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『虹とクロエの物語』(星野智幸) [読書(小説・詩)]

 シリーズ“星野智幸を読む!”、第10回。

 二人の女性の友情を軸に、自分探しに悩み苦しむ四人が交互に語る実存をめぐる物語。単行本(河出書房新社)出版は2006年1月です。

 虹子(ニジコ)と黒衣(クロエ)。それぞれ学校になじめない二人は、唯一無二の親友となった。放課後の河原でひたすらサッカーボールを蹴りあうことでコミュニケーションをとる二人。だがやがて彼女たちは別れ、そして二十年の歳月が流れる。再会した彼女たちは、あの孤島へ行ってみることにした。二十年前にユウジと出会ったあの島へ。

 主要登場人物の一人がクロエという名前であること、孤島を舞台としたロマンスという筋立てが含まれていることから、おそらく『ダフニスとクロエ』が下敷きになっているのだろうと思われますが、何しろ未読なのでそこは気にしないということでご勘弁を。

 これまでの作品と比べて、非常に読みやすい作品です。四人の視点人物が交互に語るという形式で、中年期における自我の確立というテーマが、いわゆる「自分探し」の物語が、この作者にしては割と素直に展開します。とはいえ、油断は禁物。

 四人の視点人物は、それぞれ実存意識に深刻な問題を抱えています。

 虹子は凡庸さを毛嫌いした挙げ句に、いかにも平凡な人生を選びます。他人と同じことをしている自分、個性のない自分を嫌悪する彼女。生まれた息子が自分の凡庸さをコピーして成長するのかと思うとやり切れません。そこで彼女は、自分の分身たる五色の虹子を呼び出し、彼女たちとサッカーボールを蹴り合うことで、クロエと過ごした日々を蘇らせようとするのですが・・・。

 クロエが孤島でユウジと出会い、彼の子供を身ごもってから二十年が過ぎています。ですが、子供は胎児のまま、ずっと子宮内に引きこもっています。おかげでクロエは母親の自覚もなく、生理もなく、肉体との疎外感に悩まされています。

 その胎児は、胎児のまますでに二十歳となっています。最近になってようやく目覚めた自我に戸惑い、また過去の不在に悩みつつ、子宮内で自我の確立を目指しています。しかし、胎児に過ぎない自分にとって自我とは何でしょうか。

 胎児の父親であるユウジは、他人の個性というか存在の核心のようなものを吸い取ってコピーするという特異体質です。本人は「吸血鬼」と称していますが、血を吸うわけではなく、外見は変わらないまま他人のコピーになってしまうという、まあ若者にありがちな。

 ユウジはこの体質のため他者との接触を避け、誰のコピーにもならないように孤島で一人で生活しています。だが彼はクロエと恋仲になり、悩み苦しんだ挙げ句に自分自身を「吸血」します。自我のコピーを繰り返すことで、どんどん薄まってゆく自分。なくなってゆく自分。周囲の環境が自我でいっぱいいっぱいになってゆく。後に書かれる『俺俺』の原型のような状態に耐えられなくなった彼は、西方浄土を目指して手製の舟で海へ漕ぎだすのですが・・・。

 超現実的な設定とリアルな苦悩が見事に溶け合い、自分探しというベタな物語に深みを与えています。再会した虹子とクロエは、失った歳月を、はたして取り戻すことが出来るのか。西方浄土へ旅立ったユウジを持つ運命は。そして胎児は自我というものを獲得して人間になることが出来るのか。読み進むにつれ、ラストに向かって強く引っ張られる作品です。

 帯に「最高傑作」などと書いてありますが、少なくとも読みやすさ面白さでは、これまでの作品のなかで一番かも知れません。


タグ:星野智幸
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