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『[現代版]絵本 御伽草子 付喪神』(町田康、石黒亜矢子) [読書(小説・詩)]

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「え、知らないの? じゃあ、教えてやるよ。俺たちはなあ、物なんだよ。物というものは人と違って意識がないんだよ。考えたり、喋ったりすることはできないんだよ。けど、生まれてから百年経つと、物にも意識が生まれてくる」
(中略)
「なるほどねぇ、そう言えば俺も物心ついたのは九十年目くらいからだと思う。あ、そういう意味なんですね、物心っていうのは」
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単行本p.3、5


 シリーズ“町田康を読む!”第48回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、活き活きとした現代語による古典リライトとユーモラスな百鬼夜行画のコラボレーション。現代版「絵本 御伽草子」シリーズ第一弾です。単行本(講談社)出版は2015年10月。

 宇治拾遺物語の現代語版が話題となっている町田康さんですが、こちらは「御伽草子」から付喪神の話を現代語で書き直した作品です。イラストは『ばけねこぞろぞろ』でユーモラスな百鬼夜行画が話題となった石黒亜矢子さん。

 百年を経て物心ついた「物」たち。付喪神にあおられて、自分たちを棄てた人間に復讐しようという話になります。存立危機事態だやっちゃえ派と、戦争したくなくてふるえる派に分かれて、侃々諤々。


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「おまえは阿呆か。棒、持って殴りかかってくる奴に、ラブ&ピース、言うたら殴るのやめると思とんのか、ど阿呆っ。殴りかかってこられたら殴り返さんとこっちがやられるやろが、アホンダラ」
(中略)
「それは私たちが以前に妖物に変化して人間に害をなしたからです。だからこそ私たちはそれを心から反省して謝罪して人間を脅かさないようにしなければならんのです」
「ですよね」と、布巾が言った。
「ですよね。私たちが棄てられたのは私たちが妖怪化して人間を怖がらしたからなんです。私たちは私たちの過去の罪を拭き清めなければなりません。私は布巾です。変化である前に布巾なんです。一枚の布なんです。たとえ、私は路傍に朽ちてもそのことを忘れたくありませんっ」
「後半、なにを言ってるのかわからんね」
「そうだね」
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単行本p.18


 妖怪変化だ百鬼夜行だ、いきおいに乗って人間をばんばん殺してゆく物たち。人間も法力で対抗しようとしますが、それはそれ、いろいろとあって、予算配分とか。


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「マジですか。なんかこういうさあ、朝廷のさあ、面倒くさい案件って、全部、こっちに投げてくるよね。そのくせ、おいしい案件は抱えて放さない。別にいいんだけどさあ、なんつうの? めげるよね。俺、もう忠誠心とかぜんぜんないよ。マジで」
「ほんとだよね。これだってさあ、けっこう貰ったけど、上で抜いてるよね」
「あたりまえじゃん。半分は抜いてんじゃない」
「めげるなー。どうしよう。つかさあ、なんの経、読めばあいつら死ぬんだろう。実際の話」
「適当なの読んで駄目だったら駄目でいいんじゃね? 責任は元請けがとるっしょ」
「うーん、でもさあ、それも面倒くさくねぇ?」
「じゃあ、どうしよう。下に丸投げする?」
「それだね」
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単行本p.38


 三本の矢が機能しないまま、がしがし喰われる庶民たち。ついにラブ&ピース派が反乱を起こします。しゃらくせえくらえ妖怪ビーム! させるか読経バリア!


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読経によって形成された透明のバリアがビームを跳ね返して、その地点に火花が散った。
「おしっ、いけてるいけてる。もっと、読経せいっ」
 一連が叱咤して、弟子たちはなおも経を誦した。護摩も焚いた。バリアが厚くなっていった。バキバキバキバキ。ビームは、流れる水、誰かの満たされぬ想い、いつかみた希望のようにバリアの表面を青白い光となって走った。
「あかんがな。もっと、ビーム、出せ。ビーム」
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単行本p.47


 人間のことなどそっちのけで内紛に没頭する物たち。その様子を物見高く見物しては次々と命を落とす人間たち。戦争なんて、戦争なんて。だがそのとき、見よ、光の彼方より飛来してきたヒーローが登場……。

 というわけで、絵本ではありますが、内容は大人向けというか、正直、子供に読ませるのはもったいない素敵な一冊です。石黒亜矢子さんの妖怪画がまた、けっこう怖いのに、ユーモラスという、いい味出してます。


タグ:絵本 町田康
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