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『愛という病』(中村うさぎ) [読書(随筆)]

 2006年から2010年にかけて「新潮45」に連載されたエッセイをまとめた一冊。文庫版(新潮社)出版は2010年12月です。

 『女という病』や『私という病』に続くシリーズ最新刊で、もちろん“黒うさぎ”でありますが、殺人犯になりきったり実際にデリヘル嬢を体験したりした前二冊ほど強烈ではなく、それなりに気楽に読めるエッセイ集になっています。

 といっても、女性作家によるありふれた時事評論エッセイだと思って油断すると、いきなり「女の自意識」や「ジェンダー」をめぐる深刻な問いに引きずり込まれた上、特に中年男性など股間を蹴りあげられることになりますので要注意。

 著者はずっと欲望と自意識について考察してきましたが、今では「そんなこんなで買い物依存症もホスト狂いも終わり、ついでに閉経までして(笑)、現在はすっかり落ち着いた」(文庫判p.186)、「最近、憑き物が落ちたように、セックスに興味を失った」(文庫版p.175)とのことで、本書では「欲望」よりも「自意識」にまつわる問題に焦点が当てられています。テーマはこれ。

 「何故、女は「愛し愛される事」に固執するのか? 他のすべてに充足していても、「愛し愛される相手がいない」という一点の欠落だけで、自分を価値のない存在のように感じてしまうのは何故なのか?」(文庫判p.280)

 この中核テーマをめぐって、エロいとはどういうことか、露出過剰の背後にある恐怖心、一部の女性が持っているセックスに対する嫌悪感の根源、妻帯者と独身女性の不倫が発覚したとき女性側ばかりが批判されるのは何故か、部屋を片づけられない男は許容されるのに女は病気扱いなのはどうして、子供を産みたいと思うのは本能だと断言する女は何に怯えているのか、といった話題が次から次へと出てきます。

 「女性漫画家の自画像」といった軽い話題でさえ、彼女たち(紫門ふみ、倉田真由美、西原理恵子、安野モヨコ、一条ゆかり、さかもと未明)の描く自画像を分析して、その背後にある「女の自意識」を読み解く、というシリアスな方向に展開したりして、読んでいてちょっと疲れる気もしますが、かなり面白い。

 「性的に奔放な女に欲情しながらも、同時に恐怖を感じて過剰に憎悪する卑怯者の遠吠え・・・」(文庫版p.174)

 「普通の親切心や気遣いさえ「女を使ってる」と非難する偏ったフェミ女」(文庫版p.159)

という具合に、男女問わず、遠慮なく痛烈な批判がぽんぽん飛び出すのも痛快、というか「快」はない、これがまた的確で、読んでいていちいち頭抱えてしまいます。

 実のところ、私を含む中年男性は、というと一緒にすんなと言われそうですがまあ一般論として、女性の様々な言動について、好き嫌いや快不快のレベルで極めて動物的に反応するだけで、その背後にどんな自意識があるのか、などといったことは深く考えないことが多いわけです。それでは他人に対する敬意というものがあまりにも不足している、という当たり前のことに改めて気づかされた一冊です。おそらく女性読者が読むとまた違った感想を持つのでしょうけど。


タグ:中村うさぎ
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