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『口福台灣食堂紀行』(松岡政則) [読書(小説・詩)]

 「ひるめしは咸魚炒飯に海藻スープ/お玉で中華なべをたたく音が食堂を生きものにする/具材はこまかく切った鶏肉に咸魚/きざんだネギやカイランサイの茎がはいっている/ひとの舌というものを知り尽くした味で/うまいにもほどがあった/たいがいにしろだ台灣」
 (『ダマダマ!』より)

 飯を喰う、あいさつする。路地を歩き、市場を歩き、あいさつする旅人の姿をえがいた、台湾紀行詩を中心とする詩集。単行本(思潮社)出版は、2012年06月です。

 「日本領五十年、白色恐怖四十年。本省人、外省人、客家、原住民。/いいや、そんなことは一切かんがえないめし屋にはいる」
 (『埔里』より)

 「そんなふうにみないでくれ。どこにも帰属できないただの拗ね者、/あいさつになりたいだけの未熟な旅師だ」
 (『ファルモサ』より)

 「あいさつがあってよかった/あいさつとは態度のことだろう」
 (『口福台灣食堂紀行』より)

 この島が経てきた過酷な歴史、そして複雑な民族事情。自らの出自を共鳴させつつも、けしてしたり顔で語ったりせず、誠実に、自然体で台湾に向き合おうとする旅人。立ち寄った土地であいさつし、歩き回り、無心に飯を喰う。そんな詩集です。

 まずは市場のあたりをぶらぶら歩き回ります。

 「油/煙や蒸氣をあげて/ずらり食べ物屋がならんでいる。たっぷり弛ん/だ中年のおんなが、リヤカーで露地もの野菜を売っている。一本二/元の台灣風おでんがあった。天婦羅の看板が出ていたけどあればど/うみたってさつま揚げ。冷やかしていくだけの吝い客に、聲をあら/げてやりかえす市人もいる」
 (『青空市』より)

 「荷台につんであるのは南國のくだもの/釈迦頭(シュガーアップル)、楊桃(スターフルーツ)、芭樂(グアバ)/みたこともないふしぎなくだもの」
 (『洛夫(ルオ・フ)』より)

 「魚屋をのぞけば漫波魚(マンボウ)の切り身/繁体字のにぎわいにもやられる/なにやらこそこそしたくなる」
 (『口福台灣食堂紀行』より)

 「「山豬肉 三串一00元」/「楊桃 七個五0元」/現榨 樟腦油」/「田哥 檳榔」/台灣は眼のやすまるときがない。/字面を歩くだけでドクドクする」
 (『伊達邵(イーターサオ)』より)

 あせらず、腰を落ち着ける場所を探します。

 「歩くとめし。/それだけでひとのかたちにかえっていく/歩いておりさえすれば/なにかが助かっているような氣がする」
 (『口福台灣食堂紀行』より)

 「あいさつだけが頼りの食堂探索/でもだいじょうぶ/わたしはなにも知らないことを知っている」
 (『ダマダマ!』より)

 「耳の奥の空ろへ/食器のぶつかる音がひびく/シャオハイ(こども)の笑い聲もひびく/血くだがいちいち嬉しがる/わたしは雑多が足りないのだ音が足りないのだ」
 (『タイペイ』より)

 皿と椀が並んだら、あとはひたすら喰うだけ。

 「角の「萬珍食堂」は/地の者らでいっぱいだった/ひる時だからしかたない合い席させてもらう/魯肉飯(ルウロウハン)をたのみ/ガラス棚からおかず皿をとってみる/厨房では寸胴鍋をかき混ぜながら/一分刈りの親仁が注文をくり返している」
 (『喰うてさきわう』より)

 「ひとびとの聲が/地を這うように聞こえてくる/熱い豆乳に揚げパン/これでなければ台灣の朝ははじまらない」
 (『タイペイ』より)

 「どこか羞じらいのある朝のひかりをあびながら/屋台で牛すじいりの粥をすすった」
 (『洛夫(ルオ・フ)』より)

 読んでいるだけで、台湾の街角を歩いているような高揚感に包まれます。朝の光、昼の喧騒、夜の熱気、様々な台湾がここにあります。そして散りばめられた繁体字の魅力。読めばまた台湾に行きたくなる、まっすぐで力強い詩集です。

 「この土地のまなざしが/そのあぶらぎった息づきが/わたしをまったき独りにする無籍者にしてくれる/こんな自分になれるとは思わなかった」
 (『ダマダマ!』より)

 「ふいに父のまるいロイド眼鏡が/竹細工の道具箱がよぎった/わたしはあそこから来たのだと思った」
 (『ダマダマ!』より)


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