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『人の道御三神といろはにブロガーズ』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第56回。

 一年半ぶりに出版された新作長篇です。人の道を通って、『海底八幡宮』(前作)と『神変理層夢経』(連載中)をつなぎ、九州の宇佐と千葉のS倉をつなぎ、海底の精霊と神棚の荒神をつなぎ、ネットを介して読者をつなぐ、そんな一冊です。単行本(河出書房新社)出版は2011年3月「下旬」。

 まず目につくのは、白を基調に、黄緑とオレンジと黒でデザインされた簡素で落ち着いた装丁。カバーを外すとちょっぴり福がやってきますので、購入された方は是非お試し下さい。

 さて、「国を奪われ、名前を奪われ、来歴を隠された、三柱の女神がいた」(単行本p.3)という前口上で始まる本書は、古代宇佐が征服されたとき、国を追われて全国を巡行することになった「人の道御三神」の話です。

 ちなみに、御三神が宇佐を追放されたとき海に流したという怨嗟については『海底八幡宮』に書かれていますし、また御三神は『神変理層夢経』に登場する荒神様の親御さんだそうで、こうして作品間がリンクされています。

 リンクされてるといえば、本書は、金毘羅が管理している「人の道御神宮」なるネット内神社について書かれた「人の道御三神」と、そこからリンクされている様々なブログについて書かれた「いろはにブロガーズ」の二部構成となっています。ちなみに「人の道御神宮」の有料コーナーではワンクリック千七百八十円という法外な御布施をとられるそうなので、軽々しくアクセスしたりしないように。

 前半「人の道御三神」では、御三神の来歴を解説しつつ、権力というものの本質をばしばし突いてきます。四世紀ごろ国を統一するために行われたやり口と、現代の統治が、その本質においてなーんも変わってないということが明らかにされます。

 後半「いろはにブロガーズ」では、御三神のプロフィールが詳しく紹介され(個人的には次女「かづき姫」がとてもお気に入りなのですが、詳しく説明すると神罰くらいそうなので略)、そして乗っ取りと追放から長い長い全国巡行を経て、ネットの中に居場所を見つけ、コンピュータウイルスを使って(祟り神ですからウイルスを使役します)様々なブログの管理人にアクセスしてまわるという、神話が語られます。

 神話パートは全体的にユーモラスで思わず笑ってしまう箇所も多く、特に『母の発達』のお母さんづくしを思い出させる箇所など抱腹絶倒なんですが、それと並行して語られる猫介護や親族の相続問題など「私小説」部分は静かな怒りと悲しみに満ちていて、読者は喜怒哀楽の波に振り回されることに。何しろ災いと福をもたらす御三神です。

 最後に付録として「論争福袋」が加えられていて、しかも福袋には新聞連載の日記などたっぷり入っていて、「なんか今回は書きたしも多いしおまけもいろいろあるね」(単行本p.251)、「ほーらお得だった。なにしろワンクリック千七百八十円もの内容がたった、・・・・・・。」(単行本p.220)という大サービスとなっています。

 というわけで、大幅な加筆と書き足しがありますので、雑誌掲載時にお読みになった方も、改めて購入して読んでいただきたいと思います。

 以下は余談ですが、どうしても書いておきたく。

 「まず民を教育する、といっても洗脳なんかする必要はない、ただ教えるだけである。だって簡単だから。ストーリーを作るのだ。良い人と悪い人の二項対立で」(単行本p.70)

 「こうしておいて自分達の都合も「公」に纏める。故に「俺の得にならない」という言葉はヤマト語では「公共性がない」という言葉に翻訳される。大切なのは、おのれを省みぬ事、外を眺めぬ事、たえずどんな行為もリセットする事、そして無知を権力の頂上に置く事」(単行本p.76)

 「国民全体に理不尽を押しつける。その上で税を一律にして困るような課税をする。(中略)いちいちやられている内に国民は思考停止する。何か考えても無駄になると思ってしまうし、恐怖で頭が働かなくなってしまうから。するともともと考えるのに向いていない、熱意のない人程早くこれに「順応」する。」(単行本p.72)

 うぬぬぬう。まさに今、そこここで行われていること、これまでずっと行われてきたこと、私が見てみぬふりして考えないようにして「順応」してきたこと、そして「順応」せず声を上げる人々のことを、ちょいうぜえとか自分勝手だとか非合理的だとか世界の潮流が分かってないとかいって軽んじてきたこと、それやこれやをずばり指摘されているとしか思えない。今読むと。

 「「うん、あれだけ金払っているのだから、何か全部ちゃんとしてくれるよ、当然だよ」と、信じ込んでいる」(単行本p.112)

 すいません。そのツケがきっちり回ってきました。

 本書の刊行が遅れに遅れ、今年(2011年)3月下旬にずれ込んだのは、むろん世俗的な理由が色々とあるのでしょうが、私はどうしてもそこに神意を感じずにはいられないのです。ええ、迷信です、オカルトです、土俗信仰です。でも、このタイミングで本書にぶち当たった以上、そこからできる限りのことを読み取りたい。これから再読を重ねます。


タグ:笙野頼子
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