『美女と竹林』(森見登美彦) [読書(随筆)]
人気作家モリミーこと森見登美彦さんの、うーん、随筆なのか小説なのかよく分からない変な本が出ました。帯の宣伝文句は、
「美女に会ったら伝えてくれ。俺は嫁を大事にする男だと」
どういう内容かは作者自らがこのように説明しています。
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ありていに言えば、私が竹を刈りつつ、竹林にまつわる想い出のあれこれを書いてゆくという、エッセイと言うのも後ろめたい、じつは嘘八百を織り交ぜたヘンテコな文章なのです。
(単行本p.83)
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というわけで、モリミーが『夜は短し歩けよ乙女』を書いている途中で始まり、『有頂天家族』が出版されるあたりまで続いた連載のようです。
竹林は出てくるものの、美女が欠けていることは、連載途中で作者も気づいたらしく、次のように釈明しています。
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この連載の眼目はそこにある。『美女と竹林』とは、美女がいて竹林があるという意味ではなく、美女と竹林が等価交換の関係にあることを示している。(中略)『美女はどうした?』という野暮なつっこみは、今後一切却下してかえりみない
(単行本p.125)
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というわけでツッコミは止めておきます。とにかく嘘と妄想が半分くらい混ざっている随筆、あるいはいつものモリミー調で書かれた偽私小説、と思えば間違いありません。
最初は竹を刈りつつぼやくというだけの地味な連載だったはずが、連載途中で『乙女』が山本周五郎賞を受賞し、一躍人気作家になり、NHK「トップランナー」に出演して「幼年時代に書いた原稿を憧れの女性(本上まなみさん)に朗読される。しかもそれがお茶の間に流れるという、見たことも聞いたこともない羞恥プレイを味わって激しく悶絶する」(単行本p.191)という、連載開始時点では作者も想像しなかったであろうドラマチックな展開が待っています。
というわけで、モリミーが作家として飛躍した年まさにその時に連載されていた、不覚にもついつい半分くらい本当のことを書いてしまったに違いない作品。ファンにとってはまさに必読書と言えるでしょう。そうでない人にとっては、「おたがいの心の健康のために、こんな文章は読まない方がいいと筆者は考えるものである」(単行本p.132)とのことです。
「美女に会ったら伝えてくれ。俺は嫁を大事にする男だと」
どういう内容かは作者自らがこのように説明しています。
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ありていに言えば、私が竹を刈りつつ、竹林にまつわる想い出のあれこれを書いてゆくという、エッセイと言うのも後ろめたい、じつは嘘八百を織り交ぜたヘンテコな文章なのです。
(単行本p.83)
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というわけで、モリミーが『夜は短し歩けよ乙女』を書いている途中で始まり、『有頂天家族』が出版されるあたりまで続いた連載のようです。
竹林は出てくるものの、美女が欠けていることは、連載途中で作者も気づいたらしく、次のように釈明しています。
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この連載の眼目はそこにある。『美女と竹林』とは、美女がいて竹林があるという意味ではなく、美女と竹林が等価交換の関係にあることを示している。(中略)『美女はどうした?』という野暮なつっこみは、今後一切却下してかえりみない
(単行本p.125)
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というわけでツッコミは止めておきます。とにかく嘘と妄想が半分くらい混ざっている随筆、あるいはいつものモリミー調で書かれた偽私小説、と思えば間違いありません。
最初は竹を刈りつつぼやくというだけの地味な連載だったはずが、連載途中で『乙女』が山本周五郎賞を受賞し、一躍人気作家になり、NHK「トップランナー」に出演して「幼年時代に書いた原稿を憧れの女性(本上まなみさん)に朗読される。しかもそれがお茶の間に流れるという、見たことも聞いたこともない羞恥プレイを味わって激しく悶絶する」(単行本p.191)という、連載開始時点では作者も想像しなかったであろうドラマチックな展開が待っています。
というわけで、モリミーが作家として飛躍した年まさにその時に連載されていた、不覚にもついつい半分くらい本当のことを書いてしまったに違いない作品。ファンにとってはまさに必読書と言えるでしょう。そうでない人にとっては、「おたがいの心の健康のために、こんな文章は読まない方がいいと筆者は考えるものである」(単行本p.132)とのことです。
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