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『餓鬼道巡行』(町田康) [読書(小説・詩)]

シリーズ“町田康を読む!”第43回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、リフォームのため台所が使えなくなった作家が外食に挑戦する様を面白おかしく書いた自虐ユーモア長篇『餓鬼道巡行』と、食事をテーマとした詩集『美食放埒』を合わせた一冊。単行本(幻冬舎)出版は、2012年06月です。

 「その日の夕、流し台のなくなった台所を見て私は気楽にも「ははは。さっぱりしよった」と嘯いていた。いま思えばそのときの自分は本当に気楽であったと思う。なぜなら自宅で湯も沸かせなくなった自分はその日の夜より、飢えと渇きに苦しみつつ餓鬼道を経巡るようになったからである」(単行本p.46)

 自宅のリフォームで台所が使えなくなった作家、まずはコンビニでインスタント食品を購入、さらに外食に出かけたものの適当な店が見つからず、とりあえず近所の定食屋でとろろ定食を食したところこれが激マズ、次にラーメンを喰ったがうまくもなんともなかった、完。

 たったこれだけの内容を200ページを超える長篇小説にしたという驚くべき作品。定食屋のメニューをひたすら描写したり、ラーメン屋の佇まいを禅の公案として読み解いたり、飯喰いながら悟りだ宇宙だ実存だと、まるで泉昌之さんの脱力グルメ漫画みたいなお馬鹿なことを延々と書き続けます。

 「情報化社会というのはまるでつくねの中に天現寺交差点が丸ごと入ってしまったような社会だ。もっというと、広尾そのものが巨大な温野菜になってしまったようなものか。俺はいま自分でなにを言っているかわからなくなっているし、自分すら見失っているが、それすら情報化社会の賜物なのだろう」(単行本p.145)

 普通なら怒るところですが、これが何しろ面白いのだから始末におえません。読んでいて思わず「ぷぷっ」と吹き出してしまいます。

 「そんなことになるのは嫌だが、事実なので仕方がない。と言うと、事実だから仕方がないだろう、と開き直っているように聞こえるかも知らんが、猿に誓って言う。そんなつもりは毛髪ない。禿げである」(単行本p.33)

 「なんて言うと、なにか僕がふざけているように聞こえるが、正直に言う。ほんの少しだが、ふざけていた。そりゃあ、僕だって人間だ。ふざけるときだってある。(中略)しかし、だからといって逃げるつもりはない。僕も男だ。言ったことには責任を持ちたいなあ、という希望がまったくないわけではない」(単行本p.33, p34)

 まあ、買物ではなく外食する『バイ貝』、飯を喰うという目的を持って熱海を徘徊する『どつぼ超然』、という感じでしょうか。実はタイトルを見て「さては『宿屋めぐり』の続編か」と期待したのですが、これは愚かでした。

 西宮大策さんの写真が間に挟み込まれています。

 さらに後半には食事をテーマとした詩集『美食放埒』を収録。

   「飢渇、僕らにイワシを、鰯のピッツアを

    飢渇、僕らに平目を、平目のぶつ切りを

    飢渇、僕らにテリーヌを、フォアグラのテリーヌを

    飢渇、僕らにソテー、キノコのソテーを

    飢渇、僕らにワインを、ぐんぐんに冷却された白ワインを

    飢渇、僕らは万民、だから万民向けのお料理を

    飢渇、いまこそ

    飢渇、いまこそ

    飢渇、いまこそ

    飢渇、いまこそ

    飢渇、いまこそ

    飢渇、いまこそ
  
    与えたまえ、与えたまえ、清めたまえ、与えたまえ」

(『私たちの餓えを清めてください』より)

 こんな感じで、「溜池山の王」や「六本の木」や「自由の丘」について、「酔っぱらいのジョナサン」と「怠けものでカラオケ狂いの吉野兆吉」について、力強く歌い上げてゆきます。頭の中で凶暴なリズムを刻みながら声に出して読むと、腹減った、てめえふざけんな、何しようが俺の勝手だろ、といったテーマが心を震わせてきます。飢餓感。


タグ:町田康
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