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『進化の運命  孤独な宇宙の必然としての人間』(サイモン・コンウェイ=モリス) [読書(サイエンス)]

 「もし進化史を最初からやり直したとしたら、今とは全く異なる生物界が生じるだろう。進化の産物として人類が存在するのは単なる偶然に過ぎない」という見解に対して徹底的に反論する力作。豊富に提示される「収斂進化」の実例はまさに圧巻。進化のイメージを刷新する意欲的なサイエンス本です。単行本(講談社)出版は、2010年07月。

 「S.J.グールドが力説したのは、生命史のテープを再生すると、そこにはまったく異なった生物圏が現れるだろうということだ。人間に少しでも似た存在などかけらも見られない。(中略)しかし、進化について私たちが知っていることは、まさにこれと正反対のことを示唆している」(単行本p.423)

 生物進化の道筋は偶然に支配されているという考えは、S.J.グールドのベストセラー、『ワンダフル・ライフ』で一般に広く知られるようになりました。進化に対するイメージだけでなく、大げさにいうなら私たちの世界観にも大きく影響を与えたそのアイデアとは、次のようなものです。

・進化の可能性は無限であり、実現しているのはそのほんの一部に過ぎない

・どの系統が実現される(生き延びる)かは、主に偶然に支配されている

・もし進化史を最初からやり直したら、今とは全く異なる生物界が生じるだろう

・進化の産物として人類が存在しているのは、たまたまの偶然に過ぎない

 本書の著者であるサイモン・コンウェイ=モリス、皮肉なことに上記『ワンダフル・ライフ』の主役の一人でもあるのですが、彼がこのような見解に対して徹底的に反論したのが本書です。本書の主張は次のようになります。

・進化の可能性は厳しく制限されており、実現できる生物種は限られている

・さらに進化の収斂現象により、特定の環境にはいずれにせよ似たような特徴や生態を持つ種が現れることになる

・だから進化史を最初からやり直したとしても、今と大差ない生物界が生じるだろう

・よって進化の産物として人類(のような種)が存在するのは必然である。

 このような主張を裏付けるために著者が持ち出してくるのは、進化の「収斂」と呼ばれる現象です。クモやカイコが作る糸、カマキリとカマキリモドキの形態、タコの眼、モグラの身体構造、反響定位、真社会性など、年代的、系統的に全く異なる種の間に見られる形態的特徴や行動の驚くべき類似。それが進化の収斂です。

 つまり、どの系統が生き延びるかは偶然だとしても、与えられた環境に適応した種は、結局は(形態的特徴にせよ行動パターンにせよ)ごく限られた解決策を採用して似たような生物へと収斂してゆく、それが進化の一般的パターンだ、というわけです。

 本書は全体が12章に分けられており、およそ500ページです。さらに200ページに渡って充実した註釈、参考文献、索引がついており、全体は700ページ強。

 最初の1章から5章では、生命の存在がいかに厳しい制約を受けているかが示されます。炭素、タンパク質、DNA分子、そして遺伝子暗号について、それがどれほど生命にとって好都合であるかが明らかにされ、代替手段があるとは考えにくいことが示されます。

 つまり、他の星でも生命が発生しているとすれば、それはやはりタンパク質で出来ており、DNAによる遺伝子を持っており、おそらく遺伝子暗号でさえかなりの確率で我々のものと同じだろう、というのです。

 続く6章から10章が本書のキモで、進化の収斂現象についてこれでもかこれでもかと実例が繰り出されます。まず6章は総論的に、絹糸、骨格、カマキリとカマキリモドキの前肢、捕食獣の剣歯、ハチ・アリ・ハダカデバネズミにおける真社会性の比較、大腸菌を用いた人為進化実験、など目もくらむほど面白い話題が次から次へと登場します。

 7章の話題は感覚器官の収斂。平衡システム、頭足類と哺乳類のカメラ眼、聴覚、嗅覚、反響定位、さらには電界知覚まで、様々な感覚器官に見られる収斂現象が解説されます。

 8章と9章のテーマは、社会システム。まずはハキリアリやシロアリの「農業」が、私たちのものとどれほど似ているかが示されます。信号によるコミュニケーション、鳥のさえずりと言語、神経系、脳のサイズ、クジラとゾウの社会性、ネアンデルタール人の文化。様々な収斂現象を示しながら、人類を特徴づけている要素が思ったほど独自でも唯一でもなく、やはり収斂の例外ではないことが明らかになります。

 10章では、ヘモグロビン、不凍タンパク質、光合成など、分子レベルの収斂を扱います。そして結論へ。

 「もし私たちが意識の世界に到達せず、自分たちを人間と呼んでいなかったとしても、たぶん遅かれ早かれ他のグループが現れて同じことをしていたことだろう」(単行本p.461)

 残りの11章と12章は、さらにその先へと進みます。つまり進化によって人類(のような存在)が登場することが必然だということは、進化論とキリスト教の世界観は矛盾しない、それどころか偏狭な世俗主義や無神論よりもむしろよく調和している、と主張するのです。

 著者の信仰には敬意を払いたいと思いますが、10章までの理路整然とした論旨展開と比べるとあまりにも飛躍しすぎではないかと感じられます。11章はろくに論拠も示さずひたすら論敵を罵っている観があり、「口汚い罵詈雑言や高慢な謙遜に終始していたこれまでとは違って、宗教的思いやりに満ちた会話ができるようになるだろう」(単行本p.28)という自身の言葉をぜひ実践して頂きたいものだと、そう思わずにはいられません。

 というわけで、ラストで無根拠にキリスト教世界観へ帰着するのはちょっと感心できませんが、10章までは文句なく面白い。次々と提示される収斂進化の実例は実に豊富で、まさしく圧倒的。本筋からやや離れたトピックでも、生命の誕生をめぐる研究がどのように暗礁に乗り上げているのか、他の恒星系と比べて太陽系がどれほど生命誕生にとって都合がよい構造をしているか、地球の生命はもともと火星で誕生したのかも知れない、といった具合に魅力的なものばかり。

 ですから、キリスト教を擁護している本だと思って避けていた方にも、とりあえず10章まで読むことをお勧めします。また、参考文献が大量に挙げられているので、収斂進化について学ぶためのスタートとしても優れた一冊です。


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