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『妻の右舷』(四元康祐) [読書(小説・詩)]

 『言語ジャック』の前に出版された四元康祐さんの詩集。テーマは「妻」。全篇ひたすら妻のことをうたいます。単行本(集英社)出版は2006年3月。

 『四元康祐詩集』の解説で谷川俊太郎氏が次のように述べています。

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 『笑うバグ』での経済、『世界中年会議』での中年、『ゴールデンアワー』でのテレビ、そして(明かしちゃっていいのかな?)次の詩集での妻、四元さんの狙いはいつも的を射ている。
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『四元康祐詩集』解説 『帰ってこないで』(谷川俊太郎)より

 そーか、四元康祐さんの次の詩集のテーマは「妻」か。しかし、妻をテーマに一冊の詩集を書くというのはどういうことなのか。一つや二つならともかく、詩集一冊まるごと妻のことを書くわけにもいかないでしょう。疑問に思いつつ、本書を読んでみたのですが。

 私は詩人というものを甘くみていました。

 詩集一冊まるごと妻のことをうたっています。めくっても妻、めくっても妻。あとがきにて著者は「これは愛妻詩集ではありません」と書いていますが、なら「妻愛詩集ですか」と言いたくなります。

 といっても「最愛の妻に捧げる詩」というような作品ではなく、むしろ「妻という他人が日々の一部になっていることの不思議さと戸惑い」とか、「長年連れ添っているにもかかわらず絶対的に理解しえない妻という存在への畏れ」とか、そういう心情を表現した詩がほとんどです。

 いくつかの作品の冒頭部分を引用してみます。

 「どこからみても/ふたりは幸福だった/互いに対して犬のように忠実だったし/一男一女の子供たちはすくすくと育っていった/病気知らずで金に不自由もしなかった/全く文句のつけようがなかった」(『男と女』より)

 「君と会ったことは僕にとって/掛け値なしに最大の幸福だったが/その逆もまた真なりと云えるのだろうか」(『美術館の女たち』より)

 「夢の中で妻が別の男と寝たので/凄く腹を立てて僕は目を覚ましたのだが/夢の外の空気に晒されたとたん/感情はみるみるうちに希薄になって/別段騒ぐほどのことでもないと思えてくる/ただそこにいることの不思議さに較べたならば」(『愛よりも』より)

 「妻は言葉では書かれていないので/長篇小説を朝までかかって/読みあげるようには/ゆかない」(『妻を読む』より)

 「三度三度ご飯食べるの/飽きちゃったわ/いいえ、炊事洗濯のことじゃなくって/お腹がすくことそれ自体が/面倒くさい」(『妻を聴く』より)

 読んでいて、怒るべきか、脱力すべきか、それとも感動すべきか、何だかよく分からなくなります。妻の不思議さ、妻という存在の不思議さ、妻といるという状態の不思議さ。それに戸惑いつつも厳粛な気持ちになる詩。それだけが延々と続いてゆきます。

 正直にいうと、『笑うバグ』や『言語ジャック』のような、読者の言語感覚を混乱させその隙に笑かしてやろうという「いちびり詩」の方が好きなのですが(いけませんか?)、これはこれで、まあいいかな、と。少なくとも作者が妻のことを愛しているのはよく分かりました。

 というわけで、夜中にふと目が覚めたとき、となりに長年連れ添った他人が眠っていることの不思議さにおびえたことのある方にお勧めしたい詩集です。


タグ:四元康祐
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