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『妻の帝国』(佐藤哲也) [読書(小説・詩)]

シリーズ“佐藤哲也を読む!”第4回。

 佐藤哲也さんの著作を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、ハヤカワSFシリーズJコレクションから出た長編『妻の帝国』です。単行本出版は2002年6月。

 恐ろしい作品です。現代日本に革命が起こり、恐怖政治が行なわれ、やがて秩序が崩壊して無政府状態へと陥ります。社会性や人間性を喪失した人々が辿る悲惨な顛末。これらがリアルに書かれます。

 これまでの作品に見られた変なユーモアやおふざけはほとんどなく、徹底的にシリアス。先行作品として挙げられているのは『1984』(オーウェル)と『収容所群島』(ソルジェニーツィン)で、つまりそういう路線です。

 ロシア革命をモデルにしたとおぼしき“革命”ですが、作中では「民衆感覚による直感を基盤とする民衆独裁」を唱える革命政権が、あっさりと現政府を転覆して日本を支配してしまいます。

 民衆感覚はその本質として無謬であり、疑問を表明する者や説明を求める者はすなわち個別分子(スパイ、工作員)に他ならず、民衆の敵として直ちに“処理”されなければならない。というわけで、恐怖政治のもとで粛清と大量虐殺の嵐が吹き荒れます。

 飢餓が広がり、わずかな食料のために互いを個別分子として密告しあう人々。強制収容所での過酷で無意味な強制労働。焼き捨てられる書物。しまいには親が子を殺して喰うという地獄絵図にまでいってしまいます。あえて傍観者的な視点で、抑えた筆致で書かれていることが、かえって凄惨さを浮き彫りにしていてぞっとします。

 ただ、いかにも佐藤哲也さんらしい設定なのは、語り手(ごく普通のサラリーマン)の妻、ぼんやりした“不思議ちゃん”である妻が、実は民衆国家の頂点に立つ最高指導者であるというところ。この突飛な設定のおかげで、作品全体が極めて不条理で悪夢めいたものになっています。

 なぜ家から出ないで手紙を書き続けている妻が独裁者たりえるのか、統治は具体的にどのようになされているのか、国家体制はどうなっているのか、そこら辺はよく分かりません。

 というか全ては「民衆感覚によって自ずと」行なわれているという建前になっているので、語り手を含め誰もそのような疑問を持つことが出来ないのです。民衆感覚に従わない個別分子を排除することがすなわち国家指導原理です。

 これらを馬鹿馬鹿しいとか荒唐無稽だとか感じる人は、ロシアやカンボジアで起こったことを思い出すまでもなく、例えば民衆革命を「コイズミカイカク」、民衆感覚を「空気」などと適宜読み替えてみれば、さほど違和感なく読めるのではないでしょうか。

 妻に関する設定こそ不条理ですが、むしろその不条理さゆえに、“革命”の推移とその末路はとうてい絵空事とは思えないだけの普遍性と生々しいリアリズムを獲得しており、読者に強い衝撃を与えます。

 ちなみに作中人物である「妻」は、もちろん佐藤哲也さんの実際の奥さんとは無関係なのですが、しかし、本作と同じくロシア革命を題材とした傑作『ミノタウロス』を後に書いて最高指導者として君臨する点では似ていると言えるかも知れません。

 というわけで、佐藤夫妻が生み出した『妻の帝国』と『ミノタウロス』。どちらも悲惨で嫌で救いのない話なので万人にはお勧めしませんが、とかく社会や権力について甘く考えがちな若者は、二冊合わせてきちんと読んでおきべきだと、私はそのように考えます。

タグ:佐藤哲也
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