『ペンギン・ハイウェイ』(森見登美彦) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]
京都を舞台にクサレ大学生どもが無用な試練にあたふたする妄想話を書かせれば日本一、いやおそらく世界一の作家、『四畳半神話大系』 アニメ化で調子にのってるモリミーこと森見登美彦さん。最新作は、何と京都も大学生も狸も出てこないジュブナイル小説であります。単行本出版は2010年 5月。
舞台となるのは郊外住宅地で、主人公は小学四年生の男の子。あるとき町に突然出現したペンギンの謎を追っているうちに、森の中で奇妙なものを発見します。友達と一緒にその秘密を解きあかすべく研究にいそしむ主人公ですが、それが近所に住んでいる仲良しのお姉さんと何やら不思議な関係にあるらしいことが分かってきて・・・。
少年少女の夏休みの冒険を扱ったジュブナイル小説、舞台は郊外住宅地、発端はペンギン、川をさかのぼる冒険、秘密の場所。とくれば川端裕人さんの『川の名前』ですが(おそらく作者も意識していると思われます)、あのような健やかな作品にならないのは、やはり主人公の人物造形ゆえでしょう。
「ぼくはたいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。(中略)その日が来たとき、自分がどれだけえらくなっているか見当もつかない。えらくなりすぎてタイヘンである。みんなびっくりすると思う。結婚してほしいと言ってくる女の人もたくさんいるかもしれない。けれどもぼくはもう相手を決めてしまったので、結婚してあげるわけにはいかないのである」(単行本p.5-6)
いきなり冒頭からこれです。いずれ京都の大学生になり、妄想にいそしんで青春をいたずらに浪費するという未来はもう確定という感じ。しかもこの少年、やたら「おっぱい」にこだわります。
「おっぱいというものは謎だと、ぼくはこのごろ、しきりに思うのである。(中略)お姉さんのおっぱいを思わず見ていることがぼくにはある。いくら見ていても飽きないということがある。触ってみたらどんなだろうと思うことがある」(単行本p.31)
以後、数ページに一回は「おっぱい」という単語が出てきて、たぶん世界で一番「おっぱい」と書かれたジュブナイル小説でしょう。以前『恋文の技術』の感想で、「もう作者も30歳になるのですから、「おっぱい」ではしゃぐ作風は見直した方が」と指摘したんですが。
そういうわけで、主人公の印象は今までのクサレ大学生とあんまり変わりません。というか今までの主人公が小学四年生なみだった、というべきかも知れませんが。違いといえば、クサレ大学生が四六時中おっぱいのことを考え妄想していたのに対して、本作の主人公は「一日に三十分」だけ、というところ。偉いぞ、少年。まあ、それもあと数年でしょうけど。
というわけで、謎を解くべくおっぱい、じゃなくてお姉さんの研究に取り組む主人公の周囲には、次々と不思議なことが起こります。ジャバウォックやチェスが出てくるので最初は『アリス』かと思って読み進めるうちに、次第に話は『ソラリス』へと展開。だからSF者には、お姉さんの実体が途中で何となく分かってしまったり。
ご近所で不思議なものを見つけた少年少女たちが、その秘密を探って大人たちに内緒で大冒険を繰り広げる、という王道的なジュブナイル小説として楽しめますし、ソラリスの海をペンギンが乱舞するクライマックスシーンはけっこう素敵。おっぱいおっぱいと連呼しないで素直なファンタジー小説を書けばいいのに、と思わずにはいられません。
舞台となるのは郊外住宅地で、主人公は小学四年生の男の子。あるとき町に突然出現したペンギンの謎を追っているうちに、森の中で奇妙なものを発見します。友達と一緒にその秘密を解きあかすべく研究にいそしむ主人公ですが、それが近所に住んでいる仲良しのお姉さんと何やら不思議な関係にあるらしいことが分かってきて・・・。
少年少女の夏休みの冒険を扱ったジュブナイル小説、舞台は郊外住宅地、発端はペンギン、川をさかのぼる冒険、秘密の場所。とくれば川端裕人さんの『川の名前』ですが(おそらく作者も意識していると思われます)、あのような健やかな作品にならないのは、やはり主人公の人物造形ゆえでしょう。
「ぼくはたいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。(中略)その日が来たとき、自分がどれだけえらくなっているか見当もつかない。えらくなりすぎてタイヘンである。みんなびっくりすると思う。結婚してほしいと言ってくる女の人もたくさんいるかもしれない。けれどもぼくはもう相手を決めてしまったので、結婚してあげるわけにはいかないのである」(単行本p.5-6)
いきなり冒頭からこれです。いずれ京都の大学生になり、妄想にいそしんで青春をいたずらに浪費するという未来はもう確定という感じ。しかもこの少年、やたら「おっぱい」にこだわります。
「おっぱいというものは謎だと、ぼくはこのごろ、しきりに思うのである。(中略)お姉さんのおっぱいを思わず見ていることがぼくにはある。いくら見ていても飽きないということがある。触ってみたらどんなだろうと思うことがある」(単行本p.31)
以後、数ページに一回は「おっぱい」という単語が出てきて、たぶん世界で一番「おっぱい」と書かれたジュブナイル小説でしょう。以前『恋文の技術』の感想で、「もう作者も30歳になるのですから、「おっぱい」ではしゃぐ作風は見直した方が」と指摘したんですが。
そういうわけで、主人公の印象は今までのクサレ大学生とあんまり変わりません。というか今までの主人公が小学四年生なみだった、というべきかも知れませんが。違いといえば、クサレ大学生が四六時中おっぱいのことを考え妄想していたのに対して、本作の主人公は「一日に三十分」だけ、というところ。偉いぞ、少年。まあ、それもあと数年でしょうけど。
というわけで、謎を解くべくおっぱい、じゃなくてお姉さんの研究に取り組む主人公の周囲には、次々と不思議なことが起こります。ジャバウォックやチェスが出てくるので最初は『アリス』かと思って読み進めるうちに、次第に話は『ソラリス』へと展開。だからSF者には、お姉さんの実体が途中で何となく分かってしまったり。
ご近所で不思議なものを見つけた少年少女たちが、その秘密を探って大人たちに内緒で大冒険を繰り広げる、という王道的なジュブナイル小説として楽しめますし、ソラリスの海をペンギンが乱舞するクライマックスシーンはけっこう素敵。おっぱいおっぱいと連呼しないで素直なファンタジー小説を書けばいいのに、と思わずにはいられません。
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