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『猫ダンジョン荒神(前篇)(すばる2010年9月号掲載)』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第50回。

 びっくりしました。『人の道 御三神』完結からしばらく音沙汰がなくなり、やきもきしていたところ、一年ぶりにようやく『小説神変理層夢経・序 便所神受難品その前篇 猫トイレット荒神』が『文藝』2010年秋号に掲載されたと思ったら、何と一カ月後には本作『小説神変理層夢経 猫未来託宣本 猫ダンジョン荒神(前編)』が「すばる」に掲載されたのです。

 確かに『猫トイレット荒神』には、「これからあっちこっちの文芸誌で続けていく」と書いてありましたが、まさか序章の完結を待たず、翌月にはもう他誌で本文の連載が始まるなんて、夢にも思いませんでした。

 いったいなぜ、こんなに急ぐのでしょうか。おそらく、そう、愛猫ドーラの避け得ない死が迫っているため。笙野作品を追いかけてきた読者であれば、ドーラの死について考えただけで、悲しみと、不安(果たしてそのとき笙野頼子さんはどうなるのか、小説を書き続けることが出来るのか)を覚えざるをえません。

 内容ですが、まずは『トイレット』でも扱われていた家族問題、猫の介護、そしてもちろん荒神「若宮にに」について語られます。

 「荒神様、荒神様、猫が死ぬのが怖くて小説が書けません」

 悲痛な叫びから始まる猫介護の箇所は凄い迫力で、読んでいて感情が揺さぶられます。そして、死別を前提とした上での、今の刹那の幸福を保存するための「猫ダンジョン」へと話はつながってゆきます。

 静かな筆致で切々と語られる祈りのような文章をしんみりと読んでいると、後半になってようやく「金毘羅」というキーワードが登場し(それまで全く出てこないのがいかにも不自然で気にはなっていたのですが)、ここで読者はおそらく腰を抜かすことになります。

 『金毘羅』をお読みの方ならご存じの通り(未読の方、来月に文庫化される予定なので是非お読み下さい)、生まれたばかりですぐに死んでしまった赤ん坊の身体に憑依した「金毘羅」が笙野頼子の正体ということになっているわけですが、そのとき身体を奪われた赤ん坊、というか女子の魂が戻ってきて、饒舌に語り始めるのです!

 この女子、名前はないのですが、当然ながら金毘羅に対しては非常にシニカル。「あんな海底のぽっと出がまるまる相続していくわけかよふーん」、「金毘羅ってばっかみたい見ていてイライラしますわ」、「要するにね、この人、やはり祈る対象が必要なただの深海生物にすぎないと思います」とか。口調がすごくはすっぱでたかびーなのが可笑しい。

 さらには、それまで語られてきた本作の内容について「こいつが絶望して脱力したりしているのってどう考えても身の程知らずですよ、って思いますね」などと辛辣に評したりして、それまで熱い目頭をおさえながら読んできた読者は一転して苦笑させられることになります。いわば、笙野頼子vs市川頼子、みたいな急展開。

 その直後には、「若宮にに、講演会」が開催されます。それまで「荒神様! 荒神様!」と真摯な切実な祈りの対象として書かれていた荒神が、「自分で言うけどね、可愛いでしょう、僕」とか「アニメの声優みたいなところもあると思います」などとくだけた口調で話すので、これまた衝撃。振り落とされないよう読者もキアイを入れなければなりません。

 ところで『トイレット』は一人称が「あたし」になっていて謎だったのですが、今作では基本的に一人称は「私」になっています。ただ、女子は最初から最後まで「あたし」でしゃべりますし、猫ダンジョンの部分ではなぜか金毘羅の一人称まで「あたし」になります。「私」と「あたし」の使い分けは、いま一つよく分かりません。

 とにかく、どう展開するのか予想がつかない(そもそも、どの文芸誌に掲載されるのかも分からない)連載です。先のことを考えると、不安と期待が交錯して、どきどきしてきます。


タグ:笙野頼子
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