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『愛別外猫雑記』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「猫の世話をしただけで人外の魔境に落とされてしまった。自分の人権はなくなり、した覚えのない事で咎められ嘘をつかれ、普通のいい人の気味悪いおぞましい救いのない面を見てしまった。」(Kindle版No.1944)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第91回。

 野良猫たちの命を救うために一軒家を購入し、四匹の猫とともに千葉県S倉へ向かう作家。笙野文学の転機となった猫騒動の顛末を書いた長篇を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(河出書房新社)出版は2001年3月、文庫版出版は2005年12月、Kindle版配信は2014年7月です。

 「殺すかわりに書け」
 (『未闘病記----膠原病、「混合性結合組織病」の』より。単行本p.233)

 「殺してはいけないのだ。猫を愛してただの憎悪者から自分も含めた生命愛護者になり、私は救われた。が、今度はまたその猫故に「人間」憎悪に走る。しかしその憎悪実行をはばむものはまた猫に対する愛だ。」
 (『S倉迷妄通信』より。単行本p.76)

 「猫騒動で八カ月間ボロボロになって、またその後十数年掛かって、なる程これから後悔(苦労)をし続けるのだと思った。一番辛く耐えがたいのはドーラに影響が出てしまう事だ。が、あの時はそうしないではいられなかったのだ。」
 (『幽界森娘異聞』より。Kindle版No.3038)

 近所のゴミ捨て場に集まってくる野良猫たち。不妊手術を施し、数が増えないようにした上で、地域猫として保護する。ただそれだけのことが、許されない。猫の命を守ろうとする者は、猫の命を人質にされ、ひどい嫌がらせと耐えがたい罵詈雑言にさらされ、そして毒を撒かれる。

 縁が出来た野良猫たちを救うために奮闘する主人公は、猫をめぐるそんな酷薄な現実に、まともにぶつかってしまいます。

 「世の中には猫嫌い、というよりも猫嫌いという表現形を取る事でたやすく人を傷付け踏みにじるのが趣味の人、生き物を殺したり苛めたりするのを快感にする人、弱みのあるものに付け込み頭を下げさせる楽しみに中毒した者、また何であれ自分以外の存在が(たとえそれが病気の子猫でも)関心を持たれたりあわれをかけられたり食物を貰っていたりすると自分の権利を奪われたかのように思い怒り狂う人、そしてしつこく絡んで他人を傷付けその土地から追い出す支配の快楽がこたえられないという人間がいて、同時にまた千にひとつの無駄も心配もなく自分だけが頭を高くきれーいに暮らしたくてありとあらゆる自分以外の生物がただ生きているだけでも失礼先万と思い込んで被害者意識を持つ人間までも、必ず、いるものなのだった。」(Kindle版No.427)

 「「みんな」という言葉を私に会った猫嫌いはよく使った。言いまかされると違う事や嘘を言うのも実に共通だった。その中の何人かは当然、「撒く」のだった。人の猫と関係ない他の猫の被害を混ぜて語り同じ事を何回も繰り返すタイプ、固まった表情やストレスのたまっていそうな様子にもよく出くわした。」(Kindle版No.422)

 「「庭ないもんねあんたら」と「みんながあんた迷惑だって」というのが決めぜりふで腹が立つというより皮膚がかぶれる。」(Kindle版No.1267)

 いっぽう、猫好きを自称する人々は、避妊手術も去勢もしないまま無責任に猫を捨て、不幸な野良猫を増やし、知らぬ顔をしてペットショップで購入した血統書付きの子猫を可愛がっています。飽きると、野良猫の保護活動で死にそうな目にあっている人のところにわざわざ捨ててゆく。

 「ギドウ達の「元の飼い主」はただ子猫好きなのだ。高い珍しい子猫が三万でも五万でも相場より安ければ買ってしまう。東京では「贅沢品」だけは地方よりも安く手に入るのだ」(Kindle版No.331)

 「近隣には成長した純血種の捨て場になっているところさえあった、(中略)心の優しい人が世話をするとそのありさまを見て、餌位はくれるだろうなどと高価な猫に飽きて、真冬に放って行く飼い主がいくらでもいるという話だった。」(Kindle版No.1537)

 「猫好きの中に潜む残忍さを感じた。「可愛い」とは消費し、痴漢のように触り、飽きると捨てる、次々取り替えるという事に過ぎないのか。」(Kindle版No.1579)

 「無責任な猫好きと病的な猫嫌いは、私にとっては同じ存在だった。どちらも猫について種としてしか見ない。そして猫に対する当事者意識はなく猫がどうなるかという事を突き詰めて考えない。それぞれマスコミも使わないようなあさはかな言葉で物事をまとめ嘘をつき逃げようとする。無責任に増やす事と毒を撒いて殺す事は表裏一体。好きも嫌いもない。嘘つきかどうか、インチキかどうかそれだけの事だ。」(Kindle版No.332)

 「そもそも、猫に少しかかわればたちまち何も信じたくなくなってしまう事も事実だった。猫扱いがうまく、猫をすぐ手なずけられる人というのはむしろ、平気で猫を取り換えたり裏切ったりするかもとさえ私は思うようになってしまっていた。」(Kindle版No.1516)

 ほとんど誰にも頼れない主人公は、野良猫の集団のうち、まず子猫たちを保護し、里親を捜そうとします。だが信頼できる里親は簡単には見つからず、また嫌がらせや脅迫も続き、次第に肉体的にも、精神的にも、さらには経済的にも、疲弊してゆくのでした。

 「猫の愛護本に猫嫌いに苛められるとよく書いてあるが実際に自分でやってみるまでは「そんな、思い込みでしょ」と思っていた。が、絡んだり意地悪する人間は本当にいた。ひとりでいる時だけ嫌がらせに来るのだから傍目には気付かれない。」(Kindle版No.1248)

 「夜中の罵り合いや複数の人の「殺す」という言葉のあまりの物凄さに、私は眠れなかった。(中略)私は恐怖とか自意識を感じなくなっていた。そのせいでむしろ体は動いた。自分こそこんなにして出ていたら今に猫を殺すのではないかと思えて来た。」(Kindle版No.1292、1297)

 「天性人に狎れている事にまた震えが来た。このまま街路にいたらカラスが喰う前に変質者が切り裂く。 近所に脚を切られた猫が救われて飼われていた。事故かもしれないが、脚を切る例も尻尾を切る例も医者に聞いている。下半身を潰された猫をますぎさんは救った人から託されていた。」(Kindle版No.1432)

 「最初の子猫が、白血病もエイズも掛かってなかったと判った時には泣いた。汚物に浸かっていたような彼らがみるみる美しくなっても保護自体に反対する異常な連中から言われた言葉を思い出して吐いた。」(Kindle版No.306)

 「猫の医療費が思いの他掛かるという事は私を追い詰めていた。裁判沙汰に母の死、論争と続き、もう貯金は底を尽きかけていた。(中略)手術代自体は大変ではなかった。預ける費用だった。」(Kindle版No.1787、1795)

 野良猫を保護することで、飼い猫であるドーラを苦しめているという事実が、さらに主人公を責め苛みます。もう、あまりの悲愴さに読者の心ものたうちまわることに。

 「ドーラにしてみれば知らない連中が来て痛い検査をされご飯はまずくなって、飼い主は他の事に時間を取られているのだ。(中略)自分でも血の気が引くが、思い詰めている猫より生命の危い猫を優先してしまう。」(Kindle版No.2047、2051)

 「ドーラを完全に幸福にするために雑司が谷に引っ越したのに、雑司が谷を選んだせいでまた不幸にしてしまった。」(Kindle版No.354)

 「----「ドーラ、ごめん」と発語した。声が自分でもショックな程強く深刻だった。」(Kindle版No.2078)

 「もう自分の頭は壊れるとつい思った。「どーらーごーめーん、どーらごーめーん」と謝りながら何百回も繰り返した自分のその言葉に鞭うたれた。「元の猫が可哀相」と誰かに言われ「わかっとるわっ」と叫び返しそうになり胃の中に涙が流れ続けているような気持ちになった。」(Kindle版No.239)

 「ドーラの毛並みが悪くなっていて、洋食屋は今度は黒猫の苦情を管理会社に言ってきていて、「元の飼い主」はせっせとまた安い餌を撒いた。ドーラに判らぬようケージに手をついて「死にたい」と呻いた。誰に聞かせるのでもなく、死ぬという言葉は六年程前からただ癖になっていた。が、そんな時に自然に無意識に出ると自分でも怖かった。」(Kindle版No.1936)

 「多数飼育はやはり問題なのか、と少し悲しかった。帰りに神楽坂のお地蔵さんに寄った。なんというところか忘れたがそういうふうにして「総ての猫によいように」と頼む事しかもう私は出来なかった。」(Kindle版No.2092)

 親猫たち、いや「ルウルウ」と「ギドウ」と「モイラ」という盟友たちの命を守るために、彼らを連れて逃げ出すしかない、というところまで追い詰められてゆく主人公。

 「運動なら犯罪が起こり告発すれば悲しくとも前に進む。ただ私の場合は毒をもし撒かれて、ルウルウ、ギドウ、モイラという名前の友達が死んでしまったらそこで私というものもなくなってしまうという事なのである。犯罪が起こってからの取り返しが付かない。」(Kindle版No.1278)

 「ルーとモーの捕獲は、振り返ると大変過ぎた。このあたりから自分は人間ではなくなったと思う。」(Kindle版No.1646)

 「猫騒動中、「かわいそう」という言葉に何度も苛々した。避妊手術はなるほどかわいそうなのだが、育てられない子供を次々生んで子を産むから嫌だと追われ続け、雌だからと貰ってもらえない事は「かわいそう」ではないのか。」(Kindle版No.1623)

 「ルウルウもモイラも摘出した子宮はもう充血していて、既に発情期に入っていた。「もし入っていてもまだ細胞のレベルでしょう」とミミズのようなその器官を私に見せながらますぎさんは説明した。(中略)一秒も見逃すまいとした私は異様な人間に見えたかもしれなかった。しかし自分が何をしているかは知っておくべきだと思ったのだった。「感傷的でヒステリックな動物愛護」などと言うが、私は断種し猫の細胞を殺したのだ。」(Kindle版No.1596、1601)

 「「げっ、避妊手術きーもちわるーい、か、わ、い、そー」と男は叫び、女は男の顔色を見ていて怒りもしない。別に不倫のカップルと決めたわけではないが、もしこの女が妊娠しても中絶しても、この男は「きーもちわるいー」で済ませて妻のところに帰るのかもしれないなどと想像していた。猫好きも猫嫌いも嘘つきばっかりだ。」(Kindle版No.1979)

 「ギドウが霜のふいたコンクリートに座って私を見た時の事は忘れない。地域猫にしても里親にしても情が移れば辛い、ドーラもいる、と撫でてやらなかった時、太い前足で不器用そうに冷たいコンクリートを、母親の胸を揉む動作で彼は揉んだ。頼られても裏切るしかないかもしれない立場。----誰かが私を殺してくれれば楽なのにとふっと思った。子猫はその時はもう室内にいた。が、ギドウはゴミ捨て場にフェンスもしない管理会社が、はやばやと無駄に飾ったでかいクリスマスツリーの冷たい樽にすりすりして、石の床を揉みながら喉を鳴らし続けていた。」(Kindle版No.1581)

 痛切なまでの誠実さと思いやりに、読者は心打たれます。しかし、それはまた苛烈な憎悪にもつながるのでした。

 「憎しみを少しずつ絞り出すように、時には猫地獄の時の細かい事をいちいち思い出す。」(Kindle版No.1955)

 「結局復讐の神に私は祈った。----「神様神様私はこのままでは発狂してしまいます。どうか元の飼い主の健康運を下さい。それでドーラの縮んだ寿命の運を補填します、その他にも私がもしここのローンを払えなかった時は変な薬をそこら中に撒いてギドウの健康を害したあいつの金運を取って私にください。もしギドウが薬のせいで死ぬようならギドウを死なせずそいつの寿命を取ってギドウにくっつけて長くしてやって下さい」、無論、信じて言うわけではないのだった。が、言うだけで少しは楽になった。」(Kindle版No.263)

 「そいつはただハンスを押し退けて不幸にした。そして最終的にハンスは野良として死ぬ。タイミングを逸して、彼だけは医者に連れて行けなかった。「ハンスがもしその事ではやく死ぬようなら坊ちゃんを捨てた奴の寿命をとって、その分でハンスを助けてください」とも私はまだS倉で祈っていた。」(Kindle版No.1881)

 「別れる直前のある日、縄張り争いに負けて痩せたハンスの毛の荒れた腹が、その日たった一個の猫缶でぱんぱんに膨れて、横にはみ出し、ほっとしたふうにひょろひょろ歩きながら帰って行った姿、それは私の頭の中で凍結されたままだ。」(Kindle版No.2167)

 猫地獄のなかで「普通の人間」の実像を見た体験、ハンスを救えなかったことやドーラを苦しめたことへの後悔。それらが、憎悪と殺意を経由して、ある種の覚悟へとつながってゆきます。そして、その後に書かれる作品は、次第に凄みを増してゆくことになるのです。

 「私には判っていた。多くの人がどのようにふるまうかを、私は無痛のままでも想像出来る人間になっていたのだった。」(Kindle版No.2138)

 「ひどかった人間がスナッフビデオに売り飛ばされたり、マフィアに追われたり、私の想像した物凄い病気になって悪徳病院に監禁され、じわじわと苦しめられたり、そういう事ばかり想像し続けた。そうしていて本当に楽しくなって残酷に笑い続けながら、むしろ彼らこそが世の中に適応し資産を作って代々栄えていくのだろうとどこかで判っていた。」(Kindle版No.2154)

 「与えられた運命そのものが自分の書くべき事だという気もするのだった。猫にしても何にしてもマスコミのチープな言葉と、それしか受け付けないで夜中に化け猫のまねしか出来ない奥様など見てしまうと、自分は自分の言葉を守って作品を書けばいい一生それでいいという気持ちになった。」(Kindle版No.2105)

 「目の前の猫だけが世界になって行く。これから三十年、猫屋敷のローンを私は払って行く。」(Kindle版No.2173)

 というわけで、「自費で自分で全部やっている所が関係ない何もしない人々から思い付きで無理を言われ、変に勝手に頼られ、家に捨て猫され難儀する」(Kindle版No.1895)という猫の保護活動について、猫の里親探しについて、猫の避妊手術について、そして小さく弱い立場のものを守ることについて、自らの体験を元に、限りなく切実に、そして誠実に書かれた名作です。猫を愛する人にはつらい内容かも知れませんが、ぜひ読んで頂きたいと思います。


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