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『増殖商店街』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「キャトを失ってドーラを得た。ドーラがいるからキャトを思い出す事が出来る。蓋をしていた心が少しずつ癒されてただそれはごまかしの癒しでしかなく、ごまかしでもあればましなのが現世だといいながら何かぼやけている。気が付いたらキャトよりもドラの方が長くなっている」(Kindle版No.1083)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第66回。

 七年前に出版された笙野頼子さんの短篇集が電子書籍化されたので、Kindle Paperwhiteという電子書籍リーダーで読んでみました。単行本(講談社)出版は1995年10月、電子書籍版の出版は2012年10月です。 

 電子書籍版では、単行本に収録されていた五つの短篇に加えて、著者直筆らしき手書きまえがき(これが素敵、ですだ)、あとがき小説『ようこそ』が追加されています。

『増殖商店街』

 「陳列台の空気が揺れ始めている。店の敷居がねとねとと糸を引き始める。床から触手がはえてやがて店内はかき曇りふたつに千切れる」(kindle版No.147)

 当面の食費にも困るような金欠生活を送っている作家。夢の中で商店街に買い物にゆくが、そこでは小さな店舗が次々と分裂しては増えてゆくのだった。

 生活の細部の描写が次第にとんでもない超常風景まで跳んでゆく、『二百回忌』にも似たにぎやかな作品です。

『こんな仕事はこれで終りにする』

 「探しては泣き、泣いて寝込み次の日にはまた猫を捜しにいった」「いなくなった猫の事を小説に書けと言われた事で、ある仕事先と喧嘩をし、長い事そこに何も書かなかった」(kindle版No.405、408)

 行方不明になった飼い猫を必死に捜し続ける。苦しみの中でよみがえる猫の思い出。あきらめかけたとき、遠くの公園で目撃したという話を聞く。「どうせ違うだろうと思いそのまま歩いて倒れて死んでしまいたかった」(kindle版No.513)作家は、その公園で別の捨て猫に出会う。

 キャトの失踪、そしてドーラとの出会いを書いた、大切な作品。猫飼いは涙なくして読めません。なお、ドーラとの別れを書いた『猫ダンジョン荒神』という長編作品も本書と同時期に電子書籍化されており、こうしてキャトとドーラがポケットの中にいつも。

『生きているのかでででのでんでん虫よ』

 「一匹目の猫を失った辛さで仕事ばかり増やしていた。無理で体が壊れたらいいと思っていた。今は二匹目の猫と自分のために生きている。自分とワープロの区別がもう付かなくなっている」(kindle版No.777)

 キャト失踪後、「死ぬかわりに夢と記憶が少しずつ混じって「生きているやら死んでいるやら」判らなくなって」(kindle版No.774)いる状況を書いた作品。後に書かれることになる『猫キャンパス荒神』の原型のようにも思えます。

 それまでも書き続けてきた世の中に対する強烈な違和感と怒りの表明、そしてつきあい始めたばかりのドーラの描写が入り混じり、異様な迫力が込められています。「ああ「世界中でマトモなのは猫だけだ」でも猫は足を噛むし」(kindle版No.999)。

 余談ですが、別の連作に「スリコ」という猫妖怪が登場したり、近作では作中でドーラが「ドラ」と書かれている、そこら辺のわけも本作を読むとよく分かります。「二匹目の猫の名前は最初「スリコ」だった」(kindle版No.799)、「ドーラの愛称はドラ、だ」(kindle版No.816)。

『虎の襖を、ってはならなに』

 「腹がたったのでそう怒鳴ると、言葉の体の骨が全部おれて畳の上に倒れた。あ、そうだ酒でも掛けてあげよう、とどこかから甘やかすのではなく相手のためにも良い考えが浮かんで来た。が、なぜそれが相手のためにもなる考えなのかは判らなかった。ただ、隣の部屋の泣いている子に聞かせようと、その事を大きな声で言った。言葉を怖がるなと自分の態度でしめしているつもりだった」(kindle版No.1297)

 夢の中で「言葉」と戦う作家。ちょっと『レストレス・ドリーム』を連想させるものがあります。言葉の響きの奇妙さ、幻想シーンの見事さ、そして漂う奇妙な明るさが印象的な作品です。「--これっ、虎の襖を、ってはあるのに、虎の襖を、ってはあるのに」「目の前を何千枚もの虎の襖が、っつた状態で通り過ぎた」(kindle版No.1380)

『柘榴の底』

 「異肉を使ったメディテーションに浸っている時間をひとつの世界にいる時間だとみなし始め、それに底の世界という名前を与えたのは、T・Kが世界を、つまりは自分を取り囲む何かを必要としていた証拠である。空想の中でさえT・Kは自己であり続けようとしたのである。そのくせ目指していたのは結局は自己の喪われた世界なのだ」(kindle版No.1726)

 初期の傑作『皇帝』を思わせる観念的ひきこもり小説ですが、その妄想世界のすさまじさは衝撃的。読んでいて息がつまりそう。同時に、変化し続ける力強さも感じられるところが魅力です。

あとがき小説『ようこそ』

 「だからどんな時代だって書くんですよ。発表場所? まあ不流行の上に実はおかしげな嫌がらせもされてるので、減ってきましたけど、だからってこういう作品に代替物ありますか。誰も私から文学を奪えないよ」(kindle版No.2086)

 本書に収録された90年代作品群と、近作をつなぎます。笙野頼子さんが書くものに代替物はなく、それなしにこの時代を生きるのはたいへん危険で、だから私は読み続けるのです。

[収録作品]

『増殖商店街』
『こんな仕事はこれで終りにする』
『生きているのかでででのでんでん虫よ』
『虎の襖を、ってはならなに』
『柘榴の底』
『あとがき小説「ようこそ」』


タグ:笙野頼子
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