分析から明らかにされるのは、登場人物たちが隠し持っていた、性的倒錯、精神病質、解離性障害、共依存など異常心理の数々。そして、ついに「ドミートリーでもなければスメルジャコフでもない」(単行本p.7)と序文で明記されている真犯人の正体が明らかに・・・。

 「真相まであと一歩というところまで迫っておきながら、最も重要な点を見逃している。極めて重要な、絶対に逃してはならない点をだ。何故誰も気づかなかったのだろう?」(単行本p.193)

 と、これだけでも文芸ミステリとして満足できるでしょうが、本書にはもう一つ、別のプロットが含まれていて、これがもうSF読者大喜び。

 グルーシェニカの手引きで地下組織に入ったアリョーシャは、かつて自分を崇拝する利発な少年だったコーリャ・クラソートキンと再会し、皇帝暗殺を目指すことになる。ここまでは「構想」通りの展開ですが、本作がファンタスチカ、というかスチームパンクSFになるのはここから先。コーリャがモスクワの地下で密かに開発していたもの。それは。

 「階差機関(ディファレンス・エンジン)のプログラムを設定してやれば、いくらでも計算できるのですよ! 僕の機械はメモリやそのアドレスを持ち、独立した中央演算部を持っています。(中略)これはバベッジさえ想像しなかった機械なのです」(単行本p.169)

 それはもはやディファレンス・エンジンというより、書き換え可能プログラム内蔵型ノイマン方式デジタルコンピュータそのもの(注:19世紀です)。プログラムを担当するのは、謎の天才少女エイダ。モスクワ川の水を地下に引き込み、このマシン専用の水力発電所まで建造してしまうコーリャ。モスクワの地下なら何でもアリなのか。

 ついに登場するは建造中の巨大宇宙船。もちろんモスクワの地下だから何でもアリなのです。すでに軌道上への人工衛星打ち上げに成功している(注:19世紀です)コーリャが抱いている驚くべき野望。史上初の有人宇宙ロケット打ち上げは果たして成功するか。

 こうなると皇帝暗殺とかもうどうでもいいような気がしますが、それでもコンピュータや宇宙船に背を向けてドストエフスキーの想定プロットを律儀に守ろうとするアリョーシャ。彼はつくづくSF向きじゃないなあ。

 「ミステリーとして読んでも、カラマーゾフ家をめぐるメタフィクションとして読んでも、帝政ロシアを舞台にしたスチームパンクSFとして読んでも、見事におもしろい奇跡的な一作。高野史緒さん、おめでとう」(石田衣良氏による選評より。単行本p.317)

 乱歩賞受賞作品ということでミステリ読者は当然読んでいるでしょうが、SF読者、特にスチームパンク好きにとっても見逃せない一作。『屍者の帝国』(伊藤計劃×円城塔)と読み比べてみるのも一興でしょう。この二作を皮切りに、これから続々と「カラマーゾフの兄弟 第二部」(通称カラマニ)が書かれることを期待したいと思います。


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