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『ドン・キホーテの「論争」』(笙野頼子) [読書(随筆)]

 「「それはまた怖いもの知らずだね、しかし、君はまさに純文学だよ、他に言いようがない」というような事を相手は答えた。藤枝静男の作品に出会ったのはその後だった。十八年経って、偏見を恐れず、私は自分を「純文学だ」と言えるようになっていた」(Kindle版No.410)

 「純文学は純文学と名乗ったとき地下に潜ったのではないか。多くの大衆文学とまるで異なる使命を自覚的に負って、それ故負けに入る事を自ら引き受けたのではないのか。それならば純文学は、戦いとワンセットであるべきなのだ」(Kindle版No.216)

 「マスヒステリーに抵抗し売上げ文学論に抵抗し判らん癖に干渉しにくる権力者にも抵抗して、つまり抵抗し危険にさらされる外部との接点に純文学はある」(Kindle版No.304)

 「私は業界の内部と外部を同時に敵に回し、正体の判らぬ、一作家には大きすぎる曖昧な敵と戦う羽目になった。(中略)その度いちいち陰湿な報いを受けて来ていた。外の敵よりも内の冷笑が応えるケースもあった。「私はピエロじゃない、私はドン・キホーテだ」といつしか思っていた」(Kindle版No.62、70)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第80回。

 後の作品に大きな影響を与えた90年代中頃の純文学論争をまとめたエッセイ集の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(講談社)出版は1999年11月、Kindle版配信は2013年11月です。

 「私が攻撃している敵とは----まず、マスコミのシステムの欠陥に巣くうインチキな言説の一種である。「自分たちに理解出来ない、少数者から深く愛される芸術作品」を抹殺しようとする、マスヒステリー的な大声である」(Kindle版No.45)

 「売れなきゃ駄目、売れないものは駄目、(中略)売上げ文学論とか売り方文学論と私が呼んでいるこういう論調の言葉が、ついに文化や研究の領域にまで浸透して来て、しかもそれらは気分だけの大声で繰り返された」(Kindle版No.80)

 「彼らはそうした自分達の文学観だけを一流とし全部としておきたいだけだ。つまり自分達に縁のないものを排除したいのだ。(中略)そして余所の静かな「少数」を排斥する以外には自立する事も出来ないのだ。進歩しようとしオリジナリティを求めるものたちを、憎んだ連中が今の九〇年代純文学を叩く。それらは彼らの肥大したあさはかなプライドを傷つけるのだ。彼らを文化的ファシストと呼びたくもなる」(Kindle版No.386)

 「多くの人々の地道な努力を根こそぎにしてしまう、微量なのに害毒の甚だしい煙がこの世界に蔓延していた。(中略)どんなに細々とでも今まで守って来たものが崩れて行く。一旦堰を切ってしまえばそれは永遠に続く。立ち戻るために声を上げる人間は必要なのだ」(Kindle版No.87、95)

 売れない純文学は駄目、多くの人に届かない純文学は無意味、純文学なんてとうに終わってる、既得権の上にあぐらをかいている旧弊な文壇など潰してしまえ。繰り返されるそんな罵声に立ち向かう純文学作家。外部からは陰湿な攻撃を受け、内部からも冷笑され、それでも、巨大で曖昧で正体の見えない何か、に向かってひたすら突進してゆく著者。その孤軍奮闘の記録です。

 純文学に縁がない自分には無関係、と思う人がいるかも知れません。ですが、はたして本当にそうでしょうか。

 「経済効率(競争力、生産性)が低い」あるいは「多くの人に受け入れられ難い」ものは、「無駄、無意味、わがまま、排除されるべき特権」である、といった非難が、弱い立場にある少数の人々に対して投げつけられる様子を見たことがありませんか。新聞でも、雑誌でも、テレビでも、ネットでも、その種の抑圧的な大声が、幅を利かせてはいないでしょうか?

 自分にとってかけがえのない大切なものや活動が、社会を覆っている嫌な空気に押しつぶされ排除され消されようとしているとき、どうすればいいのか。目をつぶるか、自虐的なポーズを気取って自分も批判側に加担してみせるのか、それとも徒党を組んで自らの権利を守るためと称しながらより弱い立場の人々を叩くのか、それとも。

 そういうとき、15年前に笙野頼子さんがたった一人で繰り広げた「論争」を知ることで、また後の作品(特に『だいにっほん三部作』)を読むことで、巨大で曖昧で正体の見えない「敵」を見定め、何らかの覚悟を持つことが出来るかも知れない。そういう意味で、この純文学論争は他人事ではないと、私はそう思う。

 「その上この経済効率さえ実は隠れ蓑。つまり新しい物、時代の欺瞞をつくもの、少数者の声、それらに対するマスヒステリーの悪意が、「この純文学者め」という少数民狩りの大声になって現れます。これに対して、誰かが罵りを引き受けなければ、かようのインチキヒットラー言語は、大声で繰り返されついに実現されます」(Kindle版No.1406)

 「マスコミとは自動的に迷惑行為をし続けながら、誰がそれをしているのかさえそこにいる当人達にももうひとつ判らぬまま、勢いだけで時に国家規模の犯罪を準備してしまう増殖妖怪だ」(Kindle版No.3575)

 まるで今の世相を語っているような言葉の数々。洞察の鋭さに戦慄すら覚えます。

 とはいっても、本書のすべてが悲痛な論争文ばかりというわけではありません。1995年から一年間連載されたロングエッセイをはじめとして、自作紹介、書評集、など雑多なエッセイも収録されており、楽しく読むことが出来ます。

 エッセイのテーマは、神々でも、妖怪でも、猫でもなく(愛猫ドーラは登場しますけど)、化粧、エステ、ダイエット、素足の女性、病院、阪神大震災、本の帯を破る人のこと、引っ越し、ワープロの買い換え、メディアの女性差別、部屋の整理整頓が出来ない問題、日々の難儀、説教エッセイはなぜ多いのか、など。まるで若い売れっ子女性作家が書かされるエッセイみたい、などと大層失礼なことをうっかり考えてしまいました。

 個人的に印象深かったのは、「笙野頼子」というペンネームの誕生秘話。

 「投稿する直前「青灰頼子」というペンネームにしようかと一瞬考えた。(中略)笙野という名は何年か前、小説を書きはじめてしばらくした時に、コックリさんのように、天から降ってきた」(Kindle版No.2753)

 「その名がどこかから「やって来た」時、やはり青灰にしようかとまた迷った。すると、自分の背後で「この嫌な名前を使う以外小説を発表する方法はない」という、何か宿命だから諦めろと言っているような気配が生じた。幻聴すれすれ、と言う感じだった」(Kindle版No.2757)

 連載終了が近づくにつれ、「「文芸誌は読んでない」けど「文学が駄目になる」事ばかり望んでいる「業界関係」の方々に言われまくってしまうような気がしてならないので」(Kindle版No.2150)、「マンガの原作者になってそのマンガがうまく行ってないというだけでまたぞろ文学は駄目だ的論調になっちまうわけ」(Kindle版No.2171)、などと後の純文学論争を予感させる毒舌が飛び出し、そして。

 「気がつくとキーの隙間、フロッピーのスリット、フィルターとディスプレイの隙間からも、米粒程の手足や足の裏がちょろちょろと生えてきて・・・・・・みるみるうちに、うじゃうじゃと体長三センチくらいの小さい小さいおかんが、そう私のおかんと顔も服装もそっくりの小さい者たちが湧いて出たのだった」(Kindle版No.2220)

 まるで『母の発達』よろしく湧いて出た小さいおかんたちが何をするかというと。

 「私の頭の上でコサックダンスを踊るの。ひとり合点に首を振って拍子を取り、はやし立てるの。それでなんでドラまで一緒に踊ってるの、猫がピンクハウスの服着込んでステップ踏むわけ、そのアイドルみたいな振付はどこで一体習って来たんですかっ」(Kindle版No.2229)

 思わず笑ってしまうー。後の作品で擬人化したルウルウが服着たりしゃべったりしますが、ドーラが服着てアイドル振付で踊るシーン(可愛い)が読めるのは本作だけ。

 というわけで、数少ない笙野頼子さんのエッセイ集としても十分に楽しめる一冊です。しかし、もちろん最後は、純文学に対する祈りにも似た覚悟が語られます。

 「一握りの人間を死病から救う薬がもしあるとする。それが国民全体の万病をなおせないからと言って何が無力だろう」(Kindle版No.3559)

 「閉ざされた世界の中で安心し甘えきって「純文学は駄目だ」などと言う純文学者は何か勘違いしている。目的地も方角も各々異なる、旅人達の持つ磁石が北を向くように、純文学はある」(Kindle版No.835)

 「純文学は、野にあってしかも最先端等身大の世界を描く。娯楽性を時に抑えても例えば、人間の絶え間なく動き揺れる、矛盾に満ちた意識を誠実に追いかけ、個人の立場から幅のある社会告発を冷静に行い、また死後も残る独自の美意識を刻み続ける。少数者の声はその中で生き、安易な俗流世界観を相対化する。試みが成功すると信じて人々は、その森に住む」(Kindle版No.1225)

 「純文学という言葉はマスヒステリーや商業資本主義に対するレジスタンスであるからこそ、「詩の精神」というより「極私的言語芸術の戦闘的保持」であるからこそ、その危機も文士の森の入口にいる作家にしか見えないのだ」(Kindle版No.556)

 「私にとっての純文学とは何か、それは----極私的言語の、戦闘的保持だ」(Kindle版No.3686)


タグ:笙野頼子
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