『サラミス』(佐藤哲也) [読書(小説・詩)]
シリーズ“佐藤哲也を読む!”第7回。
佐藤哲也さんの著作を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、現時点における最新長編『サラミス』です。単行本出版は2005年1月。
標題は、紀元前480年、ギリシアのサラミス島近海でペルシア艦隊とギリシア連合艦隊が戦った「サラミスの海戦」を指しています。本作は、ペルシア戦争の決定的な転機となったこの海戦をテーマとする歴史小説です。
えーと、佐藤哲也さんの歴史小説?
実のところ、冒頭の生真面目な文章を読んで、これはひっかけだろうと思いました。
いずれ、プシュッタレイア島に上陸したギリシア重装歩兵が狸にたぶらかされて肥だめに落ちたり、軍船に乗り込もうとする兵士たちの前に船長が大岩を抱えて現れここを通りたければ俺を倒してゆくがよいと叫んだり、ペルシャ艦隊とギリシア連合艦隊の間に謎の水棲人が現れて「弓を射らないで下さい。弓を射らないで下さい」「当たると痛いです。当たると痛いです」と言いながら射殺されたり、ペルシャ軍の侵攻からアテナイを救うべくハーレー・ダヴィッドソンにまたがったソクラテスが爆走してきたり、まあ、そういった、これまでの作品のような展開が待っているに違いないぞ、と。
ところが、ところが。そういうサトテツ展開は一切ありません。どう見ても真っ当な歴史小説です。ストーリーは史実(少なくともヘロドトスの記述)に沿っており、最初から最後まで真面目で、悪ふざけなし、文体実験なし、メタフィクションなし。いや、佐藤哲也さんが真面目な歴史小説を書いてはいけないという法はありませんが、しかし意表をつかれました。
で、その点は置いておいて、素直に読むと、これが歴史小説として面白い。海戦そのものは終幕近くになって30ページほど書かれるだけで、本書の主眼は開戦に至るまでのギリシア連合内の政治闘争にあります。
アテナイのテミストクレス、コリントスのアデイマントス、この二人が決戦の場所をどこに定めるかをめぐって争い、政治力から策略まであらゆる手段を用いて時間かせぎをしたテミストクレスがなし崩し的に開戦にこぎつけることに成功する、というのが基本的なストーリーで、これは史実通り。
本作は徹底的に描写だけで成立している小説で、読者に対する背景説明は最小限に抑えられています。ですから、ギリシア古代史に暗い読者だと、なかなか話の流れが見えず戸惑うことになるかも知れません。というか私は困惑しました。事前にネットでこのあたりの展開を簡単に頭に入れておいてから読み始めることをお勧めします。
これまでの作品では、ギリシア古典文学風の文体を用いて満員電車やらソフト開発やらを叙述するという、そのミスマッチ感(でも意外にもこれはこれでアリだな感)が狙いだったのですが、本作では文体と内容がぴったり一致しており(当たり前)、違和感なくするすると読めます。
文章は研ぎ澄まされており、歩兵の武具装着から三段櫂船の手漕ぎまで、その見てきたような嘘、というか小説的リアリティには驚嘆させられます。
会議の席における言葉とロジックの切り合い。重装歩兵/軽装歩兵/弓兵が連携して敵を殲滅してゆく迫力満天の陸戦。そしてクライマックスを飾るのは、軍船の甲板から、はるか上空まで、カメラ視点を自由自在に動かして見ているような海戦の生き生きとした描写。
いわゆる「地の文」に相当する部分(解説や評価)をすっぱり省いて、ひたすら会話と描写だけを積み重ねてゆくという手法が、驚くほどの効果を上げています。実はこれは、ハードボイルドなのかも知れません。
キャラクター造形も素晴らしく、というか佐藤哲也さんの作品において普通の意味でのキャラクターが登場したのはもしや初めてではないかという気もするのですが、とにかく老獪な主人公テミストクレスをはじめとして、出てくる古代ギリシア人たちがいずれも魅力的で忘れがたい印象を残してくれます。
個人的には、さほど出番が多いとは言えないのに、作品全体にほのかにユーモラスな味わいを与えているクレタのバットスの人物造形に感心しました。
全体的に見て、歴史小説として完成度が高い傑作です。ただ、これまでひたすらひねくれた作品を書いてきた佐藤哲也さんが、なぜここまで普通の歴史小説を書いたのかという点に困惑してしまいます。ひょっとしたら、あまりにもひねくれすぎて、作家として進むべき方向を360度間違えてしまったのかも知れません。
これだけの作品を読みながら、「でも佐藤哲也さんに求めているのはコレジャナイなあ」などと、ついつい思ってしまう私は、やはり読者として間違っているのでしょうか。
2005年初頭に本作が出版されてから、現在に至るまで佐藤哲也さんの新作は出ていないのですが、信じて待ち続けようと思います。私は、『熱帯』や『ぬかるんでから』の先にあるものを、読んでみたいのです。
佐藤哲也さんの著作を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、現時点における最新長編『サラミス』です。単行本出版は2005年1月。
標題は、紀元前480年、ギリシアのサラミス島近海でペルシア艦隊とギリシア連合艦隊が戦った「サラミスの海戦」を指しています。本作は、ペルシア戦争の決定的な転機となったこの海戦をテーマとする歴史小説です。
えーと、佐藤哲也さんの歴史小説?
実のところ、冒頭の生真面目な文章を読んで、これはひっかけだろうと思いました。
いずれ、プシュッタレイア島に上陸したギリシア重装歩兵が狸にたぶらかされて肥だめに落ちたり、軍船に乗り込もうとする兵士たちの前に船長が大岩を抱えて現れここを通りたければ俺を倒してゆくがよいと叫んだり、ペルシャ艦隊とギリシア連合艦隊の間に謎の水棲人が現れて「弓を射らないで下さい。弓を射らないで下さい」「当たると痛いです。当たると痛いです」と言いながら射殺されたり、ペルシャ軍の侵攻からアテナイを救うべくハーレー・ダヴィッドソンにまたがったソクラテスが爆走してきたり、まあ、そういった、これまでの作品のような展開が待っているに違いないぞ、と。
ところが、ところが。そういうサトテツ展開は一切ありません。どう見ても真っ当な歴史小説です。ストーリーは史実(少なくともヘロドトスの記述)に沿っており、最初から最後まで真面目で、悪ふざけなし、文体実験なし、メタフィクションなし。いや、佐藤哲也さんが真面目な歴史小説を書いてはいけないという法はありませんが、しかし意表をつかれました。
で、その点は置いておいて、素直に読むと、これが歴史小説として面白い。海戦そのものは終幕近くになって30ページほど書かれるだけで、本書の主眼は開戦に至るまでのギリシア連合内の政治闘争にあります。
アテナイのテミストクレス、コリントスのアデイマントス、この二人が決戦の場所をどこに定めるかをめぐって争い、政治力から策略まであらゆる手段を用いて時間かせぎをしたテミストクレスがなし崩し的に開戦にこぎつけることに成功する、というのが基本的なストーリーで、これは史実通り。
本作は徹底的に描写だけで成立している小説で、読者に対する背景説明は最小限に抑えられています。ですから、ギリシア古代史に暗い読者だと、なかなか話の流れが見えず戸惑うことになるかも知れません。というか私は困惑しました。事前にネットでこのあたりの展開を簡単に頭に入れておいてから読み始めることをお勧めします。
これまでの作品では、ギリシア古典文学風の文体を用いて満員電車やらソフト開発やらを叙述するという、そのミスマッチ感(でも意外にもこれはこれでアリだな感)が狙いだったのですが、本作では文体と内容がぴったり一致しており(当たり前)、違和感なくするすると読めます。
文章は研ぎ澄まされており、歩兵の武具装着から三段櫂船の手漕ぎまで、その見てきたような嘘、というか小説的リアリティには驚嘆させられます。
会議の席における言葉とロジックの切り合い。重装歩兵/軽装歩兵/弓兵が連携して敵を殲滅してゆく迫力満天の陸戦。そしてクライマックスを飾るのは、軍船の甲板から、はるか上空まで、カメラ視点を自由自在に動かして見ているような海戦の生き生きとした描写。
いわゆる「地の文」に相当する部分(解説や評価)をすっぱり省いて、ひたすら会話と描写だけを積み重ねてゆくという手法が、驚くほどの効果を上げています。実はこれは、ハードボイルドなのかも知れません。
キャラクター造形も素晴らしく、というか佐藤哲也さんの作品において普通の意味でのキャラクターが登場したのはもしや初めてではないかという気もするのですが、とにかく老獪な主人公テミストクレスをはじめとして、出てくる古代ギリシア人たちがいずれも魅力的で忘れがたい印象を残してくれます。
個人的には、さほど出番が多いとは言えないのに、作品全体にほのかにユーモラスな味わいを与えているクレタのバットスの人物造形に感心しました。
全体的に見て、歴史小説として完成度が高い傑作です。ただ、これまでひたすらひねくれた作品を書いてきた佐藤哲也さんが、なぜここまで普通の歴史小説を書いたのかという点に困惑してしまいます。ひょっとしたら、あまりにもひねくれすぎて、作家として進むべき方向を360度間違えてしまったのかも知れません。
これだけの作品を読みながら、「でも佐藤哲也さんに求めているのはコレジャナイなあ」などと、ついつい思ってしまう私は、やはり読者として間違っているのでしょうか。
2005年初頭に本作が出版されてから、現在に至るまで佐藤哲也さんの新作は出ていないのですが、信じて待ち続けようと思います。私は、『熱帯』や『ぬかるんでから』の先にあるものを、読んでみたいのです。
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