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『痕跡本のすすめ』(古沢和宏) [読書(教養)]

 下線が引かれていたり、書き込みがあったり、レシートや答案用紙が挟まれていたり、絶妙な位置が汚れていたり破れていたり。持ち主の痕跡が残された古本を「痕跡本」と呼ぶ古書店の店主が、その味わい深さを縦横無尽に語った一冊。単行本(太田出版)出版は2012年02月です。

 「痕跡本」とは何か。それは、書き込みや切り取りなどの形で元の持ち主の痕跡が残されている古本のこと。古書店の店主である著者は、ふつう「汚れ、破損あり」で済まされてしまう痕跡本に独特の味わいを発見し、積極的な価値を見いだしてゆきます。

 本書は、その著者の「痕跡本」コレクションから逸品を選び抜き、カラー写真を添えて紹介したものです。ただ「こんな痕跡本みつけました」という報告だけではなく、そこから紡ぎだされる推理も。なぜ持ち主はこんな痕跡を残したのか、その心理は、その動機は、その事情は。そう、それはある夏の日のことだった・・・。

 いくら推理しようが決して解けない謎を前に、いきなり自分の妄想をだらーっと書き綴る著者も、痕跡本それ自体に劣らず、いい味出してます。

 最初に紹介される物件は、猟奇残虐ホラー漫画に残された生傷。「表紙の中心部から広い範囲にかけて、針でめった刺しにされた傷跡」(単行本p.12)を残した持ち主は、いったいどういう心理でそんなことをしたのでしょう。想像すると、何だか嫌な気分に。

 司馬遼太郎の古書収集について書かれた随筆に、「「目きき」という言葉にのみ、すっと静かにアンダーラインが引かれ、そして欄外に赤字で一言「負けたくない」という書き込み」(単行本p.24)。その書き込みを残した持ち主の対抗心、嫉妬心を想像するうちに、それは「司馬に対する想いの裏返しのように思えてきました」(単行本p.25)という著者の脳内で広がる妄想ストーリー。

 エロ漫画の「白く隠された部分が2ヶ所、ボールペンで書き足されていました」(単行本p.28)という妄念らくがき。しかし「肝心な部分」が描けなかった。つまり持ち主は童貞をこじらせた若者。そう断定する著者は、ポルノ作品の一部を隠すモザイクの大切さ、その効用、それが「日本を日本たらしめている重要な要素」だと言い切ってしまいます。持ち主よりむしろ著者の方が何かこじらせているような気もします。

 本の内容と無関係にふと書き込まれた「ある日 植物化する少年」という言葉の謎。挟み込まれていたメモが「娘の小テストの裏」(単行本p.59)だったという珍事。誕生日プレゼントの言葉が書き込まれたまま古書店に直行した本のもの悲しさ。ビジネス啓蒙本の余白に力一杯書かれた熱いサクセスストーリーの跳びまくった無茶さと真剣さ。

 だから何なんだ、と思う人にとってはあまりにも無意味な本です。商品価値が低いヨゴレ本の写真の数々に、古書店主の妄想が書かれているだけの本。しかし、何だかこう、確かに古書に対する粘着、いや執着、というか愛着を感じとれないこともありません。

 なお、本書にはちょっとした仕掛けがあります。すなわち、本文に赤で下線が引かれてたり、手書き風の書き込みがあったり、奥付のページには勝手な感想が記されているという具合。「新刊にして痕跡本」という新ジャンルを開拓した一冊でもあります。おそらく最後の一冊でしょうけど。


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