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『笙野頼子三冠小説集』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

シリーズ“笙野頼子を出版順に読む!”第16回。

 1999年を起点に、笙野頼子の著作を単行本出版順に読んでゆきます。今回読んだ『笙野頼子三冠小説集』は文庫オリジナルで、出版は2007年1月。

 タイトルの通り、新人作家の登竜門とされる文学三賞を受賞した作品を収録した一冊です。

『タイムスリップ・コンビナート』(芥川賞)
『二百回忌』(三島由紀夫賞)
『なにもしてない』(野間文芸新人賞)

 この三賞を全て受賞したという記録は今に至るも破られてないそうで、90年代中頃における笙野頼子の評価がいかに高かったか分かります。

 後に彼女が「売れない作家は駄目」「売れない文学は無意味」といった言説と延々戦うことになろうとは、当時誰も予想しなかったんじゃないでしょうか。

 さて、私、文学賞に関して2つほど誤解していました。

誤解その1。
 出版社は、名高い文学賞を受賞した本を絶版にはしない。

 はい、間違っていました。上記の三作は全て絶版です。全くひどい話で、最近になって笙野頼子に気づいた読者、例えば私なんぞ、この文庫本が出なければ評価の高い旧作を読めなかったかも知れないのです。河出書房に感謝します。

誤解その2。
 作家は、名高い文学賞を受賞した作品の書き直しはしない。

 はい、間違ってました。あとがきによると作者は「徹底手入れをした」とのことです。

 さらに作者は「当時の、何も判らぬままただ捨て身で書いていた自分が気に入らない」と言い(何と厳しい言葉だろう)、「単行本化の時も最初の文庫化の時も、いつもぞっとしながら必死で手を入れたはずなのにまだまだ、気にいらないところが続出する」「どの作品についても冷や汗が出る」「死ぬまで私は文章を直し続ける」と宣言しています。

 自分の文章に対して責任を持つというのはどういうことか、よく分かります。

 内容については詳しく述べませんが、三作とも何らかの意味で「里帰り」を扱った作品です。もちろん作者にとって郷里(伊勢)は懐かしいふるさとではなく、抑圧の象徴だったり、国家神道や天皇とつながっていたり、高度経済成長期の象徴だったりします。

 三作の中で個人的に最も好きなのは『なにもしてない』です。語り手(名前は出てきませんが、他の二作と同じ沢野千本だと思います)に感情移入して読み、ラストシーン、ヒヨドリのくだりに異様な感動を覚えたり。

タグ:笙野頼子
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