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『タール・ベイビー』(トニ・モリスン) [読書(小説・詩)]

 米国のノーベル文学賞作家トニ・モリスンの作品を、なるべく原著の発表順に読んでゆくシリーズ“トニ・モリスンを読む!”。今回は彼女の第四長篇を読んでみました。

 原著の出版は1981年。翻訳版単行本の出版は1995年です。

 これまでの作品では米国の黒人コミュニティが主な舞台となってきましたが、今作ではカリブ海に浮かぶ小さな島が舞台となり、ここに建てられた屋敷で暮らしている人々の物語が展開します。

 主要登場人物ですが、まず屋敷の主人である白人夫妻(製菓会社で一儲けして引退した大金持ちの老人と、元ミスコン優勝者である美人妻)。次に屋敷の執事と料理人である黒人の使用人夫妻。そして彼らの姪であるヒロイン。

 ヒロインは、大学を卒業して今はモデル業をやっているという、才色兼ね備えた、ファッション誌のカバーを飾ったこともある美人です。彼女は黒人ですが、幼い頃からずっと白人の価値観の中で育ってきた、いわゆる「漂白された」黒人なのです。

 二名の白人と三名の黒人。彼らの関係は、微妙な緊張感をはらみつつも、おおむね良好でした。常夏の島、熱帯雨林を切り開いて建てられた屋敷には、白昼夢のように平穏な日々がだらだらと流れてゆくだけでした。

 しかし、そこに一人の黒人男性(後にヒロインの恋人となる)が闖入したことから、彼らの均衡は崩れ、平穏は破られ、対立が表面化してしまいます。決定的な修羅場が訪れるまでだいたい200ページ。その後に島を逃げ出したヒロインと恋人の痴話喧嘩が100ページ、まあ身も蓋もなく言ってしまえばそういうストーリーです。

 これまでの作品では、読者はいきなり米国の小さな黒人コミュニティに放り込まれ、白人の勝手な戯画化により無害化されたそれではなく、むき出しの生々しい黒人精神文化を内側から体験させられることになりました。これは強烈なカルチャーショックを味わえる希有な読書体験なのですが、慣れるまではけっこう読みにくいという面もありました。

 ところが今作では、ヒロインを含めてほとんどの登場人物が(私たちおなじみの)白人エリート価値観というか世界観に合わせて生きているため、カルチャーショックは薄く、そういう意味で読みやすくなっています。

 まるで陳腐なソープオペラというか、ハーレクインロマンス(高学歴の美人ファッションモデルが、避暑に立ち寄った南の島で、野性的な男と出会い、激しい恋に落ちる!)を読んでいるような。白人夫婦の会話などユーモアたっぷりで、気楽に楽しめる感じがします。最初のうちは。

 ところがところが。後半になると白人と黒人の文化摩擦というか文化対立というテーマが浮き上がってきて、一挙に深刻になってきます。

 白人文化を否定し黒人文化を称賛するような一面的な作品ではありませんが、しかし、白人夫妻の精神的なひ弱さ、ヒロインの人生観の空虚さなど、すごくリアルに表現されており、ああこの人たちは本当の意味では人生を生きてない、人生ごっこをやっているだけで自分の人生にすら当事者意識がないんだなあと、そんな風に感じられてなりません。

 もちろんそれは他人事ではなく、白人エリートでも文化支配層でも何でもない日本人だって、そういう価値観や世界観だけは共有してたりするんですが。

 いつまでも貧しい共同体に甘えて人生の責任を果たそうとしない幼稚で頑固な黒人、成功だの金儲けだの空虚な強迫観念にとりつかれて自分の人生とまわりの世界を台無しにしている愚かで自分勝手な白人、人種的には同類でありながら異なる価値観のもとに生きてきた恋人たちは、そんな風に互いに相手を非難し、蔑み、何とかして心を入れ替えて「まっとうに」生きるように諭しあいます。その空しさ、その悲しさ。

 三十年近く前に書かれた小説でありながら、ここに書かれた文化対立の様子は今日なお古びていません。というか、むしろポスト911時代を生きている現代の読者にとっての方が、おそらく作者の意図を超えて、やたら切実に感じられるようにも思います。

 あとがきによると、タイトルの「タール・ベイビー」というのは、タールでつくった人形に手を出したウサギが手足が抜けなくなってあっさり捕まってしまう、という黒人民話から来ているとのことで、このタイトルはヒロインの位置づけを指していると翻訳者は解釈しておられるようですが、私にはむしろ、文化摩擦、文化対立にがんじがらめにからめ捕られ、身動きできなくなっている私たちの社会の暗喩であるように思われました。


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