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『私は幽霊を見た  現代怪談実話傑作選』(東雅夫:編) [読書(随筆)]

 「さてもさても人生には夢がほしい。淋しく暗く恐ろしい夢ほど恋しい」
  (『怖い・凄い・不気味な』(平山蘆江)より)

 徳川夢声が軽妙に語る怨霊譚、遠藤周作と三浦朱門が幽霊旅館で過ごした一夜、桝井寿郎を襲った宇宙人。昭和の時代に発表された怪談随筆から選ばれた傑作選。文庫版(メディアファクトリー)出版は、2012年08月です。

 昭和の作家たちが世に送り出した怪談随筆を堪能できるアンソロジーです。昭和30年代から、ちょうど平成に切り替わった頃までの時期に発表された随筆作品が収録されています。

 何といっても昭和なので、今のように激しい心霊現象がばんばん起きたり、やれ死んだ、発狂した、封印された、そんな派手な話はほとんどありません。大半は、妙な気配を感じたので気になっていたところ数日後ちょうどその時刻に誰それが亡くなったと聞いた、科学万能の世などと云われているがやはり幽霊はいるのやも知れぬ、といった類の長閑な随筆です。

 前半は昭和30年代に発表された作品が中心。古めかしい因縁話もありますが、次第に、幽霊や因縁ではなく、怪現象そのものが興味の的となる語りが多くなってゆくのがよくわかります。

 例えば、本書に収録された『私の霊界肯定説』(徳川夢声)。怪現象を語るその名調子が印象的な作品ですが、これについて池田彌三郎氏がこう書いています。

 「去年は徳川夢声さんが体験談を語って、幽霊などの出ない、新しいタイプの怪談として好評を博した」(文庫版p.106)

 「去年」というのは昭和33年のこと。それまでの怪談は「幽霊が出た」ということを語るのが当たり前だったことがわかります。それがこの頃から、幽霊ではなく、怪現象そのものが語りの中心になっていったらしい。

 また、怪現象を体験したとき、それを探求してみる、実験してみる、という姿勢が出てくるのも、時代の変化が感じられ、興味深いものがあります。『叩鉦の怪』(長田幹彦)では、誰もいない部屋から鉦の音がする、しかも自分にしか聞こえない、という怪異が扱われています。

 「ところがあとでしらべてみると、その速記のテープレコーダーにあの変な鉦の音がぼんやり入っているのが分かった、どうも不思議である。人には聞こえないで、テープにだけ残っている。マザマザと鉦の音である。カンカンと鳴っている」(文庫版p.115)

 マザマザと鉦の音、カンカンと鳴っている、といった軽やかな表現を見ても分かる通り、あっけらかんとした雰囲気のまま、著者はテープレコーダーを用意して鉦の音を録音する実験に取り組んでゆくのです。

 『幽霊の実験』(大高興)も、被験者とあらかじめ「死んだら幽霊になって実験室に来て霊現象を起こす」という誓文を交わし、死後に今か今かと待ち受ける、という(不謹慎な)実験の顛末を科学論文調で書いた怪作。イラストが大迫力。

 熱海の幽霊旅館を扱った『悪い旅行』(三浦朱門)と『三つの幽霊』(遠藤周作)は、同じ部屋に泊まった二人がその夜の体験をそれぞれの視点から書いたという貴重な記録。本書収録作のうち、随筆文学としては『三つの幽霊』(遠藤周作)が最も面白いと、個人的にはそう思います。見事な構成、迫真の情景描写、軽妙洒脱な語り口、いずれも感銘を受けます。

 後半になると、幽霊は次第にオカルトにおされてゆきます。例えば、『お化けの会ができるまで』(平野威馬雄)にはこうあります。

 「ノストラダムスの大予言や、ユリゲラーの霊能力に触発されて、日本じゅうに氾濫している超能力少年少女の続出で、台所のスプーンやフォークが片っぱしから使用に耐えなくなり(中略)、大変な忙しさだ。こうした、エスパーたちや、オカルト亡者や星占い師たちのストゥルム・ウント・ドラングをよそに、幽霊だけは、取り残されたように、しょんぼりと柳の下で、ものがなしくも、立ちつくしている」(文庫版p.209)

 こうなると、怪現象も幽霊や妖怪ではなく、宇宙人の仕業ということに。

 『宇宙人』(桝井寿郎)では、著者は謎めいた男たちに襲われます。後から空飛ぶ円盤研究家がやってきて、「その宇宙人たちは、桝井さんを空飛ぶ円盤へと連れこんで、研究材料に使うつもりだったかも知れませんね」(文庫版p.238)と言うのです。

 「宇宙人だと教えられるまでは、今日の今日まで、「天狗のやつ、天から降ってきて、おれに襲いかかったな」と私がそう思いこんでいたのは、無理からぬ話かもしれない」(文庫版p.238)

 天狗などと愚かな迷信にとらわれていたが、実は宇宙人だったという「科学的」説明がついた、という発想がごく自然なものとして書かれているのが、今から見ると面白い。

 他にも、『怪談詮議』(水木しげる、山田野理夫、桝井寿郎)では、水木しげる氏がこんな発言を。

 「この本を書いた人はピラミッドの研究をしてましてね。それで、日本の神社から出た古代文字を解いたのです。(中略)古代、ピラミッドから円盤を飛ばしたのではないかというんです」(文庫版p.261)

 あんな時代もあったねと、きっと笑って話せるわ、だから今日はくよくよしないで、今日の風に吹かれましょう。

 ラストを飾るのは、『生き人形』(稲川淳二)。ほとんど段落ごとに強烈な心霊現象吹き荒れ、視覚・聴覚・嗅覚・触覚すべてを刺激しつつ、死んだり事故にあったり消息不明になったり収録中止になったりする派手さ、そして後味の悪さ。

 平成二年に発表された本作は、昭和怪談をはるかに突き抜けていることが、ここまで順番に読んでくるとよく分かります。同じ年に『新耳袋』と『学校の怪談』が出版されている、という象徴的な出来事もあって、ああここで昭和が終わったんだなあ、という感慨を覚えます。

 というわけで、昭和の怪談、幽霊譚の懐かしい雰囲気を味わいつつ、そこから現代までの流れを感じることが出来る一冊です。昭和の作家たちの随筆アンソロジーとしても楽しめます。

[収録作品]

『怖い・凄い・不気味な』(平山蘆江)
『怪談』(火野葦平)
『霊三題』(阿川弘之)
『かくて怪談あり』(北村小松)
『青年幽霊の来訪』(矢田挿雲)
『私は幽霊をみた』(牧野吉晴)
『幽香嬰女伝』(佐藤春夫)
『ある寝室』(富沢有為男)
『私の霊界肯定説』(徳川夢声)
『不思議といえば不思議な話』(池田彌三郎)
『叩鉦の怪』(長田幹彦)
『悪い旅行』(三浦朱門)
『三つの幽霊』(遠藤周作)
『黄色いマフラー』(柴田錬三郎)
『本を読みにくる亡霊』(村松定孝)
『お化けの会ができるまで』(平野威馬雄)
『幽霊の実験』(大高興)
『宇宙人』(桝井寿郎)
『怪談詮議』(水木しげる、山田野理夫、桝井寿郎)
『イタコの謎を追う(抄)』(中岡俊哉)
『自分の命日を霊が教えた』(新倉イワオ)
『鬼火』(石原慎太郎)
『生き人形』(稲川淳二)


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